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学問のすゝめ

実体験を踏まえて、教育格差=経済格差 について触れてみようと思う。

まずは結論から言うと、教育格差は経済格差に直結すると思うし、これは意外にも当事者意識が低かったりするので結構深刻な問題だと言うこと。

振り返ること、わたしの小学生時代。

わたしの通っていた小学校はごく普通の市立の小学校だったのだけど、ちゃんと制服があって、それは中学校、高校にも同様に制服があった。

東京に出てきて他の人たちの育った環境を聞いて初めて気づく事も多い。
小学校は私服で通っていた。と言う意見が結構多く見られて、ずっと制服のある環境で育ったわたしはどこの小学校にも制服があるものだと思っていた。

制服と言うのは非常に便利で、その日着る服を考えなくても良いのはもちろん、各家庭の経済状態も隠してくれる便利なものである。
特に市立の学校には経済状況が様々な子どもが通っているので、私服だとそれは如実に現れそうである。

そう言う効果もあってか学生時代、周りに極端な経済格差みたいなものは見え難くなっていた様な気がする。
もちろんそれでも、相手の家に遊びに行ったりすると、どうしても家の立派さや生活のクオリティが見え隠れするものはある。

当時は考えもしなかったが、大人になって自分の育った家庭を客観視すると、我が家の経済状況は恐らく、下の上か中の下。と言ったところだったと思う。

働くことしか選択肢が無い

わたしの最終学歴は高卒である。
当時は高校を卒業したら、音楽の専門学校に行きたかったのだけれど、両親からは

「親としてサポート出来るのは高校まで。あとは自分で何とかしなさい。できれば就職しなさい。」

と送り出されたので、無一文のわたしは就職を決める他に選択肢はなかった。その為に高校は進学校ではなく、県立の工業高校の情報技術系の科を選択した。

今思い返すと、当時高校ではC言語やCOBOLなどプログラミングの勉強をしていたので、もっとしっかり学んでおけば今やかなり高所得なプログラマーになれたのでは・・・。と思うこともあるが、プログラミングの記述を筆記でさせていたような授業だったのではやりそれは無いかも。
その授業のあまりの難易度故に、初っ端から成功体験を挫かれたので、少しはプログラミングも理解出来るようになった今となっては授業内容にいささか疑問を抱かずにはいられない。

さて、話が少し逸れたが、高校在籍中に決めた東京の就職先の就労条件は、

■週6日 8:00〜17:00頃までの労働(日曜のみ休み)
■2LDKのマンションに2人の先輩と4人の新人同期、計6人で住まう寮暮らし
■手取り額は寮費の2万円を差し引かれて、おおよそ11万程度。
■業種:ダクト工事・配管

西暦2000年。就職氷河期真っ只中と言われた当時、ちょっとプログラミングをかじっただけの高卒の小僧が働けるホワイトカラーな職場なんて皆無なのである。
これがわたしの初めての職場の就労条件である。

なかなか文字にする機会がなかったので、この部分少し詳細に残しておこうと思う。

初めての職場は蟹工船?

上京して初めて働いて分かる事はたくさんある。
実際は始業が8時からなだけで、現場によっては朝5時に起きたりも頻繁にあったし、現場が終わるのが17時なだけで、事務所に戻って日報やら工具の片付け、翌日の現場の準備をしていたら、実際に完全に終わるのは20時頃。なんてこともザラだった。

更に寮での生活は4人の新人が日替わりで夕食を当番で作ると言うシステム。
1室に2人の先輩。1室に2段ベッドを2つ入れて新人4人はそこに寝るスタイル。
なんだこれ?現代版蟹工船なのか?まだマシなのか?笑
救いだったのが、同期の他3人や、先輩2人が本当に良い人柄であったと言うこと。

口に出された事は無かったと思うけれど、
社長のマインドが「社員は家族」的なものであった事。
実際に部長だかは社長の実の弟だったし。
今ならわかる。その「社員は家族」精神がいかに危ういことかを…。

