赤人館の殺サンタ事件 | #パルプアドベントカレンダー2023
1. 探偵は遭遇する
探偵とは死に遭遇し、謎を解き明かし、去っていく……そういう存在だ。探偵が行くところ、常に死と謎とがつきまとう。それはもはや、宇宙の法則だと言ってもいい。
だが、それにしても……。
と、八神は思った。探偵である彼はいま、目の前の現実に戸惑っていた。
洋館の歓談室のなかだった。パチパチと、暖炉が音を奏でていた。銀の燭台の上ではろうそくの灯が揺らめき、窓の外ではしんしんと、降り積もる雪が白銀の世界をつくりだしている。
暖かく、静かな空間。
八神はあらためて床を見おろし、顔をしかめた。
サンタが殺されている――。
絨毯を、赤に染めて。
「ヒィッ……」
八神の背後で、小さな悲鳴とともにメイドが……七夕曜子がトレイを落とした。ガシャン。その音が、いっとき静寂を打ち破る。トレイにのせられていたティーカップが床を転がり、サンタの死体にぶつかって止まった。こぼれ落ちた紅茶の香り。八神は横目で曜子を見た。その表情は、恐怖によって歪んでいる。
謎を、解き明かさなければならない。
八神はため息とともに、己の存在理由を思い浮かべていく。
謎を、解き明かさなければならない。なぜならわたしは、探偵だから。真実はいつもひとつ。それこそが……いやそれだけが、探偵の存在理由なのだから。
震える曜子に八神は告げる。
「曜子さん……皆を食堂に集めてください。いま、すぐに」
2. 聖なる夜の奇跡
それはいまから二十五年前……クリスマスイブの出来事だった。
山裾の開けた場所で、焚火を前に腰をおろし、男が独り夜を過ごしていた。
男は思う。街はいまごろ、クリスマスの喧騒であふれていることだろう。だがこの静けさのなかで……俺はいま、最高に満たされている。
聖なる夜。
森と夜の闇。
冷たい冬山の空気。
暖かい焚火。
見あげれば、満点の星空。
独りですごすにはふさわしい夜だ……男はそう思った。そして、人生最後の夜としても――。
男は生きることに疲れはてていた。事業に失敗し、多くの人びとの期待を裏切り……そして、すべてを失った。
俺は充分がんばったじゃないか。もう、これで終わりでいいじゃないか……男はそんなことを考えていた。
焚火にかけたケトルを見つめる。そこには穏やかな湯気の揺らぎがあった。とっておきの茶葉をつかって、贅沢な時間を過ごそう。そうしたら、この世からおさらばだ――。
ケトルを取り、ティーポットにお湯をそそぐ。茶葉がゆっくりと開いていくさまを見つめながら、男は静かに微笑んだ。
そんな時だった。
「いい香りがするね……お茶かな」
森の闇から声がした。優しい声だった。男は不思議と恐怖も感じずに、声の主を見つめた。赤い衣装を着た老人だった。
老人は男の向かいに腰を下ろす。まったく違和感を感じさせない、自然な所作だった。老人は言った。
「わたしにも、一杯いいかね」
「ええ、いいですとも」
男はそうこたえながら、不思議な感覚に包まれていた。俺はここに、死にに来たはずなのに……。
それからしばらくの間、男と老人は語りあった。老人は様々な時代、様々な場所で起きた不思議な出来事を、身振り手振りを交えて話してくれた。楽しいひとときだった。
やがて会話が途切れ、ホー、ホー、とフクロウの鳴き声が聞こえてきたその時。
「ありがとう、おかげで体が暖まったよ」
老人はそう言いながら立ちあがった。
「こちらこそ。よい思い出ができました」
そう言う男に、老人は告げる。
「来年、またここに来なさい」
男は怪訝な表情で老人を見つめた。老人は繰り返すようにもう一度言った。
「毎年、ここに来なさい」
そして、森へと歩みながらつづけた。
「今度は独りではなく、仲間たちとともに来るんだ。わたしは毎年、あなたたちの願いをひとつだけ、叶えてあげよう」
老人は立ちどまり、首を回して男を見た。優しい笑みを浮かべていた。
「だから、死のうなどと思いなさんな」
それだけを言い残して、老人は森のなかに立ち去っていった。男は狐につままれた気分で手元のカップを見つめた。お茶はすっかり冷めていた。
空を見あげると、満天の星空があった。そのなかを、赤い軌跡を残しながら、何かが飛び去っていくのが見える。
ホーホーッホー!
