死闘ジュクゴニア_01

第52話「魔宮を貫いて」 #死闘ジュクゴニア

目次】【キャラクター名鑑【総集編目次】
前回
『なっ!?』

 バガンは驚愕した。女はただ手をかざしただけに過ぎない。しかし。ただそれだけで、まるで魔法のように巨人の拳が散っていく──そしてそれは連鎖するように拳から肘へ、そして二の腕へと、巨人の腕は静かに霧散していった。

「最強……それは所詮、この仮初めの世の理に過ぎん……」

 赤い髪の女は笑みを浮かべた。それはどこか異質で、人を感じさせない不気味な笑みであった。

「不条理。不条理こそが条理を覆す。貴様らは、今こそそれを思い知るのだ」

 微睡のような感覚の中で、彼は、その姿を見つめ続けていた。

 街路樹の新緑がそよいでいる。優しく木漏れ日が差し込む中、きらきらと黒髪を艶めかせながら、少女は前を歩く。二人だけの、静かな時間。

「ねぇ」

 少女は振り返り、微笑んだ。

(あぁ、そうだったな。この時、お前の瞳はまっすぐで、純粋で……)

「何度だって言うよ。私、この世界を変えたいんだ」

 それは余りにも鮮やかで、透明な思い出。

 微睡みから覚めていく感覚の中で、ハンカールもまた微笑み、呟くように答えていた。それは常に変わらない答えだ。昔も、今も。

「それは無理だよ、ミリシャ」
「あのさぁ……いつもそうやって馬鹿にする。でもさ、君の研究は──」

 木漏れ日が、薄らいでいく。

「ハンカールさん……ハンカールさん?」

 その呼び声に引き戻されるように、ハンカールは酷薄な現実の中に己を見出していた。ジンヤ上層部。白亜の回廊。

「……ゴウマか」

 下からハンカールの顔を覗きこむ少年──ゴウマ。その純白の瞳が不安げに、ハンカールの瞳を見つめている。

「ふふ……すまない。過去が蘇り、私を捕らえて離さなかった。だが……もう大丈夫だ」

 ハンカールは顔をあげ、そして指差した。回廊の先。禍々しき光が渦巻くその出口を。

「行こう、ゴウマ。あの先にこそ、我らの未来があるのだ」

『貴様……貴様ぁっ……!』

 バガンのこめかみに青い筋が浮かび上がっていく。彼は凄まじい形相で睨めつけていた──宙に浮かぶ女を。恐るべき存在を!

 不気味に笑う女の周囲。らせん状に取り囲むのは、血のように赤く染まったジュクゴであった。いや、女の周囲だけではない。大地から、中空から、呪詛のように血色のジュクゴが湧き上がり、立ち昇り、そして、脈動していく。

「あぁ……ライさん……っ!」

 ハガネは呻く。立ち昇る脈動に合わせるように、そのジュクゴを囁く声が木霊していた。それはまるで怨念のように、世界を呪うように、そして再誕を祝うかのように!

 世界五分前仮説……世界五分前仮説……世界五分前仮説……世界五分前仮説……世界五分前仮説……世界五分前仮説……世界五分前仮説……世界五分前仮説……世界五分前仮説……世界五分前仮説……世界五分前仮説……世界五分前仮説……世界五分前仮説……世界五分前仮説……

「ははははははっ! 清々しい。戻ってきた。ついに私は戻ってきたぞ。この、ごみ溜めのような世界にさぁ!」

 呪詛の声は徐々に高まり、頻度を増し、得体のしれない歓喜の渦へと変わっていく。

 世界五分前仮説! 世界五分前仮説! 世界五分前仮説! 世界五分前仮説! 世界五分前仮説! 世界五分前仮説! 世界五分前仮説! 世界五分前仮説! 世界五分前仮説! 世界五分前仮説っ! 世界五分前仮説っ! 世界五分前仮説っ! 世界五分前仮説っ! 世界五分前仮説っ! 世界五分前仮説っ! 世界五分前仮説っ!

