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【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第一章 3/岩井三四二

(第一章 死と隣り合わせの任務) 

三 

「このグノーム式発動機というのは、ちょっと変わった構造になっている」
 その新しい教官は、訓練生たちをファルマン機の横に立たせて、発動機を指さしながら言った。
「気筒が七つ、星形についているだろう。このひとつひとつにピストンがあり、中央のクランク軸につながっている。ああ、発動機ってのは、この気筒の中で爆発が起きてピストンが上下動し、その動きでクランク軸を回す仕組みになっている。それは習ったかな」
 教官の問いかけに、訓練生たちは硬い表情でうなずいた。教官はつづけた。
「ふつうの発動機はこの気筒が固定されているのに、グノーム式はこの気筒が回転するようになっている。回転しながらバランスをとって、ついでに冷やすようになっているんだな。発動機の気筒ってのは、中で連続して爆発が起きるから、熱をもつ。だからどうしても冷やさないといけない」
 教官はそう言いながら、いとおしむように発動機に触れた。
「十分に工夫されてるんだ。飛行機といい発動機といい、工夫の塊だよ」
 うっとりした表情になる。軍務にあってはあまり見たことのない表情である。
「で、冷却効率がいいから、性能もいい。そして五十馬力と力が強いわりには軽い。だから飛行機につける発動機としては、世界でも首位にある」
 ほう、と声があがる。はじめて知った。少なくとも徳川大尉は教えてくれなかった。
「でも、気筒が回るってのは、ちょっと無理がある。仕組みが複雑になるから、整備が大変だ。そのうちにこの仕組みはすたれるんじゃないかな。気筒を固定した発動機がいずれは主体になっていくと、ぼくは思うよ」
 と話をむすんだ教官は、
「じゃあつぎに補助翼の説明をしようか」
 と言い、主翼のほうへ顔をむけた。
 新しい教官はしげきよたけという。
 目立つほどの長身で、頭が小さく手足も長い。その日本人離れした体にグレーの半ズボンをはき、白の開襟シャツを着ている。
 服装が示すように、新しい教官は軍人ではない。しかしフランスで飛行術を習い、万国飛行免許を得ている。すでに百時間以上も飛行しているという。
 徳川大尉も万国飛行免許をもっているが、フランスでの飛行時間は合わせて一時間ほど、日本でもここまで十五時間程度だというから、おそらくこの滋野清武氏が、現時点ではもっとも飛行に慣れた日本人ということになるだろう。
 そこを見込まれて、軍用気球研究会に迎えられたのである。といっても厚遇されているわけではなく、「ようがかり」という待遇だった。かわりに自ら設計した飛行機──フランスで製作し、海路輸入した。「わか鳥号」と名付けている──を所沢の飛行場におき、滑走路を使うことを許されていた。
 軍人でもなく、私費でフランスまで行って飛行術を習い、しかも自作の飛行機までもっているとは、いったい何者かとみな興味をもっていた。
 講義の合間に聞いてみると、どうやら生家が男爵位をもつ名家で資産家なので、そうしたことができたようだ。なるほどと思っていると、滋野男爵はさらに意外なことを言った。
「フランスへは、はじめは音楽の勉強に行ったのですがね、行ってみると向こうでは飛行機が盛んで……」
 そこに引っかかった武田少尉が、
「え? 音楽でありますか」
 と頓狂な声でたずねると、
「ええ。ぼくは東京音楽学校(現在の東京藝術大学の前身のひとつ)を出ていましてね、だから職業は音楽家ということになりますか。専門はコルネットという、ま、ラッパですよ。ラッパ吹きの勉強をしようとフランスへ行ったところが、飛行機に魅せられてしまいましてね、のめり込んじゃったんですよ」
 と言って滋野男爵は笑っているが、訓練生たちはぜんとして聞いていた。
 軍があつかっているのだから、飛行機は兵器の一種である。その兵器の使い方を、音楽家という軟弱な人種に教えてもらうとは、どうも違和感がぬぐえない。
 しかし滋野男爵は飄々ひょうひょうとしている。そしてフランスで訓練を重ねて自信があるのか、飛行機に関する説明は堂に入ったものだった。今日も前もって、
「まずは飛行機の各部分のはたらきと仕組みをざっと説明しよう。操縦方法は、またつぎの時間だね」
 と言い、訓練生たちをファルマン機の前につれてきたのだ。滋野男爵の教え方は、座学でもなく実技でもなく、実物についての説明から始まったのである。
 これは新鮮だった。
 座学は数式をふくむ理論が主体でむずかしいばかりだったし、飛行機の実物とのつながりもよくわからない。
 また徳川大尉の実技は、だまって見て触れて覚えろといった硬直した教え方だったから、なかなか身につかない。