老人の楽し気な笑いが、星空のなかを木霊していった。そこでようやく男は気づく。
老人は……サンタだったのだ。
3. 食堂の八人
「あなたは翌年サンタと再会し、事業を成功させるという願いを叶えてもらった。そしてこの土地に……毎年サンタが訪れるこの場所に、我々がいま居る洋館を……赤人館を築いた。そうですね、大門寺さん」
八神の問いが、食堂のなかに響きわたった。
食堂には八人……この洋館の所有者と家族、使用人、招待客たちがいた。メイドである曜子を除き、全員が大きなアンティークテーブルを囲むように着席している。
人びとの前にはティーカップが置かれ、高級そうな茶葉の香りが漂っていた。もちろん、そうして皆が着席している理由は、食事のためなどではない。
張りつめた空気のなか、八神は自然な眼の動きで全員の顔色をうかがっていく。誰もがショックを隠せない表情を浮かべている……少なくとも、表面上はそのように見える。
「そのとおりだ。だが、なんてことだ……信じられん……信じたくもない……」
テーブルの上で頭を抱え、そう呻いたのは大門寺正道。この赤人館の主人であり、大門寺グループを一代で築いたカリスマ経営者だ。五十二歳という年齢よりも若々しく見えるその顔には、いま、昏い影が落ちていた。つづいて妙齢の女が口を開いた。
「サンタが死んだって、本当なんですか……?」
彼女の名は音無佐奈子。県議会議員だ。あか抜けないが、愛嬌のある顔をしている。だがそんな彼女もまた、いまは顔面を蒼に染めていた。
「サンタが死ぬなんて、あり得るんですか……?」
そうつづけた音無の言葉を、険しい目つきの男が遮る。
「おいおい、音無さん、あんたも聞いただろ? 死んだんじゃないよ。殺されたんだよッ! サンタはッ!」
男の名は牧村大介。投資家だ。牧村はファンドを運営し、いわゆる「モノ言う株主」としてたびたびニュースを騒がせている男だった。牧村は一同を睨むように見渡してから、吐き捨てるようにして言った。
「サンタがいなければ……すべてが台無しなんだよ。どうしてくれるんだよ、クソがッ!」
「ねぇ、マッキーさぁ……」
と、牧村を諫めるように声をあげたのはナナミこと七海美奈だった。ナナミは動画配信者であり、若者から圧倒的な支持を得ているインフルエンサーだ。
「ここには子どももいるんだし……言い方、自重しなって」
ナナミはそう言いながら、大門寺の隣に座るふたりの少年を見た。大門寺家の長男長流と、次男である正吾だった。
「お気遣い、ありがとうございます」
と、長流が頭を下げる。いかにも育ちのいい、気品のある口調で長流は続けた。
「俺はもう十八です。だから、大人として扱ってくださって大丈夫です。でも弟は……正吾は」
そう言いながら、長流は横に座る弟の正吾を見た。正吾はオドオドと下を向いた。
「正吾はつい先日、十歳になったばかりなんです。だから……」
そう言いながら、長流は唇を噛んだ。ナナミは
「うん、だよねー」
とうなずく。そして批難のまなざしを八神へと向けた。
「八神さん、だっけ? あんたさぁ、何がしたいの? 子どもへの配慮が足りんくない?」
牧村も同調するように八神を指さし、色をなした。
「そうだ、そもそもこいつだ! 八神だって? そんな探偵は聞いたこともないぞ。怪しいやつ!」
やれやれ。と、八神はため息をつきながら、その場にいる人びとを脳内で整理していった。
そして、探偵である八神。いま、赤人館に滞在する人間はこの八人で全員だった。八神に無視されたと感じたのか、牧村は立ちあがり、八神を指さしたままさらに語気を強めた。
「おいお前ッ、聞いているのかッ!」
八神は哀れみの眼差しで牧村を見た。
悲しいやつ……。これからどうなるのか、知りもしないで。
そして思った。
すでに謎のほとんどはわかっている。そして、これからどうなるのかもほぼ理解している……。
「もういい。牧村君、やめたまえ」
そう静かに牧村を諫めたのは、大門寺だった。
「八神さんを赤人館に招待したのは、この私だ。そのことに、何か文句でもあるのかね?」
ぐっ。言葉に詰まり、牧村は呻いた。そして怒りの矛先を見失ったように弱々しく手を降ろしながら、
