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母からの電話① 僕が許された理由(文章)

先日、母から電話があり、ゲイとして専業主夫になったことがばれた。
しかし、意外にも許容された。
ここ1年で、急に母に歩み寄られた感じがある。

もちろん分かっている。
完全には受け入れられていないと。

「時代が受け入れるようになったものね」

母は言った。

この言葉に、母自身の葛藤の歴史が感じられた。
と、同時に僕らの歴史の長さを噛みしめるようでもあった。

母と僕は、確かに歩みよろうと努力しあっていた。
それは、僕たちなりの不器用な方法で。

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23歳の時、父にカミングアウトをした。

一生、親にカミングアウトするつもりはなかった。

当時、僕は抗がん治療が必要で、精子を作れない体になるリスクがあった。
治療前に、親は100万円をかけても精子を保存すると言った。
カムアウトせざるを得なかった。

「だから100万円かけるのはもったいない」
「そうか、わかった」

父に話をした次の朝、母に部屋に呼び出された。
父だけに「うまく進めてもらうこと」を期待したが、的は外れた。
リビングに入ると、ど真ん中で能面のような表情で母は正座をしていた。

「趣味なのよね」

「・・・お母さんは女の人を好きになること、ある?」
「ないわよ、そんなの」
「僕が女の人を好きになれないのは、それと同じ」

「お願いだから、もう全部言わないで。結婚したばかりのお兄ちゃんに、どう迷惑がかかるか分からない。」

真っ白な世界。


僕は親を信用することをやめ、一人で生きていく事を決めた。

2週間ほどで家を探し、一人暮らしを始め、それからは羽を伸ばした。
同じ境遇の同世代達と知り合い、語らい、取り戻すように青春を謳歌した。
謳歌しまくった。

正月。

いまいましい帰省は、楽しそうにする演技が終わると3時間程で帰った。
全部言うなというなら、言わないでやる。
毎年、親との接点は正月だけと決めた。

けれど、人間とはおかしなもので。

38歳になったころだった。
親の寿命を考えると、あと20回ほどしか悪態をつけないことに気が付いた。

自宅から実家は近い。
全部を言わないにしても、会おう。

会う回数は年に1回が、5回へ。5回が10回へと増えていった。

親を憎んでいたが、結局好きだったのである。

帰省しても、主に母による父の愚痴を聞くだけだが、それが面白い。

思い出す。僕は兄たちと10歳ほど離れていたので、学生時分は母とよくウィンドウショッピングをした(ユニクロとかで)。
その時から、母とは女友達のようだったな・・・。

実家に帰る度、母は「泊まっていけば」と言うようになった。
母も、息子のことが好きだったのである。


ある時、飲み会で終電を逃した。
事前に連絡を入れ、実家に泊まりたいと母の許可を得た。
(実家への終電はあった)
実家に着くと、まだ明かりは着いており、台所で洗い物をする母がいた。
と、テレビに「マツコ会議」が映っていた。
母は振り返らずに、布団は敷いてあるといった。
何かの変化を感じ取り、その後、夫(当時は恋人)と喜びを共有した。
今までの母から、ゲイを連想させる番組を流すなど考えられなかった。


最近の母の愚痴は、もっぱら兄達の孫についてである。
大きくなり、遊びに来なくなったというのだ。
そんなもんだねと、笑い合えるようになった。

父は温厚だが口数は少ない。
「おお」とか「帰ってたのか」ばかりだが、それも楽しい。

――いつからか、父の会話がおかしいことに気付いた。

2年が経つころには症状が進行し、「認知症」と認定された。
車のアクセルとブレーキを間違えて、発進時に事故を起こしたのである。
自治体から主治医を紹介された。

地域のつながりを気にしてか、主治医に突っ込んだことを聞かなかった母。
1年が過ぎても、検査ばかりで進展がないため、僕は主治医と話をしたり、セカンドオピニオンをセッティングした。
兄達との情報連携もした。

そして、症状の原因が特定できた。
・・・とうとう今週、手術をする。(症状を軽減できるらしい)

専業主夫になったため、ずいぶん「認知症」も調べることができた。
夫にはとても感謝している。

母も僕に感謝しているようだった。


そして、先日の「仕事を辞めてないか」の電話が、母からあった。

あの電話で、母と共に「もういいよね色々」と話をしているようだった。
建て前では、いろいろ言っていたが。

カミングアウトした当時、僕を激しく拒絶した母。

18年経過し、僕と母は本当の親子の「入り口」を見つけたのかもしれない。
それは、不器用ながらも歩み寄った結果だと信じたい。

「時代が受け入れるようになったものね」
母は言った。

ここ数年で「LGBT」は急激に市民権を得た。
メディア、政治の力にも、僕ら親子関係の改善は助けられたと思う。

しかし、僕ら親子の歴史は、始まったばかりである。


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