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死と向き合う

鎌倉へ引っ越してきて早2年が経とうとしている。
1年目はまだコロナが流行っていたこともあり、ひっそりとくらしていたのだが、2年目は怒涛の展開で、鎌倉での人脈が急速に広がっていった。
個性的でパンチの効いた人も多く印象深い。

東京は街が広過ぎて、1度会った人と2回、3回と会う機会はなかなか無いものだが、鎌倉は結構狭い街なので、2回目3回目、飲み屋でバッタリ会うこともあれば、街を歩いていたら会うことも頻繁にあるし、スーパーで遭遇することも多々ある。

そうしていく内に、自然と人間関係が出来てくるのが実に面白い。(もちろん自分から積極的に関わっていく姿勢があることが前提なのだが)

鎌倉に引っ越してきてからの出会い約1年と言う短い期間ながらも、一緒にクルージングに行ったり、お花見をしたり、年越しをしたり、秋刀魚を焼いたりと、クリスマスしたり、節目の行事や色んなイベント、飲み屋だったり宅飲みだったりで、濃厚に楽しい時間を一緒に過ごした友人が、2022年10月21日に突然亡くなった。

死因は不整脈による心不全だった。
あまりに突然だった。
まだ少し実感が無い。

他の友人たちは僕よりも彼とずっと古い付き合いなので、僕の悲しみなんかよりもきっともっとずっとずっと深いだろう。
それでも、まだ付き合いの短かった僕ももの凄く悲しい。

出会ってから約1年と言う短さだったけれど、東京に住んでいた頃にはそもそも友人と会う機会が少なかった僕にとっては、鎌倉で出会った友人達と共有した1年はそれに比べると遥かに多く濃密で濃厚だった。
それ故に、共に過ごした体感時間をもっと何年にも感じる。

彼の悪態も飲み癖も真面目さも優しさも笑いのセンスも、今となっては全てが愛おしい。

今回の彼の突然の死に際して、色々動いた周りの友人達。
それを見て、ああやはりコミュニティは大事だな。と思った。
そして彼を取り巻くコミュニティの人たちは本当に優しいなと思った。
大事に思うから大事に思われる。きっとそうなのだろう。

みんながそれぞれ自立しているからこそ、つい疎遠になりがちな距離感。
でもだからこそコミュニティを大事にしたいと思った。
これまでも決して蔑ろにしていたわけではないのだが、一人で自己完結していることが多く、たまに「約束をして遊ぶ」友人はいても、日常の生活の中に溶け合うように存在している友人が居たことはあまり無かった。

それは東京での暮らし方と似ているようで少し違うような部分かもしれない。感覚的な部分が多く、言語化するのが非常に難しいのだが。

ただ今はまだ彼の死が悲しく、もっともっとたくさんの時間を共有したかったし、出来ると思っていたので、喪失感が大きい。

日常に戻るとどうしても忘れがちなのだが、やはり会いたい人にはちゃんと会うべきだし、伝えたい思いは悔いの無いようにちゃんと伝えておきたい。
自分自身としても今日が最後になってもできるだけ後悔の無いように。

出会ってから別れまでが1年で怒涛過ぎるよ。
まだ別れは経験したくなかったよ。早過ぎるよ…。

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