「全員わかっているだろうに……サンタがいなくなったら、すべてが台無しだぞ……」
そう呟き、着席した。
八神は一同を見渡し、声をあげる。
「よろしいですか?」
誰も発言はしない。同意を得たと理解し、八神はうなずく。
「あらためて、こうして皆さんを集めた理由をお伝えします」
誰かが、ごくりと唾を飲む音がした。
「サンタが、殺されました」
正吾の肩がびくりと震える。八神はかまわずつづけた。
「探偵としての立場から伺います。大門寺さん、クリスマスイブの夜、赤人館にはサンタが訪れる……それで、間違いありませんね」
「その通りだ。それこそがこの館、赤人館の名の由来でもある……」
「そしてサンタは赤人館に滞在する者の願いを、一人につきひとつだけ叶えてくれる……そういうことですね?」
「……そうだ」
「だから皆さんは、サンタに願いを叶えてもらうためにここに集まった。そうですね?」
牧村が忙しなく指でテーブルを叩きながら声をあげた。
「だから、なんなのよ? お前は何が言いたいの?」
「先ほど牧村さん、あなたはこう言いました――全員わかっているだろうに。サンタがいなくなったら……と。サンタが殺されたことによって、皆さんの願いは叶わなくなってしまった。そして、困ったことになっている。そういうことですよね?」
牧村は何かを言いかけ、チッ、と舌打ちをして横を向いた。ナナミが深くため息をつく。音無がぽつりと呟いた。
「どうしよう……」
「だがそもそも……」
と口を開いたのは大門寺だ。
「サンタが殺された、というのは本当なのかね。何かの間違いではないのかね?」
八神は首を振った。
「大門寺さん、あなたがそう思いたい気持ちもわかります。でも、歓談室に行ってみればいい。サンタの死体がそこにはある。曜子さんもよくご存知だ」
テーブルの傍らに立つ曜子は、死んだような表情で首を縦に振って首肯した。それを見て大門寺は大きく息を吐き、「なんてことだ」と、再び頭を抱える。
「そして……」
と八神は窓の外を見た。
「昼から振りはじめた雪によって、赤人館への山道は閉ざされています。さらに、ここには携帯の電波は届かず、電話も引かれていない。そして大門寺さん。あなたはこの場所を、一部の人間を除き秘密にしてきましたね。いわば……」
一同が八神を見つめた。
八神は告げる。
「いま、この赤人館は陸の孤島と化している」
再び牧村が、苛立った声をあげた。
「だからさぁ、お前は! さっきから何が言いたいわけ?」
「簡単なことです」
八神は淡々と応じる。
「このなかに、サンタを殺した犯人がいる。そういうことです」
その言葉に、食堂は静まりかえった。誰もが不安げに周囲の人びとを見まわした。
このなかの誰かが、サンタを殺した……。
音無が口に手をあて呟く。
「そんな……」
ナナミが顔を歪ませながら言った。
「じゃあこういうこと? あたしたち、雪がやんで、道が通れるようになるまで……サンタを殺したような危ねぇヤツと、ここで一緒に過ごさないといけないッてわけ?」
「そうなりますね」
「そうなりますねって、ちょっと!」
長流が尋ねる。
「八神さんは、探偵ですよね。なんとかできないんですか?」
八神は淡々とこたえる。
「探偵として、謎は解き明かします……謎はね。そのつもりです」
そして「まずは」と八神はつづけた。
「あらためて、この赤人館の構造について確認をさせてください。この館は――」
赤人館は、二階建ての洋館である。一階中央には玄関とエントランスホールがあり、その先には二階へとつづく大階段がある。一階右手には厨房、貯蔵室、そしてメイドである曜子の居室。
左手には配膳室、食堂、歓談室、サンルーム、トイレ。食堂には三つのドアがあり、それぞれ配膳室、歓談室、廊下へとつながっている。
二階に続く大階段は途中の踊り場から二手に分かれ、左手には四部屋のゲストルーム。ゲストルームにはそれぞれシャワーとトイレもついている。
右手には大門寺の書斎と寝室、長流の部屋、正吾の部屋、更衣室と浴室、トイレがある。
「これで、間違いありませんね?」
大門寺と曜子が同時にうなずいた。
