「真っ直ぐに流れない。だから誰かに届く」寺地はるなさん最新作『水を縫う』/紫原明子さんによる書評を全文公開!
「男なのに」刺繍が好きな男子高校生の清澄(きよすみ)。「女なのに」かわいいものが苦手な姉の水青(みお)。「愛情豊かな母親」になれなかったさつ子。「まっとうな父親」になれなかった全と、その同居人の黒田。「いいお嫁さん」になるよう育てられた祖母の文枝――。
寺地はるなさん『水を縫う』は、世の中の<普通><当たり前>から弾かれ、痛みを抱え生きている彼らが、一歩前へ踏み出していく姿を描き出す、清々しい家族小説です。
『家族無計画』や『りこんのこども』など家族や社会をテーマに執筆する作家・エッセイストの紫原明子さんが、この物語をたっぷりと味わい、読み解いてくださいました。「青春と読書」2020年6月号掲載の書評をこちらに転載いたします。(イラスト/生駒さちこ)
【書評】真っ直ぐに流れない。だから誰かに届く
評者:紫原明子(作家・エッセイスト)
瀬戸内にある豊島美術館に、アーティスト・内藤礼さんによる「母型」という作品が展示されている。天井の2箇所に開口部が設けられたドーム状の大きな建物で、中に入ると足元のいたるところから絶えず少量の水が湧き出している。水は一定量溜まると床のわずかな傾斜に沿って滑らかに流れ、流れた先で大小さまざまな泉を作る。
この美術館が大好きで、もう何度も通っている。不思議なことに、同じ場所から同じ様に湧いているはずの水は、決していつも同じ様には流れない。真っ直ぐ、一直線に泉を目指すものもいれば、右に左に曲がったり、思わぬところで止まってしまうものもいる。だから美しく、面白い。
本書を読み終えたときふと、あの豊島の美しい水の流れを思い出した。登場する家族やその周りの人たちは皆、自分だけの泉の在処を知っている。楽しい。可愛い。愛しい。やってみたい。心の中で誰にも言わず密やかに育てた美しい感情が少しずつ流れ出し、いつしか自然と自分だけの泉を目指し始める。ところがいざ意気揚々と足を踏み出そうとしたと
き「そっちじゃない」と、他者に乱暴に行く手を塞がれてしまう。全員がそんな心の傷を負っている。
性別や年齢、社会的立場によって定義され、押し付けられる「普通」の窮屈さを、誰もが何かしら味わったことがあるだろう。また日常の中で意図せずして「普通」を押し付ける側に回ることもあるかもしれない。たしかに身に覚えのある登場人物たちの痛みと同時に本書は、他者に「普通」を強いる側にいるかのように見える人もまた、過去のどこかで「普通」を強いられる側であった背景をも描く。
しかし、さまざまな理由から一度は「普通」に自分を収めてしまったとしても、誰かの澄んだ水に接することで私たちの心は洗われ、再び自分だけの泉を目指すことができる。作中に描かれる健気で愛おしい人々の営みに、そんなたしかな希望をもらった。
(「青春と読書」2020年6月号より転載)
『水を縫う』の詳細情報はこちらから!
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