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情報過多の代償

こんばんは。いつも読んでいただきありがとうございます。Shuheiです。



まだ2月の中旬ではありますが、少しフライングした暖かい風により穏やかな気持ちで執筆しています。


今回はそんな穏やかな気持ちの中で、私の最近の体験から思ったことをまとめました。

趣味がこんなところで活躍するなんて!というテーマに向かって伝えます。


多少表現がいたらないところがありますが、穏やかな気持ちで読んでいただけると幸いです。




本を読むのが好きです


いきなりですが、私の趣味の一つは読書です。読書というものを趣味にしている人は多く、誰もがイメージをすることのできるのも良いところですね。


私も自分のペースで知的好奇心を満たし、それと同時に人生の質が上がるのはとても嬉しくて、幸せなことだと思いながら本を読みます。



時には、本を開き、5分間だけ活字を目でなぞっただけで満足することもあります。何の知識も得ていないのに。笑


本の別称として、人類の叡智(物事に深い理解を得るための知恵)と大袈裟に言われることにも納得です。本が人類の叡智、というよりは「言語が」という説もあります。


人類は言語の習得なくして、短期間での大きな発展を成し得なかったことが既に証明されているくらいですからね(^ ^)


そこで私はふと思いました。それらの本や、本で得た知識を多くの人に広げていくとどうなるのか。例えば家族や友人に伝えてみたら、、、Youtube等のSNSで広げたらどうなるのか、、、

多くの人にそういった情報を伝えることで少しずつ住み良い国になるのではないのか、と。


つまり、人類の発展ほど大きな規模にはならないものの何か大きなものの発展に繋がるのではないかと。そこら辺はザックリとしてましたが。笑



Youtubeに触れてみた


そこで本で得た知識をどのように広めていこうかと考えたところ、手軽にできるであろう動画配信サービスが最初に思い浮かびました。

普段はYoutubeを情報制御のために控えているのですが、久しぶりにYoutubeで読書について検索してみると、とてもビックリしました!



読書のトピックについて、たくさんの数のYoutuberさんと芸能人が動画をアップロードしていたからです。


これをみて私は、こんなに人の好きなオススメの本を簡単に知れて便利な世の中だなーと感じました。
毎回Youtubeを使うたびに似たようなことを思うのですが。(^ ^)


こんな感じでアップロードしていくのか、、と学ばせてもらいながら、この時まではとても順調にいくように感じていました。


しかしこの後、思いがけないところで壁が立ちはだかりました、、、


最初の疑問


この時の目的は、良い本の内容や学びが深かった知識を広げること。

広げるにも漠然とアップロードするだけでは、運に身を任せるだけなので、自分なりに作戦を練りました。



まずは、閲覧する側の気持ちになって、

どうやって私の得たい情報を見つけようか」と。


私の大切にしていることの一つに、与える側は常に受け取る側のことを考えて行動すること、があります。(自分だけのものさしで物事を図らないために)



ということなので「この方達は誰にどのような気持ちで配信をしているのだろう」とまず考えてみることにしました。


Youtubeの事前情報として、配信者も〇〇向けに、〇〇を目指して、みたいにペルソナ(仮想の設定のこと)を考えていると聞いていたので、第一印象であるタイトルに注目すればヒットするのではないかと考えました。




ということで、自分が欲しい情報がありそうなタイトルを見つけては開いて、を繰り返しました。



情報過多の代償


その結果、、惨敗です。笑


そして、私が欲しい本の情報を得るまでにあっという間に、1時間を費やしました。(結局何も見つからないまま終了しました)その1時間の中には、ブラウザの更新と広告で20分以上かかっています


私の調べ方が悪かったのも一つの原因ですが、この時は欲しい情報を明確に意識したのに全然収穫がなかったことに絶望しました。



市場の性質を把握することの大切さ


さっきの理屈には、わりと自信があったので、惨敗の原因を追及するために反省点をまとめました。


その時の私が思い描いていたYoutubeの性質は【知りたいことが知れる】でした。もちろん多くの配信者がいるので、その数と同じだけの供給スタイルがあります


しかし、動画配信サービスとしての性質は、ある程度集約されていました。


……そうです。私がそもそもこの動画配信サービスの性質を勘違いしていたのです。


つまり、Youtubeとは私が感じるに【知りたいことが一定のレベルを超えず、深い場所にあるのではない場合】向けのサービスでした。(あくまで個人の表現です)


それと時間が膨大にある人ならば、情報の海に飛び込んでもさほど不便さは感じないのかな、と思います。


ということは、逆に知りたいことが明確で一定のレベルを超えている場合は、マンツーマンでの対話とか、もっと特定された情報提供サービス等を利用する必要があるのではないか、と考えることができます。


、、という感じに、そういったことばかりが頭を巡り、とても興味深い市場だったのですが、やはり情報の海のような場所に大切な自分の趣味を泳がせるのは止めておこうとなりました。


なぜならその海では善意でやったことであっても、その伝えたい相手に伝わらない可能性がすごく高いと感じたからです。

(執筆している時に気づいたのですが、私が配信したい内容は普段から本を読んでいる方に向けたものだったこともあり、私の力量ではそれを検索エンジンにひっかけることが難しいことも理由の一つでした。)


もっと深く自分のことを考えてみた



そのことがあってから、どうしてYoutubeを利用することをためらったのかをもっと自分自身に問いかけてみました。


その結果、自分の目で見て、その相手のことを1人の人として、ニーズに寄り添っていくことが私の自己満足の原点の一つだからだと気づいたのです。


そうやって、最後には自分の原点を見つけることができて、とても身のある考察時間になりました。


意外なところから与えられる恩恵


もう少しだけ語らせてもらいますね。



今回のことは読書が直接もたらした恩恵ではありませんが、読書が好きだったからこそ今回の気づきが生まれました。



ただの趣味、ただ小さい頃からやっているだけ、のことでもなんでもいいから持っているのであれば、必ずそれを大きな気づきに繋げることができます

経験は気づきとともにあります。気づきなくして経験値は増えません。

つまり、ただ何も考えず記憶もせず、ただ経験だけすることは自己満足がほとんどで終わってしまうのではないでしょうか。


それは逆に、どんなに小さな経験も気づきさえ大きければ一攫千金になりうる、ということです。今回の私の行動もそうじゃないかなと思います。



この記事を読んで、物事を惰性で(何も考えず毎回同じように)やらずに、どうせ同じ時間を使うなら、人生をより楽しむためにやってみようと思ってくれる人に伝わると嬉しいです。



そうなると信じて、今回は動画配信ではなく、いつも通りこのnoteにまとめることにしました(^ ^)


ですが、再びYoutubeにも視点を変えて、チャレンジしたいと思います。(この記事で書いたことはYoutube全体の性質のほんの一部のことなので)


長々と語ってしまいましたが、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


最後になりますが、私はYoutubeを否定しているわけでも本を読みなさいというわけでもありません。




Youtubeは素晴らしいコンテンツですし、本も読まないことが悪いなんてことは絶対にありません。この部分は勘違いなされないようによろしくお願いします。



それと!!今回は省いたのですが、好きな本もそのうちここに書かせていただきますので、楽しみにしていてくださいね!



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