「では、つづいて時系列を確認させてください。まず最初に、この赤人館に入ったのは曜子さん、あなたで間違いありませんね」
曜子は死んだような表情のまま、か細い声でこたえる。
「はい、そうです……。皆さまをお迎えするために、三日前にこの館に入りました……。翌日には長流様、正吾様にも合流いただいて、準備を手伝っていただきました……」
弱々しい声だった。
「準備とは何を?」
曜子の様子に見かねたのか、それにこたえたのは長流だった。
「この館は、ふだんは父が懇意にしている……信用できる業者に管理してもらっているんです。でも、業者がやるのは必要最小限、維持のための作業だけです。だから、あらためて掃除をしたり、電気や空調の確認をしたり、あとは食材の搬入とか……やるべきことはたくさんあるんですよ」
「なるほど、わかりました」
八神はうなずく。
「では、皆さんの本日の行動を確認させてください」
「本格的な検死をしたわけではないので、正確なところはわかりませんが……」
と八神はつづけた。
「死体の状態から、サンタは死亡直後と推測できました。おそらく殺されたのは、十八時から十九時までの間。つまり……直前にこちらを訪れたわたしも含めて、完全なアリバイを持つ者は、このなかにはいない。そういうことになります」
「ちょっと待ってよ」
と再びナナミ。
「そもそも、サンタってどうやって殺されてたの? 首絞められてたとか、刺されてたとかさ。それによって犯人が誰か、けっこう絞りこめるんじゃない?」
「刺殺です」
八神は淡々とこたえた。
「おそらくは、腹部大動脈切断による失血死。ほぼ即死に近かったと思います。なお、現場に凶器などは残されていませんでした。また、サンタの刺傷は腹部の一か所のみです」
ナナミは驚きを隠すように口に手をあてる。
「つまり……?」
「犯人は、人の急所を熟知している。そして、迷うことなく殺人を遂行できる……そういう人間だということです。凶器も証拠も残さずに、素早く的確に。むろんこの場合、殺されたのは人間ではなくサンタですが」
「くそッ、なんだよそれ……!」
牧村が呻き、そのまま一同は沈黙した。
4. ピタゴラスイッチ
カタカタと、正吾の震えが椅子を鳴らしていた。大門寺は頭を抱え、音無の目には涙がたまっている。ナナミは呆然と爪を噛み、牧村の血走った眼は、他人の様子をうかがうようにギョロギョロと蠢いていた。底知れぬ恐怖が皆を支配しようとしていた……その、静寂のなかで。
「ぁ……」
と、吐息のような呻きが漏れた。曜子だった。
「曜子さん!」
叫びながら、長流が立ちあがる。皆が注目するなか、曜子が床へとくずおれていく。
八神は呟いた。
「心的外傷後ストレス障害による失神……」
長流は曜子に駆けよる。長流につられるように、大門寺、そしてナナミも立ちあがる。正吾は驚いたように目を見開いていた。そのさなか、
あぁ……!
と、八神は心のなかで叫ぶ。
ついにこの時が来たか!
立つな……よせ……ッ!
よせッ!
直後。
「あが……?」
大門寺が奇妙な呻きをあげた。
「父さん……?」
曜子を抱えた長流が見あげる。その見あげた先で、大門寺は喉元を押さえ……その喉元には赤い花が咲いていた。
「え?」
赤はみるみるうちに大きくなっていく。そして、噴水のように噴きだした。ブシュ―、ブシュ―……。鮮血だった。
「父さん!」
大門寺は倒れてゆく。倒れながら、もがくようにテーブルクロスを掴んだ。鮮血に染まりながら、クロスは大門寺に引きずられ、卓上のティーカップを巻きこんでいく。カップはつぎつぎと落ちていく。けたたましい落下音。
八神にとってそれはさながら、崩壊の序曲のように感じられた。
「ひぃぃッ」
音無が悲鳴をあげ、
「うわぁぁぁッ!」
牧村が叫び、のけぞって椅子ごと倒れた。
「やだ……そんな……正道さん」
ナナミは呆然と呟く。ふらつき、大門寺へと近寄ろうとする。八神は……平常心を保とうと息を吸った。
ナナミ。お前はまだ、その時ではない……。
そして息を吐きだしながら、ナナミに向かって
「動くなッ!」
と一喝した。
「え……なに……?」
と、虚ろな表情でナナミはふりかえる。と、同時。
「それ……」
