死闘ジュクゴニア_01_03

第60話「ミリシャとハンカール」 #死闘ジュクゴニア

目次】【キャラクター名鑑【総集編目次】
前回
「これ……で……俺は死ねる、のか……?」
 落ちゆくフォルと交錯しながら、エシュタは応えた。
「そうだと……いいね」
「ぐふはっ……期待……してるぜぇ……」
 フォルの体は崩れ、灰となって散っていく。エシュタは囁くように呟いた。
「……命って、儚いね」
 回転し、ジンヤ最上層へと降り立つ。
「さよなら、可哀想な人」

 ──12年前。

 その男の口調は静かで、そして、力強い確信に満ちていた。

「人はなぜ、ジュクゴ使いとなるのか」

 重たい、祈るような空気が流れていた。万を超す群衆が、固唾を飲んで男の言葉に耳を傾けている。彼方からは遠雷が聞こえる。それは、滅びの足音だ。頭上では不吉な灰褐色の雲がたなびいていた。人々は知っている。滅びゆく都市の上には、必ず、その灰褐色の雲がたちこめるということを。

 誰もが世界の終わりを予感していた。彼方の遠雷、その源は観測史上最大最強、半球を覆い尽くす空前絶後のスーパーストームだ。滅びからの救いを求める人々は、皆、広場の中央を一心に見つめている。そこに設えられた舞台の上から、マイクを通じて、若い男が人々に語りかけていた。

「わたしは……ついに、人がジュクゴ使いとなる原理を解明した」

 聴衆の間に、興奮がさざ波のように広がっていく。誰もが震えるような眼差しで男を見つめていた。「あぁ……どうか……」手を握りしめ、祈る妙齢の女がいた。今にも泣き出しそうな壮年の男がいた。感情の高ぶりで、気絶しそうになっている少年がいた。皆、壇上の男の言葉に救いを求めている。雷の音が近い。滅びの足音が、すぐそこまで近づいている。男は静かに言葉を続けた。

「ジュクゴが人に宿る──わたしたちは今まで、そのように考えていた……いや、そう思い込んでいた。だが、そうではなかった。そうではなかったのだ。わたしたちは皆、大きな思い違いをしていたのだ」

 人々は苦しみの中で喘いでいた。少し前まで、世界は希望に満ちていたはずだった。超越的な力を持つフシトの活躍が世界を騒がせた。ハンカールによるジュクゴ原理の発見が人々を沸騰させた。人類の未来は明るい。人は神の領域へと到ろうとしている。この地上に、神話の世界が顕現しようとしている──人々はそう考えていた。そのはずだった。しかし、それはただの驕りだったと気づく時がやってきた。

 今や、人の世界は滅びを迎えようとしているのだ。

「……滅んでしまえばいい」群衆の中、そうポツリと呟く少女がいた。傍らの母親が少女を窘める。「フォル、静かに……っ!」しかし少女は大人たちを冷ややかに見つめる。

 少女は──フォルは思っていた。環境の激変も、疫病の蔓延も、それらはすべて、驕り続ける人間に対する、地球環境の免疫反応ではないのか。聡明な少女には、そうとしか思えなかった。その兆候は常に、あからさまに、確実にあったはずなのに。それでも大人たちは、自分たちの矛盾した世界がそのままであることを望み続けた。そして、現実から目を背け続けた。だから、そんなことだから。こうなってしまうのも、当たり前じゃないか……。

(でも……)フォルは静かに語る男を見つめた。まるで、惹きつけられるように見つめてしまった。男を見つめていると、なぜか、不思議な高揚感が湧いてくる。男の細身の体から超越的な力が溢れ出し、自分にも何か力を与えてくれる……そんな風に感じられた。魅力的だった。そして今、男の口から何かとてつもないことが語られようとしている。そんな予感があった。

「何も恐れることはない」

 男は手の甲を表にして右腕を掲げた。その手首が鈍く輝いている。それは摩訶不思議の五字。つまり、ジュクゴであった。

「おぉ……」群衆がどよめく。人々の頭上で光が渦を巻き、超自然の光景を描き出していく。ある人には、それはマーブル状に流れる極彩色の洪水に見えた。ある人には、それは無色の輝きに見えた。ある人には、それは真なる暗黒に見えた。その時、誰一人として同じ光景を見てはいなかった。男は超然と続けた。