 それはさながら、邪悪なる宴で奏でられる聖歌のごとく! バガンは憎々しげに歯噛みした。

『ミリシャ……世界五分前仮説のミリシャ……!』
「久しいなぁ、バガン」

 女は──ミリシャは不自然に口角をあげながら続けた。

「よくもまぁ。先の戦いでは私の体を砕いてくれたもんだよなぁ……おっ?」

 ミリシャの眼前。巨大な拳が唸りを上げて迫っていた。

『吹き飛ぶがいいっ!』

 それは、天を切り裂く怒涛の鉄槌である!

「あぁ、そうかよ」しかしミリシャは淡々と手をかざす。そして再び、何ごともなかったかのように拳は砂塵のように散っていく。

「連れないなぁ。これが貴様の挨拶なのかい?」
『猪口才っ……!』
「ははは……おいおいおい。もしかして貴様、私に挑もうってか? この場にハンカールもフシトもいないのに? 貴様みたいなお子様がたった一人で? はは、めんどくさい奴だなぁ」

 ミリシャはその両手を前へと構えた。

「うーん、そうだな。貴様はもともと《この世界には存在していなかった》。そういうことにしておこうじゃないか。なぁ。お互いのためにも、それがいいと思わないかい?』

『……下朗っ!』

 その怒号とともに巨人の背が溶岩のように泡立つ。そしてそこから幾条もの閃光が放たれていく。轟音。それは天空を覆うように広がり、そして、ミリシャへと向けて収束、殺到していく!

「ははは、まるで花火だ。綺麗だね。じゃあ、そういうことで。ばいばい」

 ミリシャは手を振った。直後、天空を覆う閃光が、バガンが、そのすべてが消え失せた。そこには何も残されてはいなかった。ただこびりつくように、世界五分前仮説の不気味な祝福のみが木霊していた。

「うっひゃあ。素晴らしい……あははっ。どうですか、ハガネさん! 地上に顕現した奇跡……見ましたかっ!?」

 手を叩き、小躍りしながらピエリッタははしゃいでみせる。しかし「って、あれ?」急に動きを止めると、その小首をかしげてみせた。

「んんー? なんだなんだ。わたしは何を喜んでいる……? なんかさっきまでデカい奴がいた気がしますが? なにやら記憶がすっぽり消えてしまったような? うーん」

 それからぱっと跳ねると、お道化たように笑いだした。「ま、いっか!」くるくると踊る。

 ハガネはその笑いを耳にしながら、しかし静かに目を瞑り、己の胸の奥へと沈みこんでいった。いろいろなことが起こり過ぎた。胸のうちに、受け入れ難い現実と感情とが渦巻いている。刑場での戦い。不撓不屈の目覚め。ジンヤの浮上。カガリ。バガン。町田の消滅。そして、ライさん。

 しかしそれでも何かが、確かな何かがハガネの胸の奥には宿っていた。嵐のような現実と感情とが吹き荒れていく中で、しかしそれだけはしっかりと、碇のようにハガネの心をつなぎ止め、そして、踏みとどまらせていた。

『決して、立ち止まるな』

(この言葉だ……この言葉こそが俺の道しるべ……俺が、今見るべき現実……)

 ハガネはその目を見開く。バチリ、という音とともに、不屈の二字が輝いていた。

 ──それと同時。

『我を舐めるな!』

 世界を圧倒する咆哮!

「はぁ?」眉根を上げ、ミリシャは上空を見た。その瞬間、地上では「あ、思い出した」とピエリッタが手を叩く。ミリシャの上空。彼女を睥睨する黄金の少年がいた。

 バガン。

「面白い……どうやった? どういうことだ? 貴様は存在していないはずなのに?」

 ミリシャの問いかけにバガンは吠える。

『愚か! 実に愚かである!』

 その背後。雷光のごとき耀きによって巨大なジュクゴが描き出されていく。そう、それこそは

 霊 長 類 最 強 !

 そしてそれだけではなかった。その両腕からは黄金に煌めく炎のように伸びゆくジュクゴがあった。

 その右の腕には「史上」!
 左の腕には「最強」!

