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【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第一章 4/岩井三四二

(第一章 死と隣り合わせの任務 )

四 

 陸軍は毎年秋に、国内の一カ所をえらんで特別大演習をおこなう。
 大正元年秋の特別大演習は、天皇陛下を大元帥として埼玉県川越町の仮設大本営にお迎えし、この、第一師団などを南軍、第十三、第十四師団などを北軍として実施された。
 第一師団などの南軍は相模さがみ方面から北上し、第十三師団などの北軍は加茂かもみや粕壁かすかべの線に防備をかためている、との設定で、川越、所沢、立川たちかわを会戦地として、合わせて五万人ほどの兵で攻守を競うのである。
 研究会の飛行機をこの大演習に参加させるかどうかは、上層部の中でかなりもめたようだった。
 手持ちの飛行機はあるが、どこまで飛べるかはこころもとない。飛ばしたのはいいが、多くの参加者たちの見ている前で墜落などしたら大恥をかくこととなり、その後の飛行機の普及に障害となる。
 それに、もし天皇陛下のご覧になる前で墜落などしたら、それこそ大ごとだ。当分、飛行機は日の目を見なくなるだろう……。
 上層部の中には時期尚早だとする慎重論者が多かったが、気球研究会の中に積極論者がいて、結局はその強硬な意見がとおり、飛行機は大演習に参加することとなった。
「そりゃまあ、もちろん出るのがいいに決まってますよ。金ばかり食って役立たずだと思われちゃ、困りますからね」
 と武田少尉が言うように、訓練生たちは参加に積極的だった。ここまで数カ月訓練してきて、みな自力で飛べるようになり、自信らしきものも芽生えていたからだ。
 それに、演習となれば両軍に分かれるから、当然、飛行機も最低二機は参加するはずだ。一機は徳川大尉が乗るとして、もう一機には訓練生の誰かが乗ることとなる。
 大演習での史上初の飛行機乗りになるという功名心が、誰の胸にもある。
 英彦も自分こそは、と期待を抱いていたが、演習開始の一週間前に徳川大尉が指名したのは、八の字髭の木村中尉だった。
 腕前は自分の方が上だと思っていたが、徳川大尉の目にはそうは映っていなかったようだ。がっかりした。
「光栄であります。何としても任務を完遂してみせます!」
 と木村中尉は張り切っている。考えてみれば木村中尉は訓練生の中では最先任で、練習も講義も取り組む態度は真面目そのもの。徳川大尉にも従順な優等生だったから、選ばれても不思議はない。
 徳川大尉はブレリオという単葉機に乗り、木村中尉は会式機を使うことになった。
 ブレリオ機はフランス製の飛行機で、ファルマン機や会式機とちがって主翼が一枚の単葉機である。そして発動機とプロペラが機首についていた。会式機より格好がいいので訓練生たちには人気だ。
 演習の当日は、所沢の飛行場のほか、いるがわの河原とむらに仮飛行場をもうけて、飛行機が発着できるようになっていた。
 木村中尉以外の訓練生と整備員は、その三カ所にわかれてひかえ、飛行機の整備に万全を期すよう命じられた。
 演習一日目の昼下がり、英彦は入間川の河原に出張していた。木村中尉の飛行機を援護、すなわち、所沢から飛んでくる飛行機にはガソリンと潤滑油を、操縦者には水とおにぎりを供給する役割である。
 この近くには天皇陛下のだてしょ(野外での視察所)がある。陛下に飛行機の勇姿をご覧いただこうという魂胆もあって、仮飛行場をもうけたのだった。
 援護役は、飛行機が来なければすることがない。近くにあった枝ぶりのいい松で、英彦は懸垂をはじめた。
 体力があり余っているせいか、ついどこでも運動をしてしまう。他人の目が気にならなくもないが、軍人なのだから体を鍛えるのは当たり前だ、と胸の内で言い訳をしている。
「よくやるな」
 と案の定、徳田中尉がぎょろりとした目を細めて冷やかす。英彦は応えた。
「いっしょにやりませんか」
「いや、遠慮しとく。変人に思われたくないからな」
「なに、これくらい大丈夫ですよ。懸垂、得意でしょう」
 徳田中尉はがっしりした体をしており、柔道も得意だった。夏に隊の中で行われた武道対抗戦で、気球班との試合では先鋒せんぽうをつとめ、背負い投げ一本勝ちでひとりを抜き、ふたり目で引き分けた。副将で出て三角さんかくめで一勝をあげた英彦とともに、勝利の立役者となったのである。