と、感情のない表情で、正吾が空中を指さした。皆の視線が少年の指さす先へと移った。
「あ……?」
そう呻いたのは牧村だった。少年が指さすその先に、かすかに空中を斜めに横切る赤い線が見えた。そこからポタポタと、大門寺の血が滴っている。八神は一同に告げる。
「鋭利に加工された、ワイヤーロープのようです」
「そんな……」
誰もが息を呑み、衝撃のあまり動けなくなっていた。そんななか、床に伏した大門寺だけがもがき、呻いていた。
「う……あ……」
その出血量から、もはや助からないことは明らかだった。大門寺はもがく。もがきながら、切れ切れに何かを伝えようと口を動かす。
「八、神……八神……」
八神はワイヤーを避け、大門寺の傍らへと移動した。大門寺は、なにかを求めるように空中に手を伸ばしていた。
「あ……ぁ、八……神、は……る……」
「え……?」
と音無が呟いた。
「春……香……春香……」
春香、すまない。
最後にそう呻くと、その腕は力無く床の上へと落ちていった。八神は大門寺の手を取った。脈を診て、それから瞳孔を確認し……無言で首を振った。
「そんな……父さん……」
と長流。ナナミは嗚咽をあげながら、床へとうずくまる。牧村が呻く。
「なんなんだよ……なんなんだよ、これは……」
「このワイヤーロープは」
と、八神は空中を横切るワイヤーロープに、慎重に触れながら言った。
「窓のカーテンレールから、テーブルの下へと伸びています」
音無がかすれた声で言う。
「そんなの、さっきまで無かったじゃないの……」
「そうですね。ワイヤーロープはカーテンのなかに隠され、絨毯の下へと這わされていたのでしょう。そして……」
八神は惨劇直前の光景を思い浮かべていた。
まず長流が立ちあがり、つづいて、大門寺とナナミが立ちあがる……。
手のひらでテーブル近くの床を押してみる。
「微かですが、床が不自然に沈みます。おそらくは床下に……全員が着席するとスイッチが入り、ふたり以上が離席すると、ワイヤーが跳ねあがる……そんな機構が隠されている」
は、はは……、と牧村は震えながら笑った。
「なんだよそれ……まるでマンガじゃないか」
「もう嫌……」
ナナミは嗚咽しながら立ちあがり、ふらふらと歩きだした。
「おい、どこに行く……」
と呼びとめる牧村に、ナナミは振りかえる。
「サンタが死んで、正道さんも死んだ……」
その表情はみるみるうちに鬼気迫る表情へと歪んでいった。
「どう考えても殺そうとしてるしッ! 犯人は、あたしたちも……全員殺そうとしてるしッ!」
「俺も、そう思います」
と、曜子を抱えた長流が賛同した。
「この食堂……なんだか変です。他にも何か仕掛けがある気がする……早く出た方がいいと思います」
「もう……嫌……ッ!」
ナナミは駆けだした。
「おい、待て……」
と、止める牧村の声も無視して、廊下へとつづくドアのノブに手をかけ、捻る。
その瞬間。
カチリ。
不気味な作動音がした。
「え?」
と見あげるナナミに、ドアの上から何かが降りそそいでいく……液体と、火花。
「ギャァァァァッ!」
明るく輝きながら、ナナミは燃えあがった。みるみるうちに、その全身が炎に包まれていく。
「ヒィッ」
音無が悲鳴をあげ、
「うわぁぁぁッ!」
牧村が叫び、転がるように逃げだした。
「なんだよ、なんだよこれ……死にたくない……死にたくないッ!」
「牧村さん、待ってくださいッ!」
制止する長流の声も無視し、牧村は近くにあった歓談室へのドアノブに手をかけ、捻った。
カチリ。
不気味な作動音がした。
「え?」
と見あげる牧村に、ドアの上から何かが降りそそぐ。
「うあぁぁぁぁぁ!」
牧村は絶叫した。だが……。
「……って、」
牧村の体は、ナナミのように燃えあがっていない。
「冷たい!? あ? なんだ……?」
牧村は呆然としながら、己の手のひらを見つめる。
「んだよこれ……。ただの、水……?」
引きつった笑みを浮かべ、
「クソッ……驚かせやがって……」
と呟くその背後で、黒焦げとなったナナミが倒れた。バタリ。
カチリ。
ふたたび、不気味な作動音が生じた。
「は?」
と目を見開く牧村に、ドアの上から何かが降りそそぐ……ドライアイスのような、煙をともなった液体だった。
