親に勘づかれる、そして(文章)
認知症の父は、今週末、手術の手筈となった。
あれよあれよと手続きを済ませ、東京の病院から自宅マンションに帰る。
玄関を閉めると、夫がテレワークで寝室からキーボードの音がした。
着替えを済ませたところで、スマホが鳴った。
「お母さんよ。さっきはありがとう」
「どうしたの」
「聞こうと思っていたんだけど」
「うん」
「あんた会社辞めてないわよね」
「あー」
6月末で20年弱務めた会社を辞め、専業主夫をして3か月が経つ。
しかし、時期が来てからと思い、黙っていた。
「どこまで聞きたい?」
おかしいと思ったのよ、と母の微かなため息が聞こえた。
「前に実家に来た時、IT業界は転職しやすいとお兄ちゃんに言ったでしょ」
「それは、その、僕のお相手さんが転職したばかりで知識があって」
「あなた働くのよね」
小窓から夕日が差す。目の前のビルや、学校の校舎が見える。
人も見えるが静かだ。
「働くんでしょ」
「いや。一緒になろうと言われたから」
「辞めた理由、そっち」
以前から夫の存在は匂わせていたため、母は状況を察知したようだった。
「つまり専業主婦のイメージ」
「うん」
「私は2人とも働いているから安心してたのよ?収入は大丈夫なの」
「そのためにお相手さんも転職をしてくれて、家計簿も今は問題ない」
「お相手は5つ下でしょ、捨てられる可能性あるわよね」
「そんなの男女でも同じでしょう」
母は矢継ぎ早に心配事項を並べ立てたが、男女も同じと僕は返答し続けた。
「若い人にはいつか捨てられる」という母の感覚は笑ってしまったが。
母親とのゲイの話で笑ってしまうなんて――。
夕日はなにか物悲しい。
はじまりのような、終わりのような。
しかし、今はどこか暖かく感じる。
「私は本当にお父さんと馬があわなかった。でも子供がいたからここまでやってこれたのよ。あなたたちには居ないでしょ、子供。」
「お母さんはお見合い結婚だったもんね。でも、僕たちは本当に気が合っているから」
「老いていくあんたを見て、お相手さんが若い子に走ったら・・・」
「子供なんていなくても大丈夫。僕はお母さんの子だよ?ちゃんとした人を選んでる。安心してほしい。」
街が暗くなり、だんだん車や電車の音に変わっていった。
どれだけの時間、話をしているだろう。
それに――
「僕だって、好きな人の子供は欲しいよ。生物学上、無理ですけど」
「そうね」
「だから、2人で働き続きるのももちろん素敵だけど、1人が働き、1人が何かを作り出すのも楽しそうって、2人で決めたんだ」
扉の奥でキーボードの音がする。夫はまだ仕事を続けているようだ。
僕の電話する声が大きくなったので、届いてもおかしくはなかった。
この力説は、聞こえたら恥ずかしい。
「僕は自分のことを、差別しているんだよ未だに」
「・・・」
「自分がこんなんだって、本当は受け入れ切れてないんだよ」
「そうよね」
「小学生の時は、誰にも看取られず死んでいくことを想像してた」
思い出す。あの時のリアルな恐怖感。
「死ぬ覚悟だよ。お母さんと同じことを、3か月前、何度も自分に言った」
でも、
「でも幸せになれる可能性が、少しでもあるならって――」
母のため息。
ただし、18年前と種類が違う。
電話の奥から理解しようとする雰囲気が感じ取れた。
「お母さんも生い先短くて、どうこう言う感じではないし」
どこか優しくて、理解しようとしているため息。
「何が幸せか、わからないものね」
何も言えなかった。
僕には温かい言葉に聞こえた。
母も自分自身に言っているようで。
当時僕を傷つけた母はおらず、本音を絞り出している1人の人間がいた。
どこか嘘くさかった母は居ない。
「親としては働いてほしいんだからね」
「はい」
その後、父の病気の話を数分し通話は終わった。
リビングに戻ると、いつも通りのソファと明かりがついている。
奥ではキーボードを打つ音。
先ほどの時間が嘘のように、そこに「現実」があった。
どこか夢だったような、先ほどの時間。
現実的な母との時間だったはずなのに、現実味がない。
すこし荷物を片付けていると、扉が空き、夫が仕事を終えた。
時間はすでに22時を過ぎている。
「一緒に飲みに行こう!」
家から数分の居酒屋にいき、串焼きとサワーを頼む。
向かい合って座ると、夫の目が死んでいるのがわかった。
最近、仕事が遅い夫。やけ食いモードになりたいようである。
早々に世間話を落ち着かせ、先ほどの母との話をした。
夫の目は生き返り、喜んで、感情移入までした。
「よかったね!」
良かったんだと夫が教えてくれた。
次第に実感がわき、嬉しくて、最後は焼き鳥を注文しすぎてしまった。
帰り道にぼうっと夜空を眺める。
数日後に、父の手術。
父は母より要領が悪いけれど、家庭が好きな人だった。
だから、母よりも先にカミングアウトできた。18年前のあの時に。
元気になってほしい。
歩く夫を横目に感じながら、そう思った。
夫も家庭が好きな人だから。
<参考>その時の母の詳細な電話内容
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