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『他者と働く / 宇田川元一』(本めぐり④)

勇気をもらえる、あたたかな本だった。
平田オリザの『わかりあえないことから』にも通じる、人と人の関わり方についての一冊。

世の中には課題は2種類しかない、という話から始まる。
1つは「技術的問題」。これは、既存の知識や手法を適切に適用すれば解決できる。
もう1つが「適応課題」。これは、関係性の中で生じる問題で、「こうすれば解決できる」という手立てが特にないものとして定義されている。
この関係性に起因する適応課題の正体を紐解き、どうすれば解決できるのかが本のテーマである。

●置かれている前提

組織とは関係性であり、対話とは新たな関係性の構築である

というのが、前提として定義されている。
個の集合体としてではなく、個と個の関係性の集合体として組織を捉え、組織で起こる問題は関係性の中にあると考える。
そうすると、組織の問題を解決するには、個人の中で取り組みを完結させるのではなく、関係性の修復や改善が必要不可欠。そして、対話こそが関係性の再構築そのものであるとしている。

加えて、「私とそれ」という道具的な関係から、「私とあなた」という固有の関係に変容することの重要性が説かれている。相手の存在を、手段として捉えるのか、目的として捉えるのか、というイメージだと思う。
自身の目的や意図に合わせて相手を「使う関係」なのか、個の存在そのものを尊重し、「リスペクトし合う関係」なのかの違い。

また、「ナラティブ」という概念が登場し、これがとても重要な役割を果たしている。言い換えると、「その人の語りや認識を生み出す、物語や解釈の枠組み」をナラティブと呼んでいる。
「会社のために全身全霊で働くべきだ!」というナラティブを持つ上司と、「ほどほど働いて、ゆったり過ごせたら幸せだな」というナラティブを持つ部下がいれば、そこには適応課題が生まれる。(もともと臨床心理の世界から流入してきた概念らしい)

このナラティブの違いから生まれる断絶を、対話の力でいかに乗り越えていくか、という流れで話が展開されていく。

●対話とは何か

対話には、4つのプロセスがあると定義している。

①準備「あたりを冷静に見回し、溝に気づく」
②観察「溝の向こうを眺める」
③解釈「溝を渡り橋を設計する」
④介入「溝に橋を架ける」

まず、適応課題が生じている状態を、「自分と相手の間に溝がある」と定義する。その上で、その溝を認識し、対岸に渡り、相手の立場からも考えることで間を埋めていく。
一番大切かつ難しいのは「準備」だと感じた。自身のナラティブを一旦留保し、一度フラットにすることが求められている。自分なりの主義主張や感じ方・捉え方を全てリセットし、まっさらな目で相手を見つめることができるか。
人間、誰しもが「自分が正しい」と思いたい生き物だし、特に適応課題が生じているときは「正しい自分と間違っている相手」というナラティブに固執してしまいがち。そんな自分を冷静に見つめ、ナラティブと距離を取り、相手の立場に立って想像力を働かせる。とても大切だけど、難しい。

●対話の罠

対話を深める上で、気をつけるべき罠についても言及されている。

・相手に迎合している
・相手に押し付けている
・馴れ合いに陥っている
・他の集団から孤立している
・結果が出ずに徒労感に支配される

「言うは易し、行うは難し」で、上記の罠にハマらないことはすごく難しいと思う。
いかにフラットに、冷静に、そしてオープンにいられるか。
「対話とは誇り高き挑戦である」という言葉が印象に残った。
自身のナラティブも、相手のナラティブも大切にしながら、より良い関係性は必ず築けるんだと信じることが必要。

●終わりに

本の締めくくりに、著者の半生と共に興味深い人間観が語られていた。

私たちは弱さを生きている存在なのだ。この愚かで、弱い人間という存在は、しかし、それゆえに、よりよい関係性を生きることができれば、素晴らしい存在にもなりうる弱さを持つ、希望に満ちた存在でもあるのだ。

弱さこそ人間のあるがままの姿であり、その弱さから目を背けずに、互いにリスペクトし合うことができれば、関係性も人生も必ず輝く。
最後の最後は、正しさや理屈を超えた著者の願いが込められているようで、胸を打つものがあった。

人間に対する冷静であたたかなまなざし。
本全体からそんなナラティブが溢れ出ていて、幸せな気持ちになれる一冊だった。