「うーん、しばらくやってないが……」
 と腕組みをして迷う風情だ。
「競争しましょう。じゃあまずは私から」
 英彦はさっさと松の枝に両手をかけ、二十二回までかぞえて力尽きた。すでに三十回ほどやっていたから、実際は五十回以上となる。
「よし、長州ちょうしゅう男児の心意気を見せちゃる」
 というと徳田中尉は松の枝にぶらさがり、苦しげに二十三回をかぞえたところで枝から落ちた。
「武士の情けだ。これで許してやる」
 と、はあはあと息をつきながら言った。
 二時半になると、そろそろ見えるころだと、訓練生は仮飛行場に出て空をあおいだ。所沢を出発したときに電話があり、到着予定時刻が知らされていたのである。
 青く晴れあがった空には、高いところに筋雲がかかっているだけ。これなら遠くまで見える。
「お、来た来た」
 と最初に声をあげたのは、英彦だった。青い空の中にぽつんと豆粒ほどの機体が見えたのだ。
「どこだ」
 と徳田中尉に問われた。あそこだ、と指をさすと、徳田中尉は目を細めたが、
「見えんぞ。本当に来たのか」
 などと言う。英彦にはもう、複葉機がやや前下がりの姿勢で飛んでいることまで見えている。
「ちげえねえ。会式機だ」
 視力には自信がある。三百メートル先の的を狙う小銃の射撃演習では、的は胡麻ごまつぶほどの大きさにしか見えないが、そのどこに弾が当たったか、裸眼ではっきりわかるほどだ。
 士官たちは厳しい身体検査をくぐり抜けて士官学校へ入ってきているので、概して目のいい者が多いが、その中でも英彦は群を抜いていた。
 聞き覚えのある爆音が響いてきたころになって、徳田中尉にもやっと見えたらしい。
「おお、無事に飛んでいるな」
 などと言っている。
 いまだに、実際に飛んでいる姿を見るとほっとする。会式機に対する信頼度は、その程度である。
 そもそも会式機というのは、さほど飛行経験とてない徳川大尉が、ファルマン機を真似まねわらばんに定規をつかって描いた図面が基になっている。所沢飛行場の格納庫の片隅で、兵たちとともに大工の手を借りて機体を作り、そこにフランスから輸入したグノーム式発動機をつけたという、まさに手作りの飛行機なのである。
 布張りの翼を中から支えるための小骨は木の板から切り出したのだが、その材木を徳川大尉自身が本所ほんじょ木場きばまで行って選んできたとか、曲線を描くその部品をのこぎりで切り出すのがむずかしかったとか、苦労話はいろいろと聞かされた。だがそれだけにいかにも素人細工であり、聞けば聞くほど、本当に安全に空を飛べる仕上がりになっているのかと、不安になるのだった。
 高度を下げた機は、着地したかと思うと二、三度跳躍した。危なっかしい着陸だが、それでもちゃんと滑走路上に止まった。
「よし、点検と整備だ」
 と、英彦は整備員たちと機体に駆け寄ってゆく。
 機体からは、木村中尉より先に、後席に乗っていた大柄な将校が下りてきた。そして駆け寄ってくる整備員たちには見向きもせず、司令所のある建物へと駆けていった。
 ここでの飛行機の役目は、偵察だった。
 操縦者と別に養成された偵察将校をのせて敵陣の上空まで飛行し、四、五百メートルの高さから目視で敵のようすを観察する。そしてその内容を文書にして通信筒に入れて投下するか、着陸後に口頭で司令部に報告する、という手はずになっていた。
 駆けていった将校は、司令所にある電話で、偵察内容を本部に報告するのだろう。
「どうですか、敵陣の上を飛んだ気分は」
 と英彦は、会式機から下りてきた木村中尉に問いかけた。
「別に。練習飛行と変わらん」
 差し出された水筒の水を飲みつつ、木村中尉はぶっきらぼうに答えた。
 何が不満かと不思議に思ってさらに聞くと、後席の偵察将校に、もっと下がれだの右へ行けだのと命令された上に、思うように操縦できないと罵声を浴びせられたという。
「飛行機乗りといっても、これじゃあ馬車の御者と変わらん。面白くないな」
 とこぼすのだった。
「そりゃ気分悪いですねえ」
 と英彦も同情したが、はっとするところもあった。
「空を飛ぶといっても、所詮は飛行機もただの乗り物ってことですかね」
「今のところはな。お客を乗せて飛ぶだけだ」
 自力で飛行をしてもどこか不満を感じていたのは、その点だったのかもしれない。
 飛行機は馬車や自動車とはちがって、移動するばかりでなく、なにか別の可能性のあるものだと思っていたのだが、現実に兵器として見ると、使い方は限られるということだ。