「すべては、情報だったのだ」

 男は聴衆を見渡す。そして確信を込めて言葉を紡いでいく。

「これは因果地平の彼方……事象の地平面に渦巻く情報の輝きだ。それは、人類の認知限界を超えている。人の理解を超越した、情報の渦なのだ」

 人々は息を呑み、まるで催眠にかかったように男の言葉に惹き寄せられていった。人々は悟っていた。今まさに、この世界の秘密が、この世界の秘儀が解き明かされようとしているのだと。

「この情報の渦が産み出す振動パターン、それこそがジュクゴだ」

 男の言葉が熱を帯びる。

「ジュクゴとはすべての鋳型であり、元型である。それは時間も、空間も、次元も、そして因果をも超越して、多次元時空に“もつれ”として遍在している……ジュクゴが我らの住むこの次元領域で観測される時、それは、物質とエネルギーとして表現される……つまり、この世界は、我々は……我々こそがジュクゴそのものである!」

 その場にいるどれほどの人間が、この男の──ハンカールの語る言葉を理解していただろうか。しかしその時人々は、信仰にも似た荘厳な気持ちに包まれていた。誰もが言葉を失い、ただ涙を流してハンカールの語る言葉に耳を傾けていた。

「我々人類の意識は、世界認識は、ジュクゴの関数的収縮に伴って構成される。故に、我々の意識は因果にかかわりながら、因果には囚われない。だから……人がジュクゴ使いとなる時、それは因果の結果ではない。にもかかわらず、それは人の自由意思の選択の結果として存在するのだ!」

 ハンカールは両手を広げ、天を仰ぎ見た。

「創世の神話は語っている──世界は神が発する言葉によって産み出されたのだと。そして、その創世の力が込められた神秘の断片……それこそがジュクゴなのだと」

 聴衆を力強く見渡す。

「今こそ、その御業(みわざ)を再現しようではないか。わたしたちの意思の力を結集し、災いを超越し、世界を再創造するのだ。この地上に、真の楽園を築こうではないか」

 その瞬間、歓喜の叫びが爆発した。地鳴りのような歓声がその場を覆っていった。フォルもまた泣いていた。人々は壮大で神秘的な創世のドラマが、今ここで再現されるのだと確信した。

 舞台の袖から一人の少女が歩み出る。その黒髪が風に吹かれて美しくたなびいていた。ハンカールは優しく微笑みかけた。

「ふふ……まさか君が適合者だったとはね、ミリシャ」
「当然だよ、ハンカール」

 ミリシャは誇らしげに応えた。

「何度だって言うよ。私は、この世界を変えたいんだ」

 ミリシャは周囲を──いや、世界を見渡した。

「私はやってみせる。この腐った世界を、あるべき姿に変えてみせる」

 そう言いながらミリシャもまた、ハンカールを見つめて微笑んだ。そして「いや、ちょっとだけ違うかな」と呟くと、力強く前を向いて続けた。

「変える、じゃないな。『あるべき世界を、すでにあるものとする』。それを、この私がやるんだ」

 ハガネは呻いていた。

「なんだ……これは……!」

 頭を押さえる。ハガネの脳裏に、次々と奇妙なビジョンが浮かんでは消えていった。

「ふふ……これは在りし日の過去の光景。君にとって大事な日である〈崩壊の日〉の光景だよ、ハガネ。あの日、あの時にいったい何が起きたのか……君にも見せてあげようというのだ」

 ハンカールが静かに告げる。その右腕、摩訶不思議の五字が鈍い輝きを放っていた。「お前が……これを見せているのか……!」ハガネは遮るように手を振った。

「俺は、そんなものに……興味はない!」
「くくく……そうはいかんのだ、ハガネ」

 フシトが心から愉快そうに笑って告げた。

「これは物語なのだ、ハガネ。神話として語り継がれるべき物語……それは傲慢にして愚かなる男と女が、人類を道連れにする悲劇の物語だ。そして、余が如何にして救世主となったのか。それを紡ぐ物語でもある。さらには……」

 フシトとハガネの視線が交わる。

「ハガネ、汝ら余の子どもたち……〈極限概念〉の子らが、如何にしてこの世界に産み出されたのか……その物語でもある!」

「さて……」

 エシュタは周囲を見回した。ヴォルビトンが顔を歪め、胸を押さえながら近づいてくる。エシュタはその姿を見て一瞬、微笑む。そして、大地にうずくまる男を見た。右腕の切断面を押さえながら、呻いている少年は無敵のアガラだ。

