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「段取り」とは自分の首を真綿でしめること

みなさん、今日も元気に「段取り」してますかー?!
(・・・・返事がない。ただの屍のようだ。)

ファミコン時代のドラクエをプレイしたことがない人には伝わらない冒頭ですが、今日はみんな大好き「段取り」について書きたいと思います。
いや、段取り好きな人なんているんかい、とノリツッコミもしておきます。

今日は出張先でちょっと良い日本酒を手にいれ、晩酌をした後に書き始めているため恥じらい器官が機能していないようです。

さて、本題。
「段取り」はどんな職種であれ、また仕事でなくても必要な場面に出くわすことと思います。または、本人が「これが段取りか」と思っていなくても知らず知らずのうちにやっていることでしょう。


段取りとは

だん-どり【段取り】
①芝居などで、筋の運びや組み立て。
②事の順序・方法を定めること。
③心構えをすること。工夫すること。

出典:広辞苑 第六版

辞書を引くとこのように書いてありましたが、仕事においての段取りは②と③の組み合わせだと言えるでしょう。

長年仕事をしていて、スムーズに進むプロジェクトはこの「段取り」がしっかりなされているものであると痛感します。

一方で、段取りが苦手なんだろうな、と感じる人をよく見かけます。
自社のスタッフでも、クライアントの担当者でも、立場は違えど一定数いる。

段取りが苦手な人は、そもそも段取りをするとは何をすることなのか、きちんと認識できていないか、認識できているけれどもできない、のだと思います。

それでは、

段取りとは何をすることなのか、そしてできない理由はなんでしょうか。


ポイントは大きく2つあります。

1.自分の作業を細分化し、締め切りを自分で定めること


仕事は余裕をもって、じっくりと向き合いたい。
アイデアを出す作業に時間なんて定められない。
そんな声が聞こえてきます。

僕ももちろんそのように思います。
締め切りを自分で決めるなんで、真綿で首をしめられるようで気持ちの良いものではありません。

いやいや、お店の竣工日は決まっているのだから、明確な締め切りはわかっている。と言われるかもしれません。

しかし、お店が完成するまでにやらなければならない作業は、けっして一つではなく、小さなタスクの連続で成立しています。

なので、プロジェクトを一つの作業とみなして締め切りを設定してしまうと、どの作業にどれくらいの時間をかけるべきかがわからない状態で闇雲に突き進まなければならなくなります。

そうすると、プロジェクトが進めば進むほどに作業時間が足らなくなり、どこかの時点で破綻します。

これは、イギリスの歴史・政治学者シリル・ノースコート・パーキンソンの名前を冠した法則が示すように、人間が与えられた時間を目一杯使ってしまう生き物であるからです。

夏休みの宿題を思い出してもらえるとわかると思いますが、8月31日までに宿題・・を終わらせれば良い。とだけ考えていると、8月30日まであますとこなく遊んでしまい、最後の1日に親に叱られ、泣きながら同じような出来事が書かれた日記を量産するはめになります。

この例で言いたいのは、このような状況になってしまっては「いいものをつくることができない」です。

これを解消するには、宿題(=タスク)に取りかかる前にその総量を確認し、いくつかのまとまりに分割して、それぞれをいつ実施するかを決めれば良い。

と、頭では読者の皆さんわかっているはず。言われんでもわかってるわ。
僕もです。
この計画通りにできるかどうかが問題なんですよね。
自分で決めた計画その通りにできる人なんで一握りしかいない。天才。ムリムリ。

それでは、計画通りに実行するためにはどうしたら良いのか。
次項に挙げる、他人による強制力が鍵となります。

2.関わる人の作業内容を知り、締め切りを定めること

仕事は宿題と違って自分ひとりでは完成させられません。
自分の作業の成果を渡す相手がいる。
相手がつくるものを受け取って自分が何かをつくる。
このやりとりの連続で仕事は完成します。

つまり宿題と違うのは、意識せずともひとつの作業に対して必然的に締め切りがやってくるところ。

しかし、相手の作業にどれくらい時間がかかるのかを知らなければ、自分がそれにつづく作業にいつ着手できるのかわからないはずです。
そんな状態ではプロジェクト完成がいつになるのか当然わかるはずもありません。

それなのに、相手の作業にかかる時間を知り、締め切りを設定しない人が多い。なぜか。

ひとつは、相手の作業時間を確認する=相手に締め切りを意識させてしまうと考えるからではないでしょうか。
自分も締め切りを設定されることに多少なり負担を感じるので、他人への強要となればなおさら遠慮してしまう。

相手に締め切りを強制するということは、自分も必ず守らなければならない状況をつくることに他ならないので「あぁ、なんか嫌だな。」くらいの感情が正確なプロジェクト進行をしようとする意識に勝ってしまうようです。

打合せの終盤で「ではこれで、今日やるべき議論はできました。あれこれといった作業が必要になりましたので、お願いします。」「はい、了解しました。お疲れ様でした。」と終わってしまうシーンをよく見かけます。

「ところで、発生した作業はいつまでに終わらす必要があるの?」とどちらも確認をしない。
そして納期はずるずると遅れていく。

もうひとつ、相手の作業内容に対する関心がうすい。のではと思います。

自分の仕事に集中するのは良いことですが、たびたび言うように、仕事は他人との協働でできています。

そしていい仕事というのは、相手の仕事にどれだけ興味を持っているか、リスペクトをしているか、その度合いに比例してクオリティが上がるものだと思います。

相手の仕事への関心があれば、おのずとその内容を知りたくなるはずだし、知ればどれくらいの時間がかかるのか想像もついてくる。
そうしてお互いの信頼を高めていけば、一緒にクオリティの高い仕事をするべく、締め切りについて無理なく議論を交わせるようになるでしょう。

真綿で首をしめていたと思いきや、首をあたためて血流が良くなっていた。

段取りとは何をすることなのか?
なぜ段取りができないのか?

1.自分の作業を細分化し、締め切りを自分で定めること
2.関わる人の作業内容を知り、締め切りを定めること


上記2つの項目で解説してきました。

自分と他人の可処分時間の使い方を決めてしまうことには、ある種の恐怖を感じます。一度決めてしまったらその通りに進めなければならない。
あたりまえのことなんだけど、締め切りを決めなくてプロジェクトが完了するならそうしたいと思う。人間だもの。

それでも、意を決して仕事を共にしていく人たちと「お互いに」締め切りを決めさえすれば、プロジェクトはスムーズに進行し、成果物のクオリティも格段に高くなるでしょう。

締め切りを自ら決めることが、真綿で首をしめるように苦しいことかと思いきや、実は首をあたためてくれて血流が良くなり、仕事がスムーズ流れるようになった。
そんなお話でした。

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