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人類救済学園 第肆話「恋の始まりは晴れたり曇ったりの四月のようだ」ⅳ

前回

ⅳ.

 ハニカム状のガラスがゆるやかに、ドームのようにフロアを覆っていた。ドームは鮮やかな緑に溢れ、ガラスから降りそそぐ講堂の光は柔らかく、並んでいる長テーブルは白くすべらかであり、そんなテーブルに、生徒たちはおもいおもいの席をとり、歓談しながら食事をしている。

 ここは、人類救済学園の学食堂だ。

 そしてその一画。ひとつのテーブルの周囲に、ものものしく人影が立ち並んでいる。あたりを警戒するその人影は……風紀委員たちだ。

 テーブルには、

「いよいよ明日だな、鳳凰丸」

 と、語りかける夢殿救世と、その対面、

「そうだね、いよいよ明日……緊急生徒総会だ」

 とこたえる鳳凰丸が座っている。鳳凰丸の表情には影があり、どこか曇っていた。鳳凰丸は頬づえをつき、ため息まじりに続ける。

「半跏思惟中宮に会ってきたよ」

「ほう」

 救世は興味深げに片眉をあげた。

「予想どおりのクソ野郎だった。だからさ……」

 鳳凰丸は、ようやく笑みを浮かべる。

「指、折っといた」

 救世も微笑んだ。

「ふ、実に貴様らしいな……」

 鳳凰丸は満面の笑みで、身を乗りだす。

「で、で、実はこの後、体育委員長にも会ってこようと思うんだ」

 救世は、うぅむ……、と眉根を寄せた。

「アレに会うのは、あまり意味があるとは思えんがな……」

 微妙な反応だった。
 鳳凰丸は眉根を寄せた。

「ぬぬ?」

 そこに、お盆をもった執事姿の少女が近づいてくる。

「どうぞ」

 少女は救世の前にカツ丼を置いた。よく訓練された、洗練された丁寧な動きだった。続いて鳳凰丸の前に……ガンッと乱暴に置かれたのは、かけうどんだ。どんぶりから汁がはねた。

「ちょっと、ちょっと!」と抗議するように見た鳳凰丸を少女は冷たく睨みかえす。そして、唇を歪ませると「チッ」と舌打ちをした。

 鳳凰丸は目を大きく丸く見開いたまま硬直して、少女を見た。少女は「クソが」と呟き、踵をかえして去っていく。鳳凰丸は……ブブン、と音が出るような速度で首を回し、救世を見た!

「なにあれ!? 感じ悪くない!?」

「仕方あるまい」

 救世は箸を持ち、淡々と言う。

「学食堂は本来、生徒会庶務……疎水南禅の管轄だ」

 鳳凰丸の表情が固まった。

「あぁ、そう……」

 鳳凰丸は表情を曇らせながら視線を落とす。うどんの汁を見つめる。湯気漂うその汁に、鳳凰丸の顔が映っている。その表情は、どこか寂しげで、悲しげだ。

 はぁ、とため息をつき、鳳凰丸は箸をとった。そこに、ぽちゃり……と何かが飛びこんできて、うどんの汁に波紋がひろがっていった。

「ぬ?」

 鳳凰丸は見あげる。そこには先の少女が佇んでいる。少女の顔は、まるで人形のように無表情だった。「むむ?」と見つめる鳳凰丸の目の前で、少女は唇ををとがらせる。その唇から、ぴゅっと唾が飛びだす。「なな!?」うどん汁に見事命中、ぽちゃり、と汁がはねた。「ええええ?」と鳳凰丸。

 風紀委員たちが即座に動きだす。流れるように少女を取り押さえる。少女は抵抗しない。

 鳳凰丸は我にかえると、

「はぁ~!? なになに。なんなの!?」

 と、素っ頓狂な声をあげた。
 その鳳凰丸の背後で、

「く……くく……ははは……」

 と、かすれた笑い。不気味な、まるで墓場に吹く、乾いた風のような笑いだった。ガタリ、と救世が殺気とともに立ちあがる。

「貴様……」

 その目は鋭く見据えている。
 鳳凰丸もまた振りかえり、そして見た。

「は……は……愉快……愉快……」

 鳳凰丸の背後。テーブルの上であぐらをかき、楽しげに手を叩いている少年。その輪郭は青い霞のようにおぼろに揺らぎ、まるで、ホログラムだ。

 救世の手に闇が涌きたつ。そこに和刀が生じる。
 救世は低く、鋭く、その名を呼んだ!