「……液体窒素」
と八神が呟いた。
「ギャァァァァッ!」
マイナス百九十六度の冷気が牧村を包みこんでいく。激しい音をたて、その全身が凍結していく。
「ヒィィィィッ!」
音無が叫んだ。
八神は淡々と呟く。
「液体窒素は沸点が低く、人体との間には蒸発気体の層が生じます。だから直接肌に触れることはない……それをライデンフロスト現象といいます。そのため本来、浴びても実害がないものなんです。犯人はそれを回避するために、わざわざ水をかけておいたのでしょう……」
「冷静に、解説している場合ですか!」
長流が怒鳴った。長流は気絶した曜子を背負いながら、右手で正吾の手を引いていた。
「音無さん、八神さん。配膳室です。そっちであれば、晩餐の準備で何度も行き来しています。問題ないはずです!」
実際、配膳室側のドアは開け放たれたままだった。長流は曜子を背負ったまま、正吾の手を引いて駆けだす。
「長流くん、待って……」
音無、そして八神もそれにつづいた。配膳室の先……廊下側のドアもまた、開け放たれたままだった。
「よし、こっちです!」
長流が廊下へと踏みだした、その時。
カチリ。
不気味な作動音がした。
「え?」
つづいて、ガタンと不吉な音。
「は?」
長流たちの足元の床が開いていく……。
「え、うわぁぁぁぁぁ……!」
長流たちは落ちていった。
漆黒の、闇のなかへと。
5. そして誰もいなくなった
「ヒィッ!」
音無は戦慄き、ひきつった顔で八神を見た。
「残ったのはあなた……やっぱり、あなたが犯人なのね!」
八神は哀しげに微笑み、首をかしげる。音無は後ずさった。後ずさりながら、その視線はキョロキョロとなにかを求めるように動いている。
武器を探しているのだろう……と八神は見当をつけた。発狂寸前の笑みを浮かべて、音無は喚いた。
「何かがおかしいと思ってたんだ……。牧村のヤローが言っていた通り、八神なんて名前の探偵は、聞いたこともない……。それに、大門寺さんからも探偵が来るなんて話、聞かされてもいなかった!」
その後ずさる足が、ぴしゃ、ぴしゃ、と床のうえの水溜まりを踏んだ。
「でもね。大門寺さんの最後の言葉……それで気がついたの」
首を巡らせながら、音無の瞳孔が微かにひろがる。八神にはわかっていた。音無は見つけたのだ……背後の配膳台の上にある、ナイフの輝きに。
「大門寺さんの亡くなった奥さん……春香さんの旧姓が、八神……八神春香」
じりじりと、音無は後ずさりながら配膳台へと近づいていく。
「あなた、春香さんの関係者なのね? 目的は何なの? 春香さんが病気で亡くなったことについて、逆恨みでもしてるの……?」
八神はため息まじりにこたえた。
「言っても無駄だとわかってますが。後ろにあるナイフを手にするのは、お勧めできませんよ」
その瞬間、音無は叫んだ。
「うるせェェェーッ!」
そして驚くほど素早く、配膳台に駆けよる。
「上等だよテメェ! 殺してやンよッ!」
その手がナイフを掴んだ。刹那。
バチィッ!
すさまじい音が鳴り響き、
「ギャァァァァッ!」
音無は絶叫した。その全身が激しく痙攣していく。八神は哀れむように呟いた。
「配膳台は鉄製……そして台の上はナイフも含め、しっかりと水で濡らされている」
視線を下に移す。巧妙に隠されているが、配膳台の足には切断されたコンセントが貼りつけてある。
「ご丁寧に、配膳台側の床まで濡らしてありますね……通電のための準備は万端というわけです」
「そ……んな……」
音無は口から煙をあげながら倒れていく……。そして……誰もいなくなった。
八神は独りごちる。
「ここまでは想定通り。さて……」
廊下へと歩みよる。スマホのライトをつけて、床に開いた穴のなかを照らしだしていった。
「ここからは、解明編といきましょう」
6. 深き闇の唄
ライトに照らしだされたのは、館の下に広がる高さ二メートルほどの地下空間だった。
「……」
八神は無言で飛びおりる。館のちょうど左手と右手側に……左右にトンネル状の空間が延び、漆黒の闇がつづいていた。闇の向こうからは、不気味な何かが聞こえてくる……。
インフルエンサーが大炎上~
投資家が凍死か~?
