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7月9日(火)日帰り入院

昨日のことは、マジで思い出したくない。まあ、どうせ思い出したくても、忘れるでしょうけど。

前日、ブロン4,トラゾドン4、ビシフロール5を混ぜ合わせて寝た。大した量じゃないし、いけると思ってたら大間違い。金曜日から連日ODしてたから、胃が荒れに荒れまくって、体調も悪くて。幻聴はもちろん、ずっと考え事しながら寝てて、気持ち悪かったし、寝た気がしなかった。もう一回寝なおしたら、1限は行けなくて、3限がぎりぎりだった。火曜1限最後の授業だったのに、ありえない。悔しくてたまらない。3限もしんどくて、結構寝ながら聞いてた。早めに授業終わってくれたから、保健センターに直行した。

胃が痛いし、息は乱れてるし、歩くのもしんどかった。しゃがみ込むようにして入口にたどり着いた。車いすで運ばれた。病院受診か、歩けるようになるまで寝るか、どっちかしか選択肢はなかった。後者は、食欲不振により、水もご飯も食べられなかったため、無理だった。歩けると主張し、歩いてみたが、ふらふらだった。ふらふらの演技でもしてたのかもしれない。結局、駄々こねながら、電話を承諾し、大学職員さんに車いすで病院まで押してもらって、受診することになった。

職員さんが保健センターに来るまで、看護師さんと話してたんだけど、それまで私はへらへらしながら謝り続けてたけど、その看護師さんが話しやすくて、「夜、早く寝る行動に移れなくて、そもそも体が動かなくて出来ないのに、皆一秒でも早くできるように頑張れって言うんです。そういうしかないのかもしれないんですけど、苦しむ時間が辛くて。もう、話しても無駄かなって諦めちゃったんです。結局ODしたら動けて、だから薬に頼っちゃう。」「辛ったね。まず、先生に自分の気持ち話してみな」

下手な言葉を言わず、シンプルに辛さに寄り添ってくれて、とっても心救われたんだ。ボロボロ泣いて。やっぱり、話せないのは”合ってない”ってことなのかなって、訪看さんや主治医のことを思い浮かべながら考えてた。

病院まで職員さんが押してくれた。男性職員が女性職員に、「今人めっちゃ少ないよね?〇〇さん帰ったし、やばくない?」とか話し出して、遠回しに、お前のせいで仕事できないって言われてるのかなって思って何も言えなかった。今そんなこと言わなくても良くない?ちょっと酷くない?って思ってしまった。

病院の外来ベッドに横たわってた。当直が来た。優しそうな女の先生。優しかった。ありったけの死にたさをぶつけてやった。何話したか、ほとんど覚えてないけど、「ODします」「死にたいです」「過労死が目標です」って言ったのは覚えてる。入院を提案されたが断った。歩けたら帰っていいと言われ歩いた。解離して全身脱力。歩ければ、大学職員さんが車で家まで送ってくれる手筈で、準備は整っていた。結果、帰れなかった。「入院でいいですか?」と聞かれた。まったく返事はしなかった。かすかに首を縦に振ったらしいのだが、覚えていない。

開放病棟の人がお迎えに来た。懐かしのいつぞやの看護師さん。私は唖然として宙を見ていた。全身脱力した私を車いすに乗せ、開放の緊急入院用個室のベッドに移した。この時私は、めっちゃトイレに行きたかった。足を床につけたまま、ベッドに横たわらさった私を、別の看護師が見つけて、男性看護師と二人係でベッドにあげた。

トイレに行きたいと言って、その後採血して、しばらくして、起き上がれるようになった。動けるようになった。はきはきと喋れるようになった。脱水に対して点滴も受けた。(なんかばちくそ痛かってんけど。絶対おかしい)

でも、覚えていないことが多かったし、覚えてないふりをした。

また携帯もパソコンもタブレットも没収。ありえない。無理過ぎたし、ご飯の時間過ぎてて、ご飯も食べれない。お腹が4日ぶりに空いたので、これは採決の結果良いだろうなと思ったら、やっぱしよかった。薬剤師が教えてくれた。薬剤師は、入って一言目、「何やってんすか」。小さな声でもごもご長いこと話す。私は適当に、「そうですね」「いいですね」とか言って相槌する。この人への悪い噂もOTさんから聞いた。でも、別に、だから?って感じ。めんどくさくてうっとおしいなとは思うけど。心配してくれてあざますって感じ。

