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人間として接する事しかできない

まずはみなさんこの記事を読んでみてください↓

この記事を読んで気になった部分

私が気を許す異性は私を露骨に女性扱いしないし、男性として過剰に好かれようとしない。たとえ隠しているとしてもそれだけで私は安心する。人間として見てくれているという、あくまで主観的で不確実な要素だけで私の不安は消えて無くなる。

https://mirror.asahi.com/article/12824151

"人間として見てくれている"
これって私がしていることなのかも、と思った

私は今までの人生で「付き合いたい」と思う人に出会ったことがない
「好き」という気持ちになったことはあるが、「付き合いたい」と思ったことがない
さらにいうなら、自分のことを恋愛的に「好き」になってほしいと切に願ったことすらない
(念の為言っておくと、「好き」という気持ちを抱くのは必ず女性である)

今までより仲良くなりたい、話したい、という気持ちはあるものの、触れることや他の人よりも優先して一緒の時間を過ごしたいという気持ちにはならない

そしてしばらく経つと、「好き」という気持ちが少し下がり安定する

これはあくまで私の仮定なのだが、たぶん1人の人間として「好き」になっているんだと思う

そして
"露骨に女性扱いしないし、男性として過剰に好かれようとしない"
という部分

人として「好き」であれば話したいとは思うけれど、女性を女性だからという理由で接しようと思ったことはたぶんないし、そもそも女性扱いというのが私にはいまいちわからない
自分のことを男として見てほしいと思ったこともない

私はこんな人間なわけで、人間として接する事しかできないということが良いのかどうかずっと疑問だった

全員に対してそれが良いとは限らないのかもしれないが、
"人間として見てくれているという、あくまで主観的で不確実な要素だけで私の不安は消えて無くなる"
そう感じる人がこの地球上に1人でもいるということがわかったことは
私にとっての不安が消えて無くなったような気がした

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