カン高い、子どもがはしゃぐような歌声だった。それは館の右手側から聞こえてくる。不快さに眉根を寄せながら、八神はそちらへと歩を進めていく。
やがて、闇のなかに浮かびあがるものがあった。トンネルの壁に背を預け、体育座りでうずくまる人影だった。
「やぁ」
八神は優しい声音で語りかける。影の前でしゃがみ、その顔を覗きこむ。
「大丈夫かい……正吾くん」
正吾は震えながら顔をあげた。その顔は涙で濡れそぼっていた。沈黙が流れ、やがて、八神は優しく正吾の肩に手を置いた。
「君は、本当はわかっているはずだね」
「……え?」
「今日ここで何が起きたのか。犯人は誰なのか。そしてこれから、自分が何をなすべきなのかも」
「僕……」
正吾は弱々しく首を振る。
「ダメだよ……僕にはできないよ……」
その瞳から、再び涙が溢れだした。
「怖い。怖いんだよ……!」
「そうか。そうだよね。そうだったね……」
八神はため息をつくと、立ちあがった。そして、
「あまり、残された時間はないんだ」
と言いながら、正吾の目を見つめた。正吾も八神を見た。八神は微笑むと、もと来た方角を……館の左手側を指さした。
「向こうだよ」
「え……?」
「向こうに行けば、サンルームへの抜け穴がある」
そう言いながら正吾に手を貸し、引っ張りあげるようにして彼を立たせた。
「心配しなくてもいい。救助の手配は、もうしてあるんだ。ここに来る前にね……だから、怖がる必要はないんだよ」
正吾は涙をぬぐった。
「おじさんも、一緒に逃げてくれるの……?」
「……おじさん!」
八神は絶句し、苦笑した。
「……お兄さんはね、探偵だからね。謎を解き明かすのが、仕事なんだ」
そう言いながら、正吾に背を向け、再び闇のなかへと……歌声の方角へと歩きはじめた。正吾は不安げに呟く。
「僕……一人じゃ……」
そんな正吾に、八神は振りかえることなく告げた。
「君の願いは、叶っているよ」
「え……」
「君の去年の願いは、しっかりと叶えられているんだ」
――だからこそ、わたしはここに導かれてきた。
「おじさん……?」
「おじさんじゃないよ、お兄さんだよ」
八神は再び苦笑した。
「あとはお兄さんに任せて、君は早く逃げなさい。暗いから、転ばないように気をつけて……」
「……うん」
正吾はしくしくと泣きながら、闇のなかへと消えていった。その反対方向へと……歌声のする方へと、八神は決然と歩みを進めた。不気味な歌声はまだつづいていた。
電気ショックで、議員辞職~
父が、ち、血まみれだ~
ライトの光が何かを照らしだしていく。天井から吊りさげられた、振り子のように揺れている何かだった。
ブーラ、ブーラン、揺れながら
メイドが冥土ゆき~
吊りさげられているのは曜子の亡骸だった。八神は思わず目を背けた。
「曜子さんまで、殺さなくてもよかっただろうに……!」
歌が止まった。吊りさげられた曜子の向こう。闇のなかで、身じろぎする影が見えた。
「よくないよ」
ケタケタと笑い声。
「全然よくない。だって正吾以外、全員殺すって決めたんだもの」
「君は……去年のクリスマスに、サンタにそれを願ったんだね」
曜子の亡骸の下をくぐり、影をライトで照らしだした。
血走った眼が見えた。
不気味な笑みを浮かべていた。
……長流。
「そして君は業者を買収し、一年かけてこの館を改造した……今日、この日のために。そうだろう?」
「へぇ」
感心したように長流は口角を吊りあげた。
「君の殺人は、あり得ないほど正確無比だった。だがそれも、サンタがもたらした奇跡の賜物だとするなら……すべてが説明できる。そしてだからこそ、君はまっさきにサンタを殺す必要があったんだね。他の誰かが、新しい願いを言う前に。サンタの奇跡を覆せるとしたら、サンタの奇跡以外にはないのだから」
「おほっ」
と、感嘆の声。
「サンタの奇跡はサンタ自身と、奇跡を求める人びと……その双方に死をもたらした。皮肉なことにね。それが、この事件の真相だ」
「へー……八神さん、やるじゃん。じゃあ、俺の動機もわかる?」
「さぁね。動機には興味ないが……。ただ、想像することぐらいはできる。そうだね……おそらくは、母親の死がきっかけなんだろう。春香さんが不治の病で倒れた時、大門寺氏はサンタにその治癒を願うこともできたはずだ。だが、彼が願ったのは自分たちの事業の、さらなる発展だった……そういうことだろう?」
その時、八神のなかでは様々な想いが渦巻いていた。それでも八神は、淡々とつづけていく。
「そして君は母を失い、この赤人館に集うすべての人間を……そして、彼らを狂わせたサンタを……それらすべてを憎むようになった。さしずめ、そんなところだろうね」
