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遺影、準備してますか?

先日、友人と食事していた時のこと

友人「お義母さんがこないだ救急車で運ばれてさ。あせったわ~。お義母さんの遺影どうするか、まだ本人に聞いてなかったからさ」

私「え、遺影どれにするか本人に相談するの?気まずくない?」

友人「でも、大事なことやん?変な写真使うのかわいそうやん。」

私「そうやけど、タイミングむずかしくない?」

友人「そうやねん。あー、もっと早く聞いとけばよかったー。退院してきたら一緒に写真撮りに行こうかな」

私「遺影撮りにいこーっていうの?」

友人「マイナンバーカードの写真撮りにいこーっていうたらええんちゃう?」

私「なるほど。」

友人「私の両親のは、もう準備してるよ。二人ともすごく気に入ってる写真やから安心やねん。私も、息子に写真託してあるよ。いつ何があるかわからんねんから、自分で選んでこどもに託しといた方がいいよ~」

なんということでしょう。
同い年の友人が、こんなに用意周到だとは思っていなかった。
自分の寿命に対する認識の甘さが恥ずかしい。

そうだ、私だっていつ死ぬか分からない。
今自分が死んだら、こどもたちはどの写真を選ぶのか。

最近一人の写真なんて全く撮った覚えがない。
となると、みんなで撮った写真から、私だけを引き延ばすしかない。
たまに見る、ちょっとぼやけたさえない遺影にならざるを得ない・・・

私は「自分が死んだ後の世界」を想像して不思議な気持ちになった。


遺影を撮りに行こう


自分の遺影。

おそらく私が死んでから何十年か仏壇なり、棚の上なり、どこかに飾られる可能性がある。

孫「あの、ぼやけてる写真の人、誰?」

私の子「あれは、あなたのおばあちゃん。」

孫「なんか、コワイ」

そんな会話が交わされる写真はごめんだ。

若くも美しくもないにせよ、せめて優し気な印象のおばあちゃんではありたい。


両親の写真


いや、まて。
自分の遺影よりも、まず両親の遺影だ。

これはとても言い出しにくい話題になりそう。

けれど、この山、今のうちに超えておくべき山かもしれない。
ひょっとしたら、もう決めているかもしれないし。

詐欺のような何十年も前の写真を遺影にするのも違和感があるし、やはり年を取ってからの写真で一番いい顔のものを準備したい。

父はだめ。
案外ナイーブだから、この手の話題は慎重を期すべき。
ならば母から攻めてみよう。

ちょっと緊張するけど、次回母に会ったらそれとなく話題を振ってみるつもり。

両親の遺影と、自分の遺影。

ちょっと重めの課題だけど頑張ってみようと思う。

ちなみに、友人の母の写真は見事だった。
フラダンスの先生をしている彼女のお母さまは、あでやかな化粧にお花のレイと冠をつけて悠然と微笑んでいた。

感服しました。これなら何の悔いもなく天国へいけそう。

素敵な遺影を用意すれば、安心してあの世に行けるかも。
そのくらいの力が、遺影にはあるかもしれない。


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