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【『パンと牢獄』連載⑧】チベットのソウルフード「ツァンパ」、ご存じですか?

『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』の著者、小川真利枝さんが、ご自身が体験したチベットにまつわるあれこれを語ります。今回は、チベット料理についてです。

■『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』

 みなさんは、「チベット料理」と聞くと何を思い浮かべますか?

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 ※チベット風餃子「モモ」

わたしは、熱々のスープに平べったいすいとんが入った「テントゥク」を思い浮かべます。鶏ガラスープにスパイスが絶妙にマッチした香りをかいだだけで、とたんにチベットやダラムサラの記憶がよみがえるからです。米国でラモ・ツォたち家族を撮影中、娘のダドゥンがつくってくれた「テントゥク」は、格別でした。なんだか懐かしく、「おふくろの味」のような感覚でいただいた記憶があります。食べものには、遠い記憶を呼びさます魔法があるように思います。

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 ※ダドゥンがつくったパクチーたっぷり「テントゥク」

チベットでは、熱々のスープにさまざまな種類の麺(粥)が入った料理を総称して「トゥクパ」と呼びます。きし麺のような手延べ麺(長さはまちまち)は「テントゥク」、貝殻型のニョッキのような麺は「パクトゥク」、たまご入りの麺は「ギャートゥク」などと細かく呼び名が変わります。

 チベット語では、これらの料理を「食べる」といわずに、「飲む」といいます。寒冷の高山地帯を生き抜く知恵でしょうか。麺を食べるだけではなく、スープごとゴクゴクと飲み干すのです。肉の旨味たっぷりの出汁に、大根や人参などの根菜が入った栄養満点で優しい味のするスープ。「飲み」終わった頃には、体の芯までぽかぽかと暖まり、鼻の頭に汗をかいているほど。けれど、夏でも食べたくなるのが不思議です。

 「テントゥクとパレ(チベタン・ブレッド)、そしてダライ・ラマ猊下はアムド地方出身なの。アムドってすごいのよ」(*1)

 ふるさと自慢をするときの、ラモ・ツォの常套句です。食べ物とダライ・ラマ14世を同列に並べるのはどうかと思いますが、いつも誇らし気に、これらのルーツがアムド地方にあると教えてくれました。たしかに、ラモ・ツォたち家族がつくる「テントゥク」はとびきり美味しく、麺の生地を超高速でちぎって鍋に入れていく姿は圧巻でした。上手なひとがつくる「テントゥク」の麺は、目分量でちぎって鍋に投げこむだけなのに、すべて同じ大きさの麺になっていて、ぐつぐつと煮えたぎった鍋のなかを美しく舞うのです。

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 ※大鍋でテントゥクをつくる

トゥクパと同様に、チベット人のソウルフードといえば「ツァンパ」という食べ物です。ハダカムギを炒ったもので、日本でいう「麦こがし(はったい粉)」のこと。このツァンパにバター茶などを入れて、手でこねこね団子状に練って食べます。巡礼の途上で栄養補給にしたり、朝ごはんにしたり、小腹が空いたときにささっと食べていて、日本でいう「おむすび」のような存在です。

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※何度か登場しているノルギャおじいさんの朝ごはんはツァンパ

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 ※ツァンパ団子の完成形。バター茶とともに。

わたしがダラムサラに滞在しているとき、このツァンパにまつわる、あるTシャツが流行りました。

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 「tsampa eater(ツァンパを食べるひと)」という言葉が胸元に大きく書かれたTシャツです。この言葉には、じつは、深い意味が隠されています。1950年代、中国人民解放軍がチベットを「解放する」という名目でチベットに入ってきたとき、チベットのひとびとを団結させるために、生まれた言葉だからです。

 歴史学者のツェリン・シャキャさんは、「1950年当初、チベットは言語や慣習が多様なため、チベットとしての統率力に欠けていた」といいます。そんなとき、1952年に、インドのカリンポンで発行されていたチベット語の新聞社「チベット・ミラー」が、“Tsampa eaters(ツァンパを食べるひと)”と書いて、こんな呼びかけをします。

 「わたしたち、ツァンパを食べるひと、チュバ(チベットの伝統的な民族衣装)を着るひと、サイコロを振るひと(チベットの遊び)、生肉と乾燥肉を食べるひと、仏教徒、チベット語を話すひと……わたしたちは、“中国の”占領を終わらせる努力をしなければなりません」(*2)

 ツァンパは、チベットのひとのアイデンティティを統一するためのアイテムとして使われたのです。

 さらに4年後の1956年、「チベット・ミラー」は、“ツァンパを食べるひと”へ、「心をひとつに」そして「立ち上がれ!」と再び呼びかけます。ツェリン・シャキャさんは、この呼びかけが、1959年、ラサに何千人もの抗議者が集まった”チベット蜂起”に繋がったきっかけのひとつだといいます。

 「仏教がチベットの性質をあらわす原子なら、ツァンパはチベットの性質をあらわす粒子です。ツァンパを用いたことで、方言、宗派、性別、地域主義を超越したのです」(*2)

 ツァンパは、チベットのひとにとって、あらゆる違いを超えて“チベット人である”というアイデンティティを呼び醒す魔法の食べもの。そしてこの「tsampa eater(ツァンパを食べるひと)」という言葉には、そんな意味が込められていたのです。ツァンパは、日本では、東京にあるチベット料理店タシデレレストランで食べることができます。ぜひ、いちど味わってみてください。テントゥクもおすすめです。
 
 次回も、引き続きチベット料理について。ラモ・ツォがつくっていたチベタン・ブレッドの作りかたを写真つきでご紹介します。

*1 「パレ」は、ラモ・ツォが毎朝つくって道端で売っていたチベタン・ブレッドのこと。アムド地方では「ゴリ」と呼ばれる。ダライ・ラマ14世は、アムド地方・タクツェル村(現・青海省西寧市)出身。
*2 こちらの記事を参考に書きました

パンと牢獄_書影オビあり

『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』

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