「御影、教王……!」

 学習委員長、御影教王(みかげ・きょうおう)だ。

 ザ、ザ、ザッと、教王の周囲を風紀委員たちが取り囲む。
 教王は顔を動かし、ふたりを見ながら笑った。

「はは……そんな顔で、見ないでくれたまえ……今や、学園の最高権力者となった……君たちふたりに、睨まれるなんて……おお、怖い……怖い」

 ホログラムのような体が揺れる。おそらく、大いに笑っているのだろう。呼応するように鳳凰丸の髪が、かがり火のように揺らいだ。

「君、気に喰わないな」

 鳳凰丸は横目で少女を見た。
 少女は表情を失い、取り押さえられたまま動こうともしない。

「この趣味が悪くて、センスがなくて、ただひたすらに下衆いだけのふざけたマネは……君の仕業ってことでいいのかな」

「は、は……そうとも言える……そうでないとも言える……」

「まあいいや。じゃあ、」

 と鳳凰丸は指示をだした。

「こいつ、取り押さえちゃって」

 風紀委員が動きだした。

「は、は……は」

 教王は笑い、右手を顔の前にかかげる。

「無駄、無駄……」

 パチン、とその指を鳴らした。

 その瞬間……鳳凰丸たちは、食堂の空気が変わるのを感じた。そして。

 ガタ、ガタ、ガタガタガタ……

 食事をしていた生徒たちが、一斉に立ちあがる。立ちあがった生徒たちは皆、首をだらりと下げ、微動だにしない。さらに……教王を取り囲んでいた風紀委員たちまでもが、ビクン、と震え、まるで電源が落ちたかのように、だらりと首を下げた。

「…………」

 鳳凰丸の表情が冷たいものへと変わっていく。生徒たちの首が、ぎり、ぎりと機械のように回る。彼らは一斉に鳳凰丸たちを見た。その表情は一様に、人形のように無表情だ。

 鳳凰丸は、こめかみをトントントン、と指でたたいた。その眼差しには、冷冷とした凄みが宿っている。

「は、は、は……驚いたか?」

 教王は楽しげに手を叩いた。

「なぁに……どうということはない……学習委員が配布している学習資料には、ちょっとした細工が……施されているのだ。は、は。特定の条件下で、特定の行動を取らさせる……そういう情報が仕込んで……ある……」

「なかなかクソだね、君は」

 そう言いながら鳳凰丸は、背後で動きだそうとした救世を、手で制した。

「で? 見たところ、単純な行動しかさせられないようだけど。この程度で、僕らふたりをどうにかできるとでも? それとも君って……」

 教王を、鳳凰丸の冷たい眼差しが貫く。

「退学願望があるとか?」

「は、は、は……おお、怖い、怖い」

 教王は体を揺すって笑う。

「俺は、武闘派ではない……だから、お前たちと真っ正面からことを構えるなど、するわけが……なかろう……」

「では……」

 と問うたのは救世だ。

「貴様、いったい何がしたい」

 その声音は、抜き身の刀のように鋭かった。

「は、は、は……わかりきったことよ」

 教王は上を……つまりは講堂を指さし、そして言った。

「これは警告だ……。明日の緊急生徒総会……お前たちは、生徒による投票で金堂盧舎那を罷免し、自分たちの権力基盤を……確固たるものに、しようとしているのだろう……? だが、そうはさせん……俺がその気になれば……投票結果を操作することなど、造作もない……それを理解しろ、ということだ……お前たちを、生かすも殺すも……俺の、胸先三寸だということを……」

 はは、と鳳凰丸は笑った。

「くっだらないね。だから、俺にも権力を分けてくれよ~ってこと? 僕が一番嫌いなタイプだよ、君は。半跏思惟中宮の方がまだマシだ。しかも君、」

 鳳凰丸はその目を……ギンッと見開いた。

「ただの雑魚だし」

 その瞬間、まるで電撃が走ったように風紀委員たちの体が大きく震えた。そして「あ……」「う……?」と口々にうめきはじめ、その顔に、正気が戻っていく。鳳凰丸は冷たく見くだすように笑った。