 巨大な手甲剣のごとき、史上最強の四字!

「へー」感心したように目を見開くミリシャ。

『思い出すがいい、ミリシャ。〈極限概念〉とは! 決して覆しえぬ究極の概念である!』

「あぁ、そうか、そうだったね……そういえばそうだった。〈崩壊の日〉……あの時、貴様たちは解き放たれたのだったね。なるほどなぁ。はは。簡単には消えてくれないわけだ」

『ふん……そして知るがいい! この世界に十三ある〈極限概念〉の中において! 我が最強は文字通り最強なのである!』

 その左腕、最強の二字をミリシャへと突きつけ、静かに言い放った。

『これよりお前に、我が最強の鉄槌を下す。成仏せよ、ミリシャ』
「ははっ! やだよ」

 バガンはその軽口を無視し、史上と最強の四字を天空へと掲げた。その直後であった。上空に刻まれし霊長類最強の五字が炸裂する。それはまるで天の爆発。唸りをあげ、轟き、光輝く爆発が史上と最強の四字の間へと収束していく。

 地上。「おおお……なんじゃ。なんじゃそりゃあ」ピエリッタは手を咥えてその光景を見つめていた。

 史上と最強の四字の間。そこに形成されたのは、神話的な荘厳さを伴った巨大なる槍であった。それは五字ジュクゴの槍! 霊長類最強の槍である!

 ミリシャは笑う。

「はは。凄いなぁ。まぁいいさ。貴様を消すことが無理なのであれば、貴様にはまず、最強ではなくなってもらおう」

 両腕を交差するように、その左手を槍へ、その右手をバガンへと向ける。

「たったそれだけで貴様は終わる。そしてわたしは……わたしは……わた……わたしは……………………?」

 違和感。指先が震えている。霞む視界。強張る表情。

(なんだ……そんなはずはない……なぜだ……そんなことはあり得ない……そんなっ)

 動揺するミリシャには聞こえていた。鋭く突き刺すような、女の声が。

「この体は、お前のものではない」

 ミリシャの視界が一転する。冷たい光に包まれた空間。肉体を失い、彷徨い続けていた世界。その光景が、ミリシャの前に再び戻ってきたのだ。

「バカな!」

 ミリシャは振り返る。刹那、その胸を貫く、電光石火の一撃!

「う……うぁ……そんな……そんな……バカな……」

 震える体で、ミリシャは己の胸を、続いて眼前の女を見た。鋭い眼差し。歴戦の強者だけが持つ、戦士の眼差し。それがミリシャを射抜いていた。女は腕を抜き、そして手刀を上段に構えた。

「わたしはお前ではない。わたしはミリシャではない。わたしはライだ。電光石火のライだ!」
「くそっ……くそっ……なんだ……なんだお前ぇ……」
「このタイミングが必要だった。わたしはそれを待っていた」

 ライはその眼差しでミリシャを見据えながら続けた。

「バガンとの決着をつける……今こそが、その好機なのだとわたしにはわかる!」
「お……おま……おまぇ……」
「貴様の力を使い……わたしは、わたしの目的を果たす!」

 ライの手刀が、ミリシャの首を薙ぎ払った。

『滅べ』

 振り下ろされる史上と最強の四字! 荘厳なる耀きとともに霊長類最強の槍はミリシャへと飛んでいく。その瞬間、ミリシャは──ライは叫んでいた。

「立て! そして飛ぶんだ! ハガネっ!」

 その直後!

「ううぅぉぉぉぉおおおおおぉっっ!」

 大気を、そして大地を震わすハガネの咆哮!

「ほえ?」

 横一閃の輝きとともに、ピエリッタの首が宙を舞う。不撓不屈の翼が閃き、ハガネは跳躍した!

 その上空! ライの前に世界五分前仮説のジュクゴが寄り集まっていく。それは赤き奔流となって、霊長類最強の槍と激突した。凄まじき力の波濤が世界を覆っていく!

『!?』

 荒々しい波濤が渦巻く中で、バガンは目を見開いていた。眼前。不敵に笑うミリシャ。これではまるで瞬間移動だ──いや違う。この女は……この力は……これは……これは電光石火の超スピードである!

