ノア・サーティーン
「行ってしまうのか……ノア」
「はい……お爺様」
雨はやむことなく降り続けている。しとしとと、いつまでも。ノアと呼ばれた少女は丘の上から見下ろしていた。変わり果てた国の姿を。一面の泥の海を。
その傍らで山羊のチッポラがメェと鳴いた。ノアは微笑み、その頬にそっと触れる。
「大丈夫。わたし、絶対戻ってくるよ」
そのおさげ髪が風に煽られ、ばたばたと揺れている。健気で気丈。その様を見てメトセラ翁は苦しげに呻いていた。
「あぁ、神よ……なぜ……なぜ孫に……なぜノアにこんな苦しみを背負せたまうのか……」
「ははは……疑いなさる? 神を疑いなさる? たかが人間ごときが? それはいけない!」
ノアの影が膨れ上がる。それは不気味に笑い、メトセラ翁をなじりながらも一個の形を作り上げていく。
「ひぃ……堕天使……シャ、シャムドン……」
「はははは……爺。なぜ怖がりなさる? たかが人間ごときが。なぜボクに恐れを抱きなさる?」
影は黒き翼を広げた男の姿を形作っていった。その瞳は爛々と輝いている。まるで暁の明星のように。
「やめて、シャムドン」
そう告げたノアに対し「はは……」影は揺らぎ、指さしながら言った。
「ノア。忘れてなさる? たかが人間ごときが。忘れてはいけない。ボクがいるからこそ君は勝てる」
「わたしは……」
ノアはこぶしを握り締めた。
「キミがいなくたって勝てるよ、シャムドン。神に与えられし〈ルーアハ残照拳〉──わたしにはそれがあるもの」
ノアは空を見上げた。昏き雲が濁流のように渦巻いている。そこからは途切れることなく雨が降り続けていた。人々は太陽の光を失い、そして希望すらも失った。
しかしノアの見つめる先。そこにたったひとつの輝きがあった。衛星軌道上。浮遊する黄金の箱舟。
「わたしは必ずや〈サーイェ・ラザゼル〉の頂点に立つ。わたしは必ずや他の11人のノアに打ち勝ち、〈真のノア〉となってみせる! そしてみんなを連れていくんだ。あの箱舟に!」
【たぶん続かない】
【後書きっぽいやつ】
これは「第二回逆噴射小説大賞」応募用に考えてはみたものの、没になったネタを逆噴射レギュレーションである800字フォーマットに落とし込んで放流したものです。箱舟を巡り、最終的には13人のノアが闘い合うというネタです。
今回、逆噴射小説大賞への応募作は「必ず連載したいと思えるもの」に限定しようと思っていて、このネタに関して自問自答したところ「うーん、これ、連載したいか?」という心の声が返ってきたため敢え無く没となったのでした。残念。
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