 そこへゆくと滋野男爵は、実物に触れながらそのはたらきと特徴、あつかい方をやさしい言葉で教えてくれた。
 これは理論と実技のあいだの隙間を埋める形となり、訓練生たちの頭に染みこんでいった。教えがわかりやすいのは、自分が体で覚えたことだけを、自分の言葉で伝えようとするからだろうと英彦は思った。
 ファルマン機に同乗しての飛行訓練でも、滋野男爵は徳川大尉より口数が多く、丁寧に教えてくれた。
「ええ、たしかにフランスでもこうやって教えていましたよ。体で会得するには、これがいいんでしょうね」
 飛行中に操縦桿に手を添えるやり方についてたずねると、男爵の回答は明快だった。
「で、飛行中に大切なのは、常に五感をはたらかせることです」
 男爵はつづけた。
「耳は発動機の音を聞き、異常がないか注意し、鼻も、焦げ付きや油漏れがないかどうか、異常を感知するのに役立てる。それなら同乗していてもできるでしょう」
 なるほど、と英彦はうなずく。
「目は四方八方に配って、風や霧、雲のようすをいち早くつかむ。地上の木の枝のなびきようを見れば、風の方向がわかります。舌はさすがに役に立ちませんが、体の平衡感覚で機体の傾きを感知する。ただ操縦桿の動きだけを覚えるのでなく、そうしたことを、いまのうちに会得してください」
 こうして数日のあいだ同乗飛行をつづけた。すると英彦をはじめ訓練生たちはみな、滋野男爵の腕前の確かさに気づき、感心することとなった。
 まず、飛び方がなめらかだった。上昇や下降をするときでも旋回するときでも、とにかくなめらかに加速し、なめらかに減速する。がくがくとした段差がない。がたんと急降下したり、ぐいっと急上昇しておどろかされることもない。飛行中の機体は安定していて、左右にぶれることも少ない。
 男爵の着陸は、着地直前に機体を垂直にすとんと落とすようなやり方で、機体は一度も跳ねることなく、すんなりと減速して止まる。フランスで百時間以上飛行した、という経験は伊達だてではないのである。
 それにくらべると、徳川大尉の飛行は荒かった。上昇も下降もぎくしゃくしており、水平飛行中でも機体が上下左右にぶれる。着陸のときも、着地後に機体が跳ね上がることがしょっちゅうある。
「男爵を目録認可とすると、大尉は初伝を得たか得ないか、といった腕前だな」
 と木村中尉などは剣術にたとえて評する。
「もっともおれたちは、まだ素振りもおぼつかぬ初心者だが」
 そうして訓練を重ねてゆくうちに、ついにその日がきた。
 朝、課業をはじめる前に、男爵は訓練生たちにいつもと変わらぬ調子で言った。
「じゃあ、今日はあなたがたに操縦してもらいましょう」
 聞いた訓練生たちの口から「おっ」という声が漏れた。
 とうとう自力で飛行する日がきたのである。うなずいて白い歯を見せる者や、腕まくりする者もいる。
「ええ、徳川大尉とも話して、そろそろいいだろうってことになりましてね。今日は風も穏やかだし。ぼくがうしろに乗りますから、指示に従ってください。もちろん緊急時は、ぼくがうしろから操作します」
 秋のしが柔らかく滑走路を照らしている。風はなく、観測所の上に立つ吹き流しは垂れたままだ。
 すでにファルマン機は格納庫から引き出されている。整備員たちは点検に余念がない。
「じゃあ、飛行前の点検からやってください。すべてよければ、飛びましょう」
 最初に飛ぶことになった英彦は、教えられたとおりに主翼から胴体、プロペラ、尾翼まで点検し、機体にゆがみや破損がないか、張線が切れていないかを見た。ついで操縦席に乗って操縦桿を動かし、補助翼が操作どおりに動くかどうか確かめた。そしてガソリンや潤滑油の量を点検し、
「機体、すべて異常なし!」
 と勢い込んで報告した。男爵がうなずく。
「つぎは発動機だ。機体を押さえよ」
 と命ずると、整備員六人が機体にとりつく。
 英彦は操縦席に乗ったまま、
「発動機、始動!」
 と声をかけた。
 英彦の背後で爆音が起きる。最初は不規則だったその音が、やがて連続した一定の調子になってゆく。
「よさそうだね。では行きましょうか」
 と、滋野男爵が背後の席に乗りこんできて言う。
 いよいよ自力で空を飛ぶのだ。
 ひとつ深呼吸をすると、英彦は左手をあげた。整備員たちが機体をはなし、脇へ飛びのく。
 ファルマン機は前進をはじめた。速度があがってゆく。景色がうしろに飛んでゆき、興奮で熱くなった顔に風圧を感じる。胸の鼓動は大きくなり、こめかみに響くほどだ。
「それ、このあたりだ」
 五十メートルほど滑走したところで、操縦桿を引いた。
 だが機体はそのまま前進してゆく。
 ──上がらない!
 ひやりとした。操作を間違えたのか。
 だめだ、やりなおしだ。発動機を切らねば……。
 と思ったとき、機体がふわりと浮いた。そのまま上昇してゆく。