「バーカ。僕の権能、ナメんなよ」

 鳳凰丸は教王を指さし、風紀委員たちを見回した。

「ということで……あらためて、逮捕だ」

 風紀委員たちは身構える。そして一斉に躍りかかろうとした、

「は、は、は……!」

 まさにその瞬間だった。

 パチン。

 再び教王の指が打ち鳴らされた。鳳凰丸は目を見開く。その動体視力は捉えている。人形のようにこちらを見ている生徒たちの口から……

「……待て!」

 と、鳳凰丸は風紀委員たちを制止。
 風紀委員たちは驚き、静止。

「は、は……賢明だ……」

 鳳凰丸の顔が、みるみる怒りで歪んでいく。

「お前……ッ!」

 生徒たちの口から一斉にまろびでたもの……それは舌だった。生徒たちは見せつけるように歯を剥きだし、舌を咥えていた。

「は、は……危ういな。ここにいる生徒が皆……退学するところだった」

「おい、クソすぎだろ、お前……」

 鳳凰丸は奥歯を噛みしめ、手を握りしめた。その背後で、

「鳳凰丸」

 救世の目が怪しく光った。

「逮捕など生ぬるい。俺が、一瞬で終わらせてやる」

「……」

 救世は本気だ。
 鳳凰丸は……逡巡した。

「は、は……聞いているぞ。お前……が、退学を忌避している、と……な。悩め、悩め……そして合理的に……判断しろ……それこそが」

 ガチャリ。

「そこまでだね」

 唐突に、教王の後頭部に冷たい金属が突きつけられた。「え……」鳳凰丸は呆気にとられながら、教王の背後を見た。「君は……」

 ホログラムじみた後頭部に、黄金花柄の拳銃をつきつけながら。その少女は、ニヒルに笑っていた。彼女のクセの強いショートカーリーヘアには、色とりどりの花が咲き乱れ揺れている。

 生徒会広報、蓮華三十三(れんげ・みとみ)だ。

 さわやかな、花の香りが漂った。
 三十三は、

「食堂とは食事をする場所だ。食事とは楽しむべきものだ。よって、食堂とは楽しむべき場所だ。断じて……人を操ってよい場所ではない」

 と言いながら撃鉄をおこす。そしてシニカルで、容赦のない、断固たる口調で続けた。

「咲かせてみせるかい? 御影教王。お前の脳天にも、花を」

 教王は、

「は、は、は、は……!」

 と肩を震わせ笑う。そして、

「降参……だ」

 ゆっくりと両手を挙げた。直後、糸の切れた人形のように生徒たちは崩れ、うめき、やがて正気を取り戻し……ざわめき始めた。

「今日のところは……これで退散すると……しよう。だが、わかっただろう……明日の緊急生徒総会……お前たちの、思惑どおりには……行かん……」

 ジッ、ジッ、と音がして、教王の輪郭が小刻みにぶれた。そして……ブン、という音とともに、その体はかき消える。

 三十三は微笑み、肩をすくめた。
 鳳凰丸も微笑んだ。

「ありがとう……って、あれ?」

 三十三は鳳凰丸を無視するように素通りしていく。そして、その足は救世の傍らへ。ちらと鳳凰丸の顔を見ると、救世に向かって

「これは、貸しだね」

 そう言いながら、いじわるそうな笑みを浮かべ、救世の肩にしなだれかかった。

「むむむ!」

 鳳凰丸は眉根を寄せる。救世は淡々と、

「安心しろ、蓮華広報は俺の協力者だ」

 と鳳凰丸に告げた。三十三は鳳凰丸の目の前に置かれたかけうどんを指さし、くすくすと笑った。

「それ、教王に弁償してもらえば?」

「あぁん?」

 鳳凰丸は睨みかえす。そして三十三をジトッと見たまま席につく。

「君、なんか勘違いしてるみたいだけど?」

 箸を持ち、直後! ずるずるずる! と、旨そうにうどんをすすり始めた。

「鳳凰丸、お前……!」

 救世は、驚いた猫のように目を見開く。ずるずるずる! 鳳凰丸は汁まで一気に飲み干す! そして、得意気な笑みを浮かべて言った。

「普通食うでしょ、こんなもん!」

 それを、床にへたりこんだ執事姿の少女が、呆気にとられたように見つめていた。

ⅴに続く

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