 そんなことを考えていると、
「飛行機を偵察だけに使うのは、もったいないと思う」
 と木村中尉は髭をでつつ言う。
「おれは敵軍の上空を飛んだのだ。つまり、敵陣に入ったわけだ。しかも上空からなら敵の居場所もはっきりわかるし、敵兵や砲も上空への備えなどない。砲弾をもっていって、上空から落としてやったらよく当たるのに、と思ったな」
 砲兵出身らしいことを言うな、と英彦が思っていると、
「おお、そりゃいい」
 と徳田中尉も賛成する。
「おれは飛行機に機関銃をつけたいな。上空からなら塹壕ざんごうにひそむ敵でも撃てるから、味方の兵が突撃をする時に助けになると思う」
 こちらは歩兵出身だけに、また違ったことを考えている。
「なるほど。ただの乗り物じゃなくって、武器にもなるってことだ」
 ふたりの考えを、英彦は新鮮な響きとして聞いた。
「そんなことをしたら、地上から撃たれるぞ。あの行灯飛行機じゃあ、すぐに撃ち落とされそうだ」
 とおなじ訓練生のおかならすけ中尉が言う。こちらは騎兵出身である。
「それに砲弾も機銃も重いぞ。積めるのか。ファルマンも会式機も、人がふたり乗っただけであっぷあっぷしているじゃないか」
「ああ、発動機をもっと強力なやつにしないと、厳しいな」
「いずれにしても、偵察だけが飛行機の役目ってことはない。そのうちいろいろとやるようになるさ」
 と木村中尉が言って、話を締めくくった。
 仲間たちの話にうなずきながら英彦は、
 ──いや、それだけでなく、まだほかに何かある。
 という気がしていた。飛行機にはもっと大きな可能性がある。それが何かはまだわからないが。
 大演習の中、飛行機は何度も偵察飛行をしたが、三日目に事故が起きた。
 木村中尉の会式機が谷保村の仮飛行場から飛び立ち、所沢へ帰る途中、あと少しで飛行場が見えるというところで、発動機が止まってしまったのだ。
 機が失速する中、機体はしっかりしていたので、木村中尉は惰力で滑空しつつ不時着できそうな平地をさがした。だが広い平坦へいたん地まで行き着けず、畑に着陸はしたものの、すぐには止まれなくて林に突っ込んでしまった。
 木の幹にぶつかった機体は大きく損傷したが、幸いなことに操縦者、後席の偵察員ともに大きな怪我けがはなかった。
 ──起こるべくして起きた事故だな。
 と英彦は思っていた。訓練中でも、発動機はしょっちゅう不調になっていたのだ。やはり飛行機は危険な乗り物なのである。
「大切な機体を壊してしまい、申しわけありません」
 と木村中尉は悲愴な顔をしていたが、徳川大尉と上層部は、
「ま、これくらいならよしとしたものだ」
 とおおらかな態度で許容していた。
 人員にも民間にも被害がなかったこともあるが、それより大きく目立つような場所での事故でなく、世間からの非難もなかったことが、上層部を安心させたらしい。
 大演習は、北軍が防衛線を維持し、攻撃側の南軍が撤退する形で、予定通りに四日間で終わった。
 木村中尉や英彦らの不満はあっても、飛行機からの偵察の結果は、軍の上層部に高く評価された。
 これまで偵察といえば、騎兵が敵に近寄ってようすをうかがうのが主流だった。
 馬の背の上から見渡せる範囲はせまいため、ひとりの騎兵が得られる情報は限られている。そのため戦場全体の偵察には多くの騎兵が必要だった。
 ところが飛行機を使えば、上空から広い範囲を見渡せる。
 一度に敵の情勢が明らかになる上、偵察者はひとりでよい。さらにそのひとりを将校にすれば、兵や下士官よりも的確で深い偵察ができる。つまり偵察の効率と確度が、一気に高まるのである。
「これからの戦争には、飛行機が欠かせなくなるぞ」
 と、軍の上層部の者から言われたほどだった。操縦者たちの思いとは別のところで、飛行機の評価は高まっていた。

次話に続く)

【前回】

プロフィール
岩井三四二(いわい・みよじ)
1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」で第64回小説現代新人賞を受賞し、デビュー。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』、『絢爛たる奔流』、『天命』『室町もののけ草紙』『「タ」は夜明けの空を飛んだ』など著書多数。

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