ただただ客観的に見れば、労働力の搾取以外に考えられないし、残業代なんてものはなかったし、明らかに労基違反もの。
ただついこの間まで田舎の高校生だった奴に、スマホもSNSも無い当時、社会の何がおかしいのかを中々簡単に見抜けるものではない。
「そう言うものだ」と言われればそう言うものだと信じてしまうものなのだ。

辞めるきっかけは「学びへの欲求」

そんな労働環境にいつまで居続けたのか?
おおよそ3ヶ月である。
わたしの中では、上京と就職はあくまでも最初のステップであり、お金を貯めて音楽の学校に行くと言う秘めたる目標があったために、その目標達成までの道のりを逆算すると、お金を貯めるどころか、時間さえもここに居ることでどんどん遠ざかってしまう…。
頭の中でサイレンが鳴った。緊急避難アラートである。

「決めたら行動」はこの当時から変わっていないのかも….。
辞めることを社長に告げると、掌返しで態度が悪くなったように感じた。仕事で使う作業道具や工具は個人買取りとなり、最後の給料から天引きされた。
最後にもらった給料は4万円だった。
ちなみに、個人買取となった工具一式は送ってもらえなかった。引き取りに行くのも気まずかったので、それはもう捨てたものとして諦めたけど。

会社を辞めたことを鹿児島にいる両親に電話で告げると、「たった3ヶ月で辞めるだなんて根性無し」だのと散々罵られ、2度と帰ってくるなと言われた。
音楽の学校に行くことを言っても、「夢みたいなことを言うな」と言われた。
それからしばらく家族との連絡は一切遮断して、同じタイミングで上京した幼なじみの部屋(会社の寮)に少し厄介になったりして、バイトを探しながら何とか生活の基盤を作って生きながらえてきた。

その後、あっという間にアルバイトで働いた方が圧倒的にお金も時間も、東京での初めての友達も作れるようになったので、わたしの選択に全くの後悔などなかった。

ここまでが、わたしの高校卒業〜はじめての就職編である。

その数年後、自力でお金を貯めて、専門学校ではないが、松任谷正隆氏が主宰するマイカミュージックラボラトリーと言う音楽学校の作曲クラスに通うこととなる。

高校までの学校教育とはまるで違う。それが大学

さて、ようやくなのだけど、なぜわたしが教育格差は経済格差に直結すると思うようになったのか。
そう決定的に思ったのは意外にも遅かった。わりと最近のことである。

20代の中盤からわたしの仕事のベースはWeb制作やデザインを中心としたものになっていったのだけど、それらは全て独学で身に付けたものだったので、腹の底にある”デザインの基礎を学びたい”と言う欲求&コンプレックスが日増しに大きくなっていったので、2016年頃に武蔵野美術大学の通信学部に入学して、しばらく通信教育にて大学生として勉強をしていた。

通信教育と言っても、季節ごとに数回ある現地大学でのスクーリングと直接の教授の授業を受けたりは、通常の学生と変わらず。
これまでに経験したことのない「レポート」の提出はその中で特に新鮮であり、「大学たる」を最も感じたものであった。

「あなたの感想は求めていない。ちゃんと信頼性の高い根拠を示せ。」と何度言われたことか。何度も書き直しては再提出の繰り返し。
根拠となる資料を調べたり、あくまでも客観的な視点から論じたり、感想ではなく見解を述べる。
そこに学校で用意された答えは無いのである。

これらはわたしが高校までの勉強でやったことのない勉強方法だった。
ましてやこれまでの仕事の中でもそれをちゃんと意識したことはなかった。
それは非常に新鮮だったし、衝撃的ですらあった。目から鱗が落ちるとは正にこのこと。
わたしは当時で既に30歳を超えていたので、感じ方もまた学生とは大いに違ったのかもしれない。

大学で学べることはもちろんこの「レポート」だけではない。
ただこの「レポート」一つをとってみても、この勉強の考え方と言うか、思考。これを若い内に学んでおくことは、非常に有益だと思った。
ムサビの通信はわたし自らが望んで学びを求めて入学したのだけれど、大学というのは受動的に教えてもらうのではなく、能動的に学びに行くところであるのだと再認識した。
それが比較的、受動的に教わる高校までの学校教育と決定的に違うところだと思った。

