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人類救済学園 第肆話「恋の始まりは晴れたり曇ったりの四月のようだ」 ⅴ

前回

ⅴ.

 燦々と講堂の光が降りそそぎ、爽やか……と言うにはいささか強すぎる風が、鳳凰丸の髪を揺らしていた。

「うー、まぶしぃ……」

 と、鳳凰丸は目を細める。校舎の最上部、円塔の頂き。テラス状になったその場所に、鳳凰丸は来ていた。そこに来れば彼女に……体育委員長、南円堂阿修羅に会えると聞いていたからだ。

 鳳凰丸は寝転び、目を閉じる。

「アレに会うのは、あまり意味があるとは思えんが」

 と、救世は言っていた。どうやら阿修羅という人物は、相当に浮世離れした人間のようだ。いずれにせよ、明日の生徒総会までに不確定要素は可能な限り減らしておきたい。

 そう。明日はいよいよ、緊急生徒総会だ。すべてに決着をつける時がきたのだ……。

「…………」

 塔の頂きには鳳凰丸だけがいた。たったひとりだった。そこには静けさだけがあった。鳳凰丸は、閉じたまぶたを通して、ゆるやかな講堂の光を感じていた。

 光のなかには浮かんでくる。天頂の風に吹かれながら、鳳凰丸はそれを見る。その光景を……忘れることなどできない。忘れるわけがない。忘れてはならない。焼きつくように。

 盧舎那ァッ!

 脳内で木霊する、壮絶な断末魔。疎水南禅の最期の光景。鳳凰丸はその目を、その表情を、その悲しみを、その絶望を、再び見ていた。光のなか、浮かびあがってきたその瞬間を、鳳凰丸は見つめている。

 渦巻いていた。喪失感。悲しみ。後悔と失望。罪責の念。取り返しのつかないことをしてしまった。ひとりの少年が、終わったのだ。鳳凰丸の手によって。罪の意識が心と体に根をはり、はびこり、じわじわと侵食しつつあるのを感じる。

 それは、ぬぐい去ることなどできない。

「僕は……」誰もいないその場所で、鳳凰丸は独り呟いていた。「嫌だ……」鳳凰丸は講堂の光を打ち消すように、まぶたの上に震える腕をおいた。

 その時だった。

「そうか」

 声だ。それは優しく包みこみ、寄りそうような声だった。鳳凰丸は驚き、目をあけた。その声は、続けてこう言った。

「だが……それしか道はなかったのだろう?」

 鳳凰丸は、がばりと身を起こす……そして見た。そこには立っていた。

 彼女だ。

 南円堂阿修羅(なんえんどう・あしゅら)。

 体育委員長。

 上空からは講堂の輝きが降りそそいでいた。風が吹き、広がる雲は波のようにうねりながら煌めいている。阿修羅はその輝きと煌めきのなかで、超然と微笑み、たたずんでいた。

 彼女の長い黒髪を、風がなびかせている。凛とした顔立ちの、切れ長の目は涼しげで、優しく鳳凰丸を見つめている。

 輝きのなか、彼女は、美しかった。

 その手には竹刀。風に揺らぐ膝丈のブリーツスカート。ワインレッドのジャージをはおり、その胸にはワッペンが貼ってある。そこには堂々たる筆致で

二年
南円堂阿修羅

 と書かれていた。

 鳳凰丸は思わず見とれていた。
 彼女は、ただただ美しい……そう感じた。

 ふっ、と阿修羅は笑う。

「すまない。邪魔だったかな」

「いや、いや、いや、いや!」

 鳳凰丸は慌てて手を振った。なぜか、頬が熱くなるのを感じた。

「邪魔なわけない! 僕は、き、君に会いに来たんだから!」

「私に?」

 バタバタと立ちあがる。なんだ? なんだこの感覚……。頬が赤く染まるのを感じる。心臓がドクドクといっている。奇妙な焦りを感じていた。息を吸い込み、吐きだす。なんだか、調子が狂う。

「僕は……平等院鳳凰丸。えっと、僕は」

「知っているよ。新しい風紀委員長だろう? 昨日も、ここから見ていた」

「……え?」

 鳳凰丸は怪訝そうに眉をひそめた。

「……見ていた?」

「そう。丘の上の闘い。実に凄まじかったな……」

 鳳凰丸は首をかしげ、テラスの外に視線を移した。そこには限りなく広がる雲海がある。

「あのー。雲しか見えない……けど?」

「はは、見えるさ。見ようと思えば、見える」

 阿修羅は笑った。

「んん……」

 鳳凰丸は腕を組み、うなる。
 そんな鳳凰丸を見て阿修羅はくすりと笑い、

「さあ」

 とうながした。

「私に、用があるのだろう?」

 その首をかしげた仕草は美しく……その背後では雲海がキラキラと煌めいている。風はなんだか穏やかに感じられ、彼女の艶やかな黒髪を揺らしている。鳳凰丸はいよいよ耳まで赤らめ、しどろもどろになりはじめていた。

「えっと……あの、あの」

「あの?」

「あの、あの。僕……僕……」

 鳳凰丸の頭は真っ白になっている。なにかよくわからん想いがぐるぐるとしている。目が回りそうだ! なんだこれ! そして気がつくと、こう口走っていたのだ!


「僕と、つきあってください!!!」


 ……あ。

 直後、鳳凰丸は固まり、静止した。阿修羅は驚き、目を見開いた。その仕草ですら、美しかった。

 ……あ、あれ?

