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好きになってはいけないひとを好きになってしまったときに考えたい、ひとを好きになるということについて

ときどき、きまった恋人のいる女の子から「ほかに気になるひとができてしまったんだけど、どうしよう」という相談を受けます。そういうとき、わたしはいつもいいじゃんいいじゃん〜すきになっちゃえば〜と言います。本当にそう思っているからそう言います。でもたいていの場合、彼女たちは自分のことを責めに責めに責め続けていて、できれば想いをぎゅっと押し込めて、そのうえに分厚い蓋をして、さらに頑丈な鍵をかけようとしています。

ひとはさまざまな理由で「このひとを好きになってはいけない」と思うようです。気になってしまった、恋人ではないひとに。結婚をしているけれど、どうしようもなく魅力的なひとに。職場のひとに。身内のひとに。自分と同じ性別のひとに。もしかすると今これを読んでくださっているあなたにも、鍵をかけて閉じ込めている、あるいは閉じ込めようとしている「好き」の気持ちがあるのかもしれません。

あなたは優しいのだと思います。わたしは悪い女なのでそう思います。なぜなら「このひとを好きになってはいけない」と思うときあなたは、だれか別のひとのことを考えているはずなのです。それはあなたの恋人かもしれないし、あなたの好きなひとかもしれないし、その彼女や奥さんかもしれないし、もしかしたらあなたの子どもかもしれないし、まあいろいろなケースがあると思うけれど……とにかくあなたはあなた以外の、べつの誰かのことを心配して、胸を痛めているのだと思います。

優しいあなたは、ここまでたくさん、自分で自分を責めて、傷つけてきたことと思います。お疲れ様でした。良く頑張りました。正しくて良いことを言ってくれるひとはすでに世の中にたくさんいるので、たまには悪い女が、悪いことを言ってあげたいと思います。できればあなたの心が少しでも軽くなりますように。もうこれ以上、自分を責めないで済みますように。

ひとを好きになるということについて本気出して考えてみる

そもそも、この世に「好きになってはいけないひと」なんていないでしょというのがわたしの考えです。あなたは誰のことを好きになってもよくて、その気持ちはあなただけのもので、誰にもじゃまされるものではないとわたしは思います。

というか、誰かを好きになるというのは、眠いとか腹減ったとかと同じくらい生理的な現象で、止めようと思っても止められるものではないのだから、むしろ止めようというほうが無謀のような気がします。それは明日から絶対にお腹を空かさないでくださいと言われているのと同じです。

このことについては、すでに芥川龍之介が「恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである」と100年近く前に書いていて、まさにその通りだと思います。ちょっと夢のない感じもするけれど、たぶん恋心の正体ってあんまりきれいなものではなくて、おそらく芥川先生の言うように、それは性欲に基づいた何かなのでしょう。つまりほとんど本能で、だからそう簡単にはコントロールできないのです。

とはいえ、では本能のおもむくまま生きていくのがいいかというと、社会生活を営む以上、そういうわけにもいかないのがむずかしいところです。芥川先生の「恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたもの」発言にも実は続きがあって、それは「少なくとも詩的表現を受けない性欲は恋愛と呼ぶに値しない」です。ようは性欲をなんらかの「詩的表現」(これは「理性」と置き換えることもできると思います)で包んでこそ人間らしい恋愛ということです。芥川先生は本当に賢いひとです。

いったん話をまとめます。人間には本能と理性があって、人を好きになるということは(あるいは性欲に基づいているかもしれない)本能なので、こちらをコントロールするのはほぼ不可能です。つまり、「このひとのことは好きにならないようにしよう」と意地になったり、「どうしてわたしはこのひとのことを好きになってしまったんだ」と自分を責めてもどうしようもないということです。どんなに祝福されない恋でも、だれかを好きになるというのは素敵なことだと思います。胸を張って好きでいてください。わたしたちがどうにかしなければならないのは本能ではなく、あくまで、理性のほうなのです。

理性について考えてみる

人が人を好きになる現象を本能だとすれば、誰と付き合うのか、誰と結婚するのか、誰と関係を持つのか……みたいなところを決めるのが理性だと思います。たとえば、きまった恋人がいるにもかかわらず気になるひとができてしまったという場合、気になってしまうのは(本能なので)仕方ないとして、では恋人と別れるのか、付き合い続けるのか、気になるひととどれくらいの関係まで踏み込むのか……などが理性の問題になるでしょう。

こうして考えてみると、理性の問題とはほとんど善悪の問題になります(浮気は悪いことなのかとか、二股は悪いことなのかetc.)。ただ、この「善悪」がどう定義されるかは、時代とか社会にかなり依存している、ということは考慮しても良いと思います。

