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#42 言語が違えば、世界も違って見えるわけ

空の色は何色ですか?って聞かれたらみなさんはなんて答えますか?
進んでいい信号の色は何色ですか?

言語と認知する世界と文化について考えるきっかけを
得られた気がします。

新幹線は、上りと下りだったり
明日の次の日ではなく、あさってだったり
名詞に性別はないけれど、3人称は性別があったり

日本語でも、あれ?そういえばって言うのが
思い浮かんできました。

中でも、本書の中で

言語の違いは基本的に、何を伝えていいかではなく
何を伝えなければいけないかにある

言語が違えば、世界も違って見えるわけ/ガイ・ドッチャー

とあります。

確かに、日本語だと
昨晩一緒にいた人の性別は伝えなくて済む場面があったり
東西南北がわからなくても、行きたい場所は伝えられたりします。
(他の言語だとそれができなかったりする例も紹介されています。)

このように、「何を伝えないといけないか」
普段、「何を意識するか」に繋がり
そして、それは「日頃の習慣」につながるんでしょうね。

だからやっぱり、英語圏の人は結論を先に述べるのが慣れているし
日本語圏は、前段の背景を先に喋っちゃう。
これは言語の特性から生まれる、習慣が影響するんでしょうね。

もちろんどっちがいいとかではないですが、
時場所場合に応じて、得意不得意はありそうですね。

そして、そうなると気になってくるのは
言語ってどうやってできたの?って話です。

習慣を支える言語の元になったのは何なのか。
本書では「文化」と表現されていますが。
日本人はどのようなことを文化として捉えて、
何を"表現しなければ"と、感じたんでしょうね。

淡い色でしょうか。
感情の機微の変化でしょうか。
季節の移ろいでしょうか。

何を何にたとえて
何を大事にしてきて、日本という国がこういう形を形成してきたのか
知りたくなりました。

最後まで読んでいただいたあなたは
空の色を何と答えるんでしょうか。

それも非常に気になります。


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