 その場にミヤビの姿はない。すでに楽の音はやみ、舞っていた花弁や粉雪も消えている。

(あいつ……)エシュタは気がついていた。アガラを斬り、跳んだ直後。ミヤビの気配は消え、フォルはその自由を取り戻していた。「はは……」エシュタは呆れたように乾いた笑いをたてた。

(あいつ、あたしを誘導して露払いをさせて。自分はさっさとこの場を離れていったってわけだ……己の目的を果たすために)

「はは……やられたよ、ミヤビ。でも凄いやつだね、君は」

 そう独り言ちながら、エシュタはヴォルビトンに首を向けた。

「ねぇ、大丈夫?」
「あぁ、問題ない。だがあいつ……」

 ヴォルビトンはアガラを見た。

「凄まじい力だった」
「はは……そうだね。でもあいつはもう終わりだよ」

 エシュタは油断なく刀を構える。そしてアガラに告げた。

「どうする。続ける? ……まぁ、無駄だと思うけど」

 アガラは顔をあげた。その表情を憤怒に歪めながら呻く。

「おのれ……おのれぇ……」
「はは……歪んだね、君のポーカーフェイスが」

 ヴォルビトンがエシュタに並び立つ。そして二人で身構える。「じゃあ、決着つけようか……」そう言いかけたエシュタは「……!」と目を見開き、振り返る。どこからともなく、音楽が聞こえてくる。

 ズンチャッチャ、ズンチャチャ、ズンチャ、ズンチャチャ……ズンズンプァー

 ミヤビの楽の音とはまったく異なる、場違いなほど軽快な音楽。まるでサーカスのような──

「……誰だい、君は」そう問うエシュタの視線。その先で跳ね、踊るように近づいてくるのは、道化師メイクの不気味な女だった。

「あっはっはっはっ!」

 女は笑いながら、伸び上がるように高く跳ねた。宙で身を捻って優雅に回転すると、音もたてずに着地する。そして三人に向って、右手を胸に添え、左腕を水平に伸ばしながら、ゆったりとしたお辞儀をした。

「わたくしめはピエリッタ。道化芝居のピエリッタ」

 顔をあげたその時、女は──ピエリッタは奇妙に歪んだ笑みをたたえていた。「ピエリッタ……!」アガラが声をあげる。

「〈創世の種〉を……! お前の〈創世の種〉を……。お前の〈創世の種〉ならば、俺の腕を治すこともできるはずだ……ッ!」

「はぁ~?」

 ピエリッタはつまらなそうに、小指で耳をほじりながら応える。

「あほくさー。これから死ぬやつを、なーんでわたくしが治さなきゃいけないのか」

「なっ!?」

 驚愕するアガラを無視するようにピエリッタはくるくると舞った。「なんだ、こいつは……」エシュタの頬を冷たい汗が流れていく。不気味だった。いや、異質だった。今まで出会ったどんな敵とも異なる、奇妙な違和感を感じていた。

「あっはははははははははは!」

 その舞いがピタリと止まる。「気をつけて、ヴォルビトン」ピエリッタの表情は冷たく、鋭い形相へと変化している。そこに笑みなど存在しない。あからさまに変わった空気に、エシュタとヴォルビトンは警戒した。

 ピエリッタは両腕を広げる。そして、「さぁ、同士諸君!」と呼びかけるように、高らかに声をあげた。「ついに時は来た!」その瞳が奇妙な輝きを放ち、その体が陽炎のように揺らいでいく。

「いよいよ戦いの時だ! はじまるのだ。我らの真の戦いが!」

 エシュタの背筋に悪寒が走る。「こいつ……!」その時、ピエリッタの浮かべた表情はあまりにも異質だった。その表情は、笑みと、憎しみと、呪いと怒りとが入り混じった、不気味な恍惚に包まれていた。エシュタの戦士としての勘が危機を告げている。何か、恐ろしいことが起きようとしている。

 ピエリッタは芝居がかった所作で左手を胸に当て、右手をゆっくりと掲げた。そして、その顔に不気味な恍惚を浮かべながら、囁くように、謡うように声をあげた。

「さぁ……同志諸君。はじめようではないか。創世大戦を」

【第61話「造反有理」に続く!】

きっと励みになります。