たとえば、今の日本では同時に複数人を好きになること=浮気とか不倫とかセフレ、は一般的にはあんまり良くない、となっていますが、昔は(おそらく江戸時代あたりまでは)一夫多妻制のコミュニティがあったり、お妾さんなんていうのも普通に存在していたわけです。反対に、同性愛はこのごろすこしずつ認められるようになってきたけれど、国によっては宗教上の理由等で未だ絶対にゆるされないというところもあります。要するに、よくもわるくも善悪なんていうのはその程度のものということです。無視していいとまでは言えないけれど、時代や国が違えば180度変わってしまうもので、この日本でだって明日には変わるかもしれないものだということです。

だからいろいろの物事に対して(現実的に捕まってしまうので、犯罪になるようなこと以外は)自分なりの善悪を考えておくことは大切なのではないかと思います。世間や周りが良いと言うか、ではなくて、自分は良いと思うかどうか、をまずひとつの判断基準にしてみてもいいのではないかと思います。

特に恋愛においては(繰り返し書きますが、犯罪になるようなこと以外は)自分と相手でルールを決めて良いというか、決めていかなければならないものですよね。それこそどこからが浮気なのか、とか、どれくらいLINEをしていればOKなのか、キャバクラはいいのか、風俗はいいのか、みたいなところはかなり個人差があると思います。だからこそ、自分の価値観と相手の価値観をしっかり把握して、ある程度擦り合わせておくことも必要になるだろうと思います。

わたしはどう思うかについて考えてみる

以上を踏まえて、ここからは、あくまで個人的な見解になりますが、わたしは、個人的には、気持ちのことをあんまり信用していないので、問題にするのは行動のほうだけでじゅうぶんではないかと思っています。わたしが気持ちのことを信用していないことについてはこちらにも書いていますが、なぜ気持ちのことを信用していないかというと、目に見えないからです。

気持ちなんて、まったく不確定なものだと思っています。大きさも測れないし、明日には変わるかもしれないし、そんなものを深く信用している方が、わたしは恐ろしいです。ときどき、浮気の線引きについて「心の浮気をしたら(=好きだと思ったら)アウト」と言うひとがいますが、じゃあどれくらい好きになったらアウトなのかな?と個人的には思います。正直に言えば、多かれ少なかれわたしは恋人以外のみんな、たとえば男友達とか、もちろん女友達のことも好きです。それが、恋人のことが「好き」という気持ちとどう違うのか、どれくらい大きさが違うのか、説明しろと言われてもちょっとむずかしいです。

なのでわたしは、いつも行動のほうだけを問題にしています。なるべくひとに対しても、そうありたいと思っています。わたしは恋人のことが、たしかに好きです。でもそれを証明する手段は、実際に多くの時間を一緒に過ごしていることとか、彼の好きなものや嫌いなものをたくさん覚えていることとか、一緒に行きたい場所があることとか、直接好きと伝えられることとか、そうやって、とにかく何かしらの「形」にするほかないのではないかと思っています。逆に言えば、思っているだけで何もしないのではどうしようもないなとも思っています。恋人についても、心の中では何を考えているかわかりませんが(笑)ともかくわたしと長く付き合ってくれていることや、一緒に暮らしてくれていることは事実なので、そういうところを積極的に認めていきたいと思っています。

だからもしあなたに恋人がいて、それでもほかの誰かのことが気になってしまうのであれば、気持ちの方は自由にしていいじゃん、いくらでも好きになっちゃえばいいじゃん!、というのがわたしの意見です。堂々と好きでいていいと思います。ただ行動を、責任をもって選択すればいいのだと思います。あのひと好きだなと思うだけで、なにも行動しないのも選択です。デートまでならOKとするのも選択です。思い切って二股をかけるのも選択です。それらの行動がどこまでOKなのかは、あなたと恋人やあなたと気になるひとの関係性、またあなたの価値観によってかなり変わってくるので、それは見極める必要があると思います。でも、ともかく心の中に関しては、どうしたっていいと思うのです。

ちなみに、わたしは「好きなひと」と「付き合いたいひと」の方向性が明らかに違うので、「好きなひと」と「付き合っているひと」は同時に存在し得ると思っていますし、それについて矛盾は感じていません。わたしもそっと胸の奥にしまっている気持ちがいくつかありますが、わたしはそこに鍵はかけていなくて、むしろときどき取り出してみて眺めたりしています(笑)。ひとを好きになることは、苦しいけど、すごく楽しいことです。あなたの「好き」のきもちも大切にしてあげてほしいなと思います。

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