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逆噴射小説大賞2020二次選考結果を受けて考えたこと!

結論:気合いだな。

二次選考の結果、僕の応募作は5作品中、1作品だけ通過。通過作はこれです。

正直に言うと……全然喜んでいません!

この作品が二次選考通過したのって、実はラッキーパンチだよなと思っていて。なぜならこれって、僕自身が確信をもって書き進めたというよりは「試しにやってみた」みたいなやつだったから。なので、書いた僕自身が消化不良、未消化だったりする。

そういう意味では万が一、最終選考に残ったとしても(まず残らないと思うけど)、手放しで喜べないやつだったりするんですよね……!

反省会

ということで、反省会です。

今回、どこが駄目だったのかはダイハードテイルズの上掲記事の後半有料部分にしっかりと書かれていて(いつもありがとうございます)、個人的にそこからかなりの気づきがあった。目から鱗がボロボロ落ちた。

詳細は有料部分なので書かないけど、結局のところ「お前のその作品って、今という時代において勝負していけるものなの?」ってことなんだと理解した。

これだけコンテンツが溢れている時代において、埋もれてしまわない強度や戦略をどう培っていくのか。言われてみれば、さんざん逆噴射小説講座でも言及されていたにもかかわらず、僕はその辺、あまり意識してこなかったなあ……。そういう覚悟で自分の作品を客観視したことってなかったね……ということに今さらながら気がつく。

これはあくまでも「創作で行けるところまで行ってみたい」みたいな野心を持ってる人間にしか関係ない話ではあるけど(ぶっちゃけ僕は、自分がどこまで通用するのか試してみたい気持ちはある)、そうであるなら、その程度の客観視は大前提だということに気がつかされた。ちょっと気合足りてねぇな。

あとはやっぱ文章力ですね。僕が小説を書くようになって約2年。自分で言うのもなんだけど、けっこう良い成長曲線を描いていると思う。ただ、今までは「とにかく経験を積んだ方がいい」ということで、スパンを短めに設定して量を書いていくことに注力をしてきた。結果、小説を書くことへの慣れは出てきて目論見通りの成果は出てると思うけど、一方で、自分でも「おいおい雑だな」って思ってしまう文章を量産している感もある。

だから僕はそろそろ「丁寧に文章を書く」ということを意識してやるべき時期にあるんだろう。もっと踏み込んだ言い方をすると、言葉の置き方だとか、テンポだとか、今まで以上に時間をかけて「文章に心血を注ぐ」という経験をした方がいい。

あとは自分なりの「書きたいもの」「表現したいもの」をちゃんと自分自身の中で醸成していくことを意識したい。物語や物語世界の厚みであったり、そこから湧き上がる匂いのようなもの。そういったものを表現できるようになっていきたい。

いずれも即効でどうにかできるものではないので、時間をかけて取り組んでいくしかないのだ!

自分がやるべきことのイメージがだいぶついてきたので(ここには書いてないこともいっぱいある)、かなりワクワクしている。自分の世界の幅が広がる……楽しみしかない。

よし、やってやろう!

【おしまい】

【2020年11月27日追記】

言及いただいたので。

僕の意図が誤解されて伝わってしまう可能性を感じたので、少しだけ補足しておきます。(あ、言及いただいた記事内で僕の意図が間違って捉えられているということではないです、念のため)

僕の理路を軽く整理するとこんな感じです。

一、「自分が表現したいことを昇華したもの」、それが創作物である。
二、その表現したいという想いの強度と昇華の洗練度合いが、作品としての良し悪しの大前提となる。
三、しかし人は誰しも意識しようがすまいが、時代的背景のもとにある。
四、つまり作品の昇華において、時代的背景への自覚もまた必須と言える。
五、そして自分の創作物を「人に届けたい」と望むのであれば、時代背景や潮流に対して自覚的となり、それに対抗できるだけの強度や戦略が必要となる。
六、特に今の時代はコンテンツが溢れかえっているので、どんな名作であっても届けたい層にまったく届かずに埋もれてしまう。
七、「届けたい層に届ける努力」は時代への迎合や大衆ウケを狙うということとは異なる。もっと強かなものである。
八、そして突破し、届かせることが出来た作品の中から「時代を超える名作」も出てくる(なぜなら、埋もれたままなら時代を超えることができない!)。

もちろんこんな風に理路整然といくわけがなく(これは創作に限らず、ビジネス全般そうだと思う)、たゆまぬ研鑽、試行錯誤が必要で、当分飽きることなく楽しめそうだな!

なーんて思っている次第です。

【追記終わり】

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