「ああ、ちょっと早かった。今日は風がないから、もう少し滑走して速度をあげてからでしたね。いまは偶然、向かい風が吹いたのかな。あとで、揚力を得るための相対速度を勉強し直しですねえ」
 うしろからそんな声が聞こえる。まるで日常のあいさつのようなゆったりした調子だったので、英彦も落ち着きをとりもどした。
 ──ここまで訓練を繰り返したんだ。うまくいくに決まっているぜ。
 上昇をつづけると、眼下に見える滑走路が小さくなってゆく。
「そろそろ操縦桿をもどして。今日はそれほど高く昇らないほうがいいでしょう」
 と男爵の声。英彦は操縦桿を中立にもどした。高度は五十メートルほどか。
「さて、つぎは水平飛行ですね。高さを保ったまままっすぐ行きましょう」
 英彦は「はっ」と返事をし、操縦桿を保持する。
 まっすぐに飛行するくらい簡単だと思っていたが、そうでもなかった。上空には風があり、いまは右に押されている。また機体はほうっておくとなぜか左に行きがちだし、だんだんと上がってゆくようだ。少しずつ操縦桿を動かす必要があった。
 考えてみれば、翼には迎え角がついているから、前進する限り揚力がはたらいて上に昇ろうとするのだ。まっすぐ飛ぶためには、迎え角を殺すよう、少し機首を下げなければいけない。
「そうそう。少しずつ、小刻みに。決して大きく動かさないで。大きな動きに耐えられるような機体じゃないですからね」
 と男爵は不気味なことを言う。英彦は機体の反応をたしかめつつ、どきどきしながら操縦桿をあやつった。
 ここまできて、やっと周囲を見まわす余裕ができた。うしろに流れてゆく下界を見るのは快感だった。
「おお、飛んでいる。自力で飛んでいる!」
 念願を果たし、空中を自在に飛んでいる。人類が数千年、いや数万年のあいだ、夢を見ながらも果たせなかった空を飛ぶという行為を、自分はいまこの手で行っているのだ!
 かなりの時間、飛んだように思えたが、実際はせいぜい二、三分だろうか。男爵が、
「じゃあ、そろそろもどりますか。左旋回はできますか」
 と言う。英彦は操縦桿を左に倒した。機体が少し傾き、同時に左に向かってゆく。なぜかこれまで、旋回は左へしかしていない。飛行機は左曲がりしかできないようだ。
「おっと、そのあたりでもどして。曲がりきったあとで操縦桿をもどしたのじゃあ、遅すぎますよ。半ばまで曲がったら、少しずつもどしていく」
 男爵の指示にしたがって、英彦は操縦桿をゆっくりともどしていった。おかげでほぼ正確にU字型に旋回できた。
 あとは滑走路にもどり、着陸するまでだ。
 滑走路が前方に見えてきた。その横にある観測所の上に立つ吹き流しを見ると、右方向に小さく泳いでいる。少し風があるようだ。
 飛行術の中では一番むずかしく、事故が起きる可能性も一番大きいといわれている着陸である。英彦は額と首筋に汗を感じた。
「はい、このあたりから降下して。そうです。スロットルを絞って。発動機を止めちゃいけません。何かで着陸をやめて、ふたたび舞いあがることになるかもしれませんからね。絞って、だんだん速度を落として」
 滑走路が迫ってくる。
「そろそろ操縦桿をもどして。そう、小さくもどして。あとは水平に。おっと、もどしすぎだ!」
 という言葉のとおり、ファルマン機の尾部が先に滑走路についた。いやな音がしてがくんと衝撃があり、英彦は前にのめる。そのあとで主車輪が着地した。
「こりゃあ、機体を少々傷めたかな」
 男爵が困ったように言うので、英彦もあせった。機体が止まってから見てみると、上翼と下翼をつなぐ張線が幾本か切れていた。これは張り替えねばならない。だがほかに損傷はないようだ。英彦はほっとした。
 整備員が鉄線をもってきた。張り替え作業をながめながら、英彦ははじめての飛行を頭の奥でふり返っていた。
 ──これでいいのかねえ。
 ともあれ自力で飛行をやり遂げたのだが、感激の一方、なぜか不満が残っている。
 空を飛ぶという行為は、こんなものではないはずだ、もっと心が震えるような素晴らしい体験のはずだと思う。
 滑走路の上で整備員たちに修理されているファルマン機を見ながら、英彦は不満を解消するためにも、もっともっと飛ばねばならないと思っていた。

次話に続く)

【前回】

プロフィール
岩井三四二(いわい・みよじ)
1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」で第64回小説現代新人賞を受賞し、デビュー。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』、『絢爛たる奔流』、『天命』『室町もののけ草紙』『「タ」は夜明けの空を飛んだ』など著書多数。

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