「文化人類学」と「UXリサーチ」の交差点
文化人類学者の比嘉さんと、LINE・メルカリのリサーチャーの方々が登壇するイベントにお邪魔してきました。(イベント概要はこちら)
とても興味深いお話ばかりで、僭越ながらTwitter実況しながら参加させていただきました。
印象に残ったお話
比嘉さんが創業した「メッシュワーク」社は、文化人類学者が立ち上げた珍しい会社で、人類学的な思考法・メソッドとビジネスの掛け算にチャレンジされています。今日のトークも、「人類学的リサーチ」と「UXリサーチ」の共通項と差分をあぶり出す展開となりました。
いくつか印象的だったお話を抜粋。
ビジネス色の強いリサーチにおいては、すでにある仮説(=答え)の検証や合理的な改善が目的となり、客観的かつ定量的なデータを重んじる傾向があるように思います。(マーケティングの市場調査や、Web界隈のA/Bテストなど)
一方で、人類学的なリサーチにおいては、そもそも問いもなければ答えもない、始点も終点もない地平から探索が始まるというお話が印象的でした。「答え合わせ」でも「答えづくり」でもなく、自分自身の常識や思い込みを揺さぶるためにこそ、リサーチをするのである、と。あくまでも、自分の内側という主観から世界を見つめ、問いを立てていく営みとして参与観察というリサーチ手法がある。
ある種、対極にあるようにも思えるこの二つの営みは、どのように近接していったのか。その重なりはどこにあるのか、セミナーが終わってから自分なりに考えてみました。
中間地点としてのUXリサーチ
ここからは私見になりますが、プロダクト開発の文脈で語られる「UXリサーチ」は、「市場調査」と「人類学的リサーチ」の中間に位置するように思います。(市場調査にも様々なパターンがあると思いますが、定量的・客観的な調査の代名詞として、一旦この言葉を使わせてください。)
プロダクト開発の現場において、人類学的リサーチのように、問いも仮説もない真っさらな地平から、知的探究を進めていくリサーチを実行できるか。そこまでビジネス的・リソース的なゆとりを持てているケースは希有なのではないでしょうか。
一方で、市場調査のように定量的なアンケートで膨大な情報を集めたり、A/Bテストで改善を積み重ねていくだけでは、UXリサーチが実現したい目標は達成できないようにも思います。
一概に定義しきれない大きな概念ですが、自分は「UXリサーチ」という営みは、「正しいものを正しくつくるための、仮説の構築・検証プロセス」であると考えています。
PoCに向けた仮説の構築段階であれば、アプローチはより人類学的リサーチに近づき、「ユーザーはどんな人なのか」「彼・彼女はどんな環境に身を置いているのか」「今のシステム・環境に潜む課題は何なのか」といった問いと対峙することになります。
一方で、ある程度プロダクトの方向性が見えてきており、実際のアウトプットが形になってきていれば、アプローチは市場調査に近づき、「このUIは使いやすいのか」「この導線にユーザーは気付けるのか」「どのレイアウトが最適なのか」といった問いに答えを出すことが求められます。
「半構造化リサーチ」としてのUXリサーチ
少し話は変わりますが、ユーザーインタビューには、3つの形式があると言われています。
今回のお話を聞いていく中で、人類学的リサーチの一番純粋な姿は、「非構造化リサーチ」なのだと感じました。ゴールは決まっておらず、どこに辿り着くかもまったく分からない。ただ、純粋な自分の興味関心に従順に、心の声に耳を澄ませて一歩ずつ歩んでいく旅路。答えを出すのでも、問いに応えるのでもない、問いを生み出すプロセス。自分自身、そういった探索や探究にはとても興味がありますし、是非とも深入りしていきたい領域です。
一方で、UXデザイナー/リサーチャーとしての今の自分に置き換えた時に、日々の業務で必要になるリサーチは、必ずしもそういった形にはならないとも感じています。オンリーワンの勝ち筋を見出し、着実に顧客・ユーザーに価値を届け、フィーを頂戴するに足るプロダクトをつくるという職責においては、問いに応え、答えを出さなければいけません。しかし、問いも答えも固定化されたものではなく、あくまで流動的なものです。始点も終点もあるけれど、自分の中にある思い込みや決めつけを打破し、相手の内側から世界を眺めて答えを見つけ出すという意味では、人類学的リサーチと同じ営みであるとも言えます。これは、「半構造化リサーチ」と呼べるのではないか、と考えました。
リサーチャーに求められる「中動態」
「中動態」という言葉があります。国分功一郎さんの『中動態の世界』という書籍を通じて知った概念で、インド=ヨーロッパ言語でかつて存在していた文法を指す言葉です。「能動態」の反対は「受動態」ではなく、「中動態」であったと言うのです。
「〜する」という主体の意志と動作が前面に出る「能動態」に対して、「気づくと過程の中にいた」という外発と内発の境目がなくなったような状態が「中動態」です。(と自分は解釈しています。理解が正確じゃなかったらごめんなさい。正しい解説は原典に譲ります。)
インタビューをしていく中で、まさにこの「能動と受動が融け合う」感覚が重要であると強く思うようになりました。インタビュアーの自分の中には、ぶつけたい問いや検証したい仮説があり、それが会話の始まりです。一方で、自分の投げかけに対して何が返ってくるかは分からないし、究極的には相手からの回答は制御不能で、自分は返ってきたものを受け止めるしかない。この閉じているようで開いている姿勢、定まっているようで浮遊している感覚が、インタビューの要だと感じています。
自分の中にある「問い」と「答え」をスタート地点に、思いがけない展開や予想外の学びに自分自身をひらき、他者との対話と併走を通じて、少し先のゴール地点へと歩みを進める。
そんな理想を思い描きながら、自分なりに「半構造化リサーチ」を追求していきたいと思います。