勉強に対する姿勢が明らかに異なる教育機関で4年間勉強するのと、していないのでは、やはりその思考力には差がでてしまうのは必然ではなかろうか?そして、その思考力のある人間と無い人間どちらを企業は雇用したいか?
言わずもがなである。
(もちろん大学に行かなくとも素晴らしい人は沢山いるので、そう言う人たちを決して批判しているわけではない)

結局は行った人にしかわからない

ただ、結局は行った人にしかわからない。わたしにとっては衝撃的だったレポートも、他の人にしてみれば大したことのないことかもしれない。ただそれもこれも行った人にしか判断しようがないのである。
わたしの両親は2人とも高卒だから、そもそも大学の良さや行くメリットなんて知りようが無いのだ。メリットも良くわからないから子どもにも勧めようとは思わない。むしろ「余計にお金がかかる」くらいの認識なんだと思う。

もしわたしに子どもができたとしたら、きっとわたしは大学へ行くことを勧めると思う。
もちろん子どもが行きたく無いと言うならば無理強いはさせるつもりはないけれど、選択肢は提示してあげたい。
そして金銭的に厳しい場合の可能な限り行け得る大学の選択肢も提示してあげたい。

でも恐らくこう言う考えに至るのは、全て経験や知識に基づいているからであって、知り得ないものに対しては提示しようがないと思う。

もちろん”大卒だから素晴らしい”わけではない。重要なのはどう言う姿勢で大学生活を送り学んできたのか。だから。
ただ高卒で、しっかり学んできた大卒者と同等の思考力を身に付けるのは、そう容易いことでは無いように思う。
そう言った点からも、企業側で単純に「大卒者のみ」とセグメントされても致し方ないところはあるし、やはり実績が無い内はそのラベルで給与に差が出るのも致し方ない。

結論

わたし自身の育った家庭を顧みても、

親が高卒 → 大学に行くメリットが良くわからない → 子どもにも勧めない → 子どもは就職して大人になる → 最初に戻って繰り返し

基本はこのループで延々と繰り返すように思う。

では、これが不幸なのか?
否。
これで不自由な暮らしをせずに生きていけているならば、決してこれが不幸とは思わない。
「上を見たらキリがないでしょう?」と言う人もいるだろう。
そしてその生活で生まれ育ったものにとってはそれが普通となるのだ。
経済的貧乏や裕福の定義も人それぞれだ。

わたしの目線では、

マイホームを建てて、新車の車を買える。(都心ではなく田舎の話ね)

↑経済的にはこれで普通、もしくは十分裕福だと考えている。
我が家にはマイホームを建てたり、新車を買える財力も無かった。
それが不幸だったかと言うとそうではない。
「なら良いじゃない」そんな声が聞こえてきそう。

ただ、自分の世界の中で生きている内は幸せだけど、一度外の世界を見たらどう思う?
本当はもっと選択肢や可能性があったんだと知ったら?
悲しいよ。
「じゃぁ知らないままの方が幸せでいいんじゃない?」そんな声が聞こえてきそう。

これまではそれでなんとか成り立っていた社会のように思うけど、今の日本を見ていると、それが少しずつ壊れそうな気がして怖い。
つまり、

マイホームを建てて、新車の車を買える。(都心ではなく田舎の話ね)

この基準が更に下がるような気がしてならない。
より生活はひっ迫され、気にならなかった生活もいよいよ苦しさが目に見え始める。
そして基本的に今の社会というのは強者が弱者から搾取する構造になっている。

そうならないためにも、文化や教育、社会のことを色々学ぶことは巡り巡って自分の力となる。
だから、学びの歩みを止めず、常に学び進んでいくよう自分自身にも言い聞かせている。

かなり長くなったが、これらがわたしが教育格差は経済格差に直結すると思う理由である。

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