 鳳凰丸はぐるぐると渦巻くなにかに飲みこまれていく……。心臓が早鐘のように打ち鳴らされている。はぁ? なんだ? いったいぜんたい、これはなんだ? 顔全体が熱く、まるで発熱したみたいだ。意味がわからない。とにかくやばい。やばいぞ。僕はいま、なんて言った? アホなのか? バカなのか? なにか、取り返しのつかないことをしでかしてしまったのではないか……? おいおい、どうすんだ、これ!

 ぷっ、と阿修羅は吹きだした。そして可憐な仕草で腹を抱え……笑いだした。

「あ、ははは! 面白いな君は! 誰もが私を恐れるのに……君みたいなやつは、はじめてだ!」

 あははは、と鳳凰丸も笑いかけ、そしてブンブン、ブンブン、と頭を振った。

「違う、違う、無し! 無し! 今の無しぃ!」

 否定するように必死に手を振る。その様子を見て阿修羅は目を見開き、あはは、とさらに可笑しそうに笑う。

「違う……いや違わないんだけど! 違うんだって! 僕は……そんなことを言うために来たわけでなく、そう、そうなんだ、明日は緊急生徒総会があってそれで君たち体育委員たちの動向を知る必要があったわけでそれでここに来て君と話をしようと思ったわけであり断じて不純な動機があったわけではなくたださっき言ったことは否定するつもりはなくて本心なんだけどでもとにかくあのその……」

 あはははは、と阿修羅はますます笑う。

「うー」

 と鳳凰丸は、泣きそうな困り顔になってうなった。阿修羅はひとしきり笑いつづけ、やがて、身を起こすと目にためた涙を指でぬぐう。そしてまっすぐに、鳳凰丸の目を見つめた。

「君、面白すぎだろう」

「う……」

 と、鳳凰丸はその眼差しを見つめかえした。吸いこまれるようだった。阿修羅は微笑み、まばたきとともに流し目で視線をはずすと、テラスの縁へと歩きだした。

「ひとつひとつ、整理しようか。まず第一に……」

 テラスの縁に立ち、鳳凰丸を振りかえった。

「私は、学園の些事に興味はない。だから、緊急生徒総会も欠席するつもりでいる。そして……体育委員たちには、銘銘、好きにするよう伝えてあるんだ。だから、体育委員として君たちを妨害するなんて、するわけがない。そこは安心してもらっていい」

 鳳凰丸は、雲海の煌めきに照らされた阿修羅を見つめたまま、呆けた顔で、こくこく、とうなずいた。

「そして第二に……」

 ふふ、と阿修羅は笑う。

「つきあってほしいという件だが」

 バクン、と鳳凰丸の心臓が高鳴った。

「急に言われても困るな。しばらく、考えさせて欲しい」

 ボンッと、鳳凰丸の頭から湯気があがった。「良かった」と、阿修羅は可笑しそうに微笑んだ。

「少し、元気になったみたいだね」

「あ……」

 その瞬間、鳳凰丸の心のなかに、キラキラとした何かが射しこんだ……不思議な感覚だった。錯覚かもしれない。でも、少し胸のつかえが和らいだ……そう感じたのだ。阿修羅はそんな鳳凰丸を見つめ、ふふ、と笑った。

「君からは、いい風が吹いている」

 そしてテラスの外を見つめ、一歩踏みだす。

「じゃあ。また、会おう」

 それはまるで、近所に散歩に出かけるような風情で。阿修羅は自然な動作で一歩二歩と進み……そして、テラスの縁から飛びおりた。

「はあ!?」

 鳳凰丸は飛びあがった。慌てて駆けより、テラスの縁から下を見た。驚きのあまり心臓が早鐘のように打ち鳴らされている。落ちゆく阿修羅はみるみるうちに小さくなり、雲海のなかへと消えていく。鳳凰丸は思わず叫んでいた。

「はああああ~、なんじゃそりゃあぁ!?」

 彼女にとって、この落下ですら日常の移動手段のひとつに過ぎない。あまりにも規格外。超弩級に想定外。それが体育委員長、南円堂阿修羅なのだ。鳳凰丸は腰を抜かしたようにテラスの縁にへたりこんだ。左胸に手をおく。早鐘のように鳴る心臓は、しばらくおさまりそうにない。

「なんなんだ、この感覚……」

 鳳凰丸は呟く。その目の前で、講堂の輝きが鮮やかなオレンジへと変わっていく。夕暮れが近づいているのだ。雲海がその光を反射して、黄色にも似た美しい輝きを放っていた。

「……うし!」

 鳳凰丸はぴしゃりと頬を叩いた。気合いだ。あらためて決心が固まっていく。明日の緊急生徒総会を、必ずや成功させるのだ。この出会いによって、その理由がまたひとつ、増えたのだ。そして。

 笑いながら、皆で、明後日を迎えるのだ。

 鳳凰丸は呟いた。

「絶対に……やってみせるよ。僕は」


 空がオレンジ色に染まりゆく。夢殿救世は出窓の縁に座りながら、静かに、その手に持つ本を閉じた。

 その本は古色蒼然としていて、どこか、尋常ではない雰囲気を醸しだしていた。裏表紙には「閲覧禁止」「持出厳禁」「問題図書」のラベルが貼られている。そしてその本のタイトルにはこう書かれている。

『再帰する生徒たちと不動点の証明』

 救世は、オレンジ色の空を見つめた。

「いよいよ明日……だな」

 そして一夜が明け。
 緊急生徒総会、当日を迎えた。

 運命の日が、やってきたのだ。

第伍話に続く


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