魔導士 狭間来夢
聴こえるだろう。
琴宮から木霊する絶望の声が。
感じるだろう。
琴宮から漂う悍ましき腐臭を。
お前たちは知っている。
あの雅やかな琴宮邸は魔窟なのだと。
紳士淑女が華やぐパーティ会場で、罪人たちは裁かれる。さあ見るがいい。魔窟が口を開け悪漢どもを飲み込むのだ。
「紫音、あなたは……」
琴宮美織はそう微笑みながら、自らの首にフォークを突き立てて死んだ。
母である美織が死ぬ様を眺めながら、琴宮紫音、それでもお前は冷めている。「ああこれが琴宮なのだな」そう想う程度には。
だが紫音、おお、麗しの男子よ。お前は知らない。これは、今から始まる惨劇のプレリュードに過ぎないのだと。見よ!
悲鳴が響き渡る。落雷と共に会場の照明が落ちる。
そして。
稲光は照らし出すのだ。
「お母様……?」
フォークを手に立ち上がる、美織の姿を。
血の匂い。悲鳴。柱時計の音。屍は振りかざす。紫音へと向けて、その手に持つ凶器を。
ある者は叫び、ある者は逃げ、ある者は腰を抜かす。滑稽なものだ。誰もが我を失い、怖れ慄いている。しかしああそうだ。お前だ、お前がいる。お前だけは冷静でいられる!
魔導士、狭間来夢。
お前は白いジャケットを翻し、紫音の前に立つ。お前は冷たく屍を見る。お前は手をかざす。お前は迅雷のように詠唱する!
白き鴉は在り。黒き白馬は無し。
四角き匣は在り。四角き円は無し。
なれば。
「生ける屍など存在しない」
美織は屍へと戻る。
ははははは! 見事! しかと見たぞ、お前の魔導を! 具体と抽象、偶有と普遍、その狭間。それがお前の魔導なのだな!
だが忘れるな。お前は今、我が手中にある……この、魔窟の中にあるということを……。
照明が灯り、人々は我に返った。
「来夢……」
震える紫音を抱きしめ、魔導士は想う。
誰にも気取られてはならない。美織を殺した愚か者にも、紫音にも、他の誰にも。我が魔導の神髄を。
具体と抽象。
偶有と普遍の狭間。
琴宮紫音は、琴宮紫音ではない。
その、事実を。
【続く】
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