花粉症という物。

 花粉の飛散が都内で始まったとニュースで聞いた時、2月なのに春がもうすぐそこまで来ているのかと思った。私はまだ花粉症にはなっていないと思うのだが、昨年から春になるとやたら目がかゆくなってきてはいるので、鼻水やくしゃみに伝播するのも時間の問題だろうと、正直怯えている。

 花粉症とはスギなどの花粉に対して、体内にあるIgE抗体が生成され、それが一定量に達するとヒスタミン等が分泌され鼻水や目のかゆみに襲われる事を言う。だから今は大丈夫、あるいは症状が軽くとも、年を経るごとに花粉症の脅威が一歩ずつ距離を縮めているという事になる。その定量は人によって違うので、運が良ければ花粉症を知らずに生涯を終える事も出来る。

 なんとも困った時限爆弾を、我々人間は抱えているようだ。

 鼻と目は日常生活において最も重要な部位で、特に食事をするとき等必須べき器官と言っても過言ではない。それが、春の麗らかな陽気の間は、薬を肌身離さず持ち苦しみ続けねばならぬというのだから、恐ろしい事だ。

 何が一番困るかというと、花粉症を発症する可能性が0~100の間にあるという事だ。例えば、人間が絶対に避けては通れない寿命であるならば、その死を嘆き悲しみ、いずれ自分の身に降りかかる恐怖と戦い、終わりに向かって準備を進めていく、そう言った気持ちの準備というものが段階的に行える。

 だが、花粉症は違う。突如として奴らは牙をむくのだ。無自覚の内に体内に溜め込まれたIgE抗体のおかげで、我々は予期せぬ苦しみと直面する事になる。それまでに気持ちの準備を進める事も、花粉症への対策を練る間もなく、ある春突然、鼻水とくしゃみと涙に、私の顔面が覆われる事になるのだ。何かしらの兆候があれば、それなりに対策や心の準備というものができるのだが、いや、もしかしたら兆候というものがあるのかもしれないが、大抵の人間はそれに気づかず、ある春突如として現れる花粉症に対して、ついにきてしまったかという諦めの言葉を残すだけである。

 かくして花粉症発症者は、小学校に通い始めた時のような高揚感や不安、或いは卒業式の別れに覚えた幾ばくかの寂寥感を、さくらの花の香に思い出させられる事は無くなる。彼らにとって春は、スギやその他花粉による攻撃に晒され、それから人生を終えるまでの何十回という春を、鼻水と涙によって阻害され続けなければならなくなるのだ。

 願わくば、花粉症などとは無縁のまま暮らしていきたい物である。

 と、まあなんとなく思ったことを書いたのだが、実際私は花粉症にはなっていないし、実情を知りはしない。ただ調べたことから想像力を発揮しただけであるので、実際に花粉症の方々からそれは違うという意見が飛んでくるだろうが、まあ、それは寛大な心でもって容赦して頂けると幸いだ。

 今年は暖冬のおかげか、あまり寒さを感じることなく春を迎えられそうである。花粉が早めに飛散するとの予想もされているので、花粉症対策をしっかりとしたうえで過ごされるといいかもしれない。

 この文章を書いている間に目がかゆくなってきたが、なに、単なるプラシーボ効果のようなものだろう、きっとそうに違いない。

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