当直が、ご飯買いに行くから、スマホも許可するから、今日はここでゆっくりして、と言われた。私は、帰りたいと言った。病棟一周出来たらいいよと言われた。できたけど、そんな状態じゃ帰せないと言われた。ましてや帰ったらODするって言ってんだしね。ODについては尽力すると答えたし、明日の受診は断った。「帰りたい」「明日までは帰らないで休んで」「帰りたい」「帰っていいですよ」→解離→「そんな状態じゃ帰らせれません」→「帰りたい」。永遠のループ。結局、先生が「帰る方向になると、何かしら体に影響が出てます。帰りたいと休みたいが葛藤してると見受けられます」って言われた。その通りだ。「こんな自分が嫌だし、こうやって忘れていって、入院した意味が分からなくて、帰りたいの無限ループをするのは相手にとって迷惑。帰ります」って言って、結局帰った。点滴を自己抜去しようとして、看護師さんとわちゃわちゃして、大人しくして帰った。

連帯保証人で親の名前は書きたくなかった。やっぱり自分が嫌だから。

先生には、「こんな、話しても生産性のないクズに付き合わされて、不運で迷惑ですよね。こんな奴に優しさなんてあたえちゃだめですよ。こんなクズは死んで当然なんですから」って言って、詫びて帰った。この日の看護師さん達には、申し訳なさしかない。

私が唖然としていたのには理由がある。先生の言ってた通り、葛藤してたからだ。帰りたい自分の言い分はこうだ。「BPDに入院は必要ない。ただ構ってほしいだけだ。入院すれば、よけいBPDのドツボにはまる。抜け出せなくなる。携帯も使えない、人権はない、入院しても何も変わらない。ただ自分がもっと嫌いになって、恥ずかしくなるだけだ。そして、人の迷惑だ。朝起きて開放の看護師と会うのも気まずいし、そのまま入院になったら困るし、その場合閉鎖でまた心死ぬよ?」入院したい自分の言い分はこうだ。「家帰って、吐き気とか気持ちがしんどくて苦しんでもがくよりは、入院したい。休みたい。体しんどい。心しんどい。構ってほしい。現実から逃げたい。帰っても何も変わらない。長期入院したい。」

頭ではわかっていても、体がだめなんだ。色んな心の声が、自分が体を乗っ取って、私は一体誰なんですかね。

帰りたいのに、”その場で解離せよ”って体を解離させて、それはきっと、演者による演技。批判者がそれを批判し、帰りたいと言葉に出す。自分嫌いだわ。

保健センターの時点、もしかしたOD始めた時点から入院したかったのかもしれない。演者の演技と、入院したい奴の暴走は始まっていたのかもしれない。批判者の声、演者の声、そして入院したがってる声が誰なのか、突き止められるほどの、心の体力はもう残ってない。自分と向き合う勇気も持ってない。

私はもうどうすればいいのかほんとに分からない。真逆の意見を持った奴が存在する以上、振り回されて、死にたいわ。

流れに沿ったら思い出せるんだなぁ。でも、もう忘れたけど。そういえば、「自身の忘れやすさについて主治医はなんておっしゃってましたか?」って当直に聞かれて、「複雑性PTSD、BPD、解離性障害」って言ったら、「解離性障害だと思います」って言われた。「そうならそうって、はっきり診断してくれたらいいのに。こんなに困ってんだからさ。でももう言ったところで、治療薬があるわけでもないのだから、どうしようもない。」なんて会話をしたのが、結構印象に残ってるな。なんで、会ったばかりのお前はハッキリ診断して、主治医は一度もハッキリ診断してくれないんだとも思った。

帰って、過食嘔吐して、寝た。帰り道、部活に行って、同期とハグするだけして帰った。

同期の電話のアシストで早く寝れた。さすがにそろそろしっかり寝ないと課題がやばいと思ったので、ODはこらえた。

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