長流はキャッ、キャッ、と楽しげに手を叩いた。
「全問正解ッ! やっぱ探偵ってすごいんだねぇ!」
「すごくはないさ」
と、八神は寂しげに笑う。
「探偵は死に出会い、謎を解き、そして去っていく……ただそれだけの存在だ。殺された人間を、救うこともできずにね」
「ふーん……あっそ。あんた、不思議な人なんだねぇ」
長流は目を細め、つづけた。
「八神さん、俺にとって、あんたは完全に想定外のイレギュラーなんだよ。だって俺、事前に来客予定はすべて確認してあったんだ。あんたが来る予定なんて、なかったはずなんだ……。俺は父さんの人脈もすべて把握している。探偵の知人なんて、いるはずがない……。でも父さんも俺も、他の皆も、突如現れたあんたを、まるで催眠にかかったかのように受けいれていた……。だから俺は思ったんだ。あんた、もしかして……」
長流は哀しげに言った。
「弟の……正吾の、願いなのかい?」
「……」
八神は何もこたえなかった。無言のまま長流に背を向け、闇に向けて歩きだした。
「えっ、つれない。もう行っちゃうの?」
「謎は、すべて解けたからね」
このあと起こることを、見たくないんだ……八神は、その言葉を呑みこんだ。
「ねぇ……正吾はどうなった?」
「……ちゃんと逃がしたよ」
「あっそう。じゃあ、もういいかな……」
八神の背後でばしゃばしゃと、液体を被る音がした。可燃性の液体特有の匂いが漂ってくる。それを合図に、八神は闇に向かって駆けだしていた。
八神の背後で、激しく何かが輝いた。長流の楽しげな歌声が、トンネルのなかに木霊する。
「長流が、灼ける~!」
長流は自らの体に火を放ったのだ。そして、八神にはわかっている……この館の到るところに、強引火性の物質が隠されていることを。遠からず、赤人館全体が燃えあがるはずだ……完全犯罪……正吾だけを残し、すべてを消し去るために。
7. 遠き思い出
正吾はしくしくと泣きながら、燃えあがる赤人館を見つめていた。思い出すのは、去年のクリスマスイブ。サンタに何を願うのか……そんな他愛もない、兄との会話だった。
「んー。俺は」
と長流は言った。
「完全犯罪者になりたいと願うね」
「完全犯罪者!?」
「そう。どんな犯行でも完璧にやってのける……そんな犯罪者さ」
長流は微笑む。優しい兄だった。
「正吾は?」
「ん~。僕はねぇ……」
その時、正吾の胸のなかに閃く感覚があった。
「そうだ! 探偵になりたい!」
「探偵?」
「うん。どんな謎だって解き明かせる、すごい探偵になるんだ」
それでね……と正吾は満面の笑みを浮かべる。
「お兄ちゃんの犯罪を、僕が防いであげる!」
8. エンドロール
正吾は……炎を見つめながら、わんわんと泣いた。
僕にはできなかった。
僕には……お兄ちゃん……。
お兄ちゃん……!
「そう、君にはできなかった。だから、わたしが来たんだよ」
八神だった。
「おじさん……」
「去年、君はサンタに願った。そして結果として、自分に呪いをかけた。どんな謎でも解き明かせる、解き明かさなければならない……そんな探偵になる、そういう呪いをね。でもいまの君には、謎を解き明かすために必要なものが……勇気がなかった。怖くて、謎を解き明かすことができなかった」
八神の背後で、赤人館が燃え落ちていく。
「でもサンタの奇跡は絶対だ。願いは成就されなければならない……。だから、わたしはここに導かれてきた。君ができなかったことを、成し遂げるためにね。まぁ、最初は何がなんだかわからずに、さすがに戸惑ったけど」
その八神の姿が、揺らぎ、かすれ、薄れていく。
「そろそろ戻る時が来たようだね」
「え……?」
「奇跡は成就した。だからわたしは、元いた時と場所に戻るんだよ」
突如、降りつもっていた雪が吹雪のように舞いあがる。それに包まれながら、八神の姿はだんだんと見えなくなっていく。
「おじさん!」
正吾は叫んでいた。
「行かないでよ! 僕を独りにしないでよ……!」
吹雪のなかで、八神は優しく手を振りながら言った。
「大丈夫……君は、大丈夫」
「せめて……」
涙を拭い、正吾は精一杯に叫ぶ。
「せめて教えてよ……名前を……おじさんの名前を、教えてよ!」
八神は優しく微笑んだ。
「わたしの名は……」
やがてその姿はかき消えて、最後に、木霊する言葉だけが残された。
わたしの名は、八神正吾。
探偵、八神正吾。
未来から来た、君さ。
超探偵八神正吾
エピソード・ゼロ
『赤人館の殺サンタ事件』
(了)
パルプアドベントカレンダー、明日はベンジャミン四畳半さんの『ビシン・トウルイ・ゲッペイ・ゴミパンダ』です! タイトルの時点でただならぬ雰囲気がある……楽しみですね!
きっと励みになります。