『ふははっ……ライ……お前っ!』

 バガンは猛々しく笑い、史上最強の四字を突き出す! 同時。ライは繰り出していた。赤い奔流をまとう、電光石火の一撃を! 二人を閃光が包み、直後、輝く血色と黄金色の入り混じる爆風が吹き荒れた。

(やったぞ……私は……貴様に一矢報いたぞっ……バガンっ!)

 爆風の中から、ライが吹き飛ばされていく。そして力尽き、そのまま落ちていく。

「あぁ……」

 自由落下の速度の中で、ライは見た。頼もしい輝きを。力強く羽ばたきながら上昇する、不撓不屈の輝きを!

「ハガネ……っ」
「ライさん……っ!」

 空中で二人は交差する。

 ハガネには見えていた。微笑むライの表情。そして、その口は確かに「行け」と告げていた。

 俺は……振り返らない。俺は決して立ち止らない。その胸の奥で、力強い何かが脈動している。その瞳の不屈が、バチバチと音を立てて輝いている。不撓不屈の翼が轟々と炎をあげ、渦巻いている。ハガネは見据えていた。その視界の先!

『目が……目がぁっ……我の……我の目が……っ!』

 空中で目を押え、苦しみ悶えるバガンの姿を! その双眸は無惨にも潰され、その眼孔からは血がとめどもなく流れ落ちていた!

「バガン……バガァぁン!」

 ハガネは激突するようにバガンに組み付く。そして輝く軌跡となりながら、その体を抱え天高くへと飛翔していく!

『ぐっ……貴様ぁっ……!』

 二人の向かう先。その先にあるもの。それは禍々しく輝くジンヤである!

「うぉぉお!」

 二人はジンヤ最下層に激突! そして突き破る!

『ぐあぁあああ!?』

 さらに上昇。天井を貫き、突き破っていく!

『放せ……貴様ぁ……放せっ!』
「黙れ! 俺はお前を……ここで倒すっ!」

 激突! そして突き破る! 激突、突き破る! 激突、突き破る! 激突、突き破る! 激突、突き破る! 激突、突き破る! 激突、突き破る! 激突、突き破る! 激突、突き破る! 激突、突き破る! 激突、突き破る!

 激突! 激突! 激突! 貫く! 貫く! 貫く!

 次々とジンヤの階層を突き破り、ハガネは上昇していく。二人は光と化していた。視界を失った世界の中で、光に包まれながらバガンは感じていた──己を抱える者の、底知れぬ力を。抗うことなどできぬ。

『バカな……我が……我が……こんなことが……こんなはずは……これが……これが不屈……っ!』

「ううぅぉぉぉぉおおっ!」

 爆風がジンヤを縦に貫いた!

『ぐぅわぁぁああ!』

 爆風の中、バガンの体は捩じれ、回転するように吹き飛んでいく。ハガネは最上部をも突き破り、上空へと達していた。

「バガン……っ!」ハガネは荒い呼吸を繰り返しながら、最上層直上に降り立った。

「はぁ……はぁ……バガン……どこだ……奴は……どこに……」

 膝に手をつき、周囲を見渡す。そこは奇妙な空間だった。まるで広場のように、禍々しく極彩色の光渦巻く床が拡がっている。見上げるとそこには満天の空。広場の中央には奇妙なドーム状の構造物。

 パチパチパチ、と手を打ち鳴らす音。
 
「お見事」

 そこに、静かに佇む男がいた。

(……! こいつ……っ)

 危機を知らせるように、ハガネの鼓動が早鐘のように打ち鳴らされていく。ハガネは理解した。

(この男はバガンと同じ……いや、ひょっとしたらそれ以上に……!)

 男の右腕。腕輪のように刻まれた五字のジュクゴが鈍い光を放っていた。それこそは──

 摩 訶 不 思 議 !

「はじめまして、ハガネ。わたしはハンカール。摩訶不思議のハンカール

【第53話「招かれざる客」に続く!】

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