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23年勤めた会社を辞めて起業の道に  進んだ2児ワーママのストーリー



自己紹介

はじめまして
シエルです
私は都内に住んでます。
8歳年下の夫と
発達障害を持つ年長の息子と
お話好きな3歳の娘を持つ
アラフォーのワーママです。

写真は私です。

22歳から約23年勤めた会社を2023年3月で
退職しました。

会社は都内にある大手企業の子会社です。

採用面接では、
採用条件に合っていなかったのですが
持ち前のコミュニケーション能力で
合格しました。

そんな私がなぜ辞めたのか
そこからどうなったのか、
今回紹介したいと思います。


幼少期の頃

私は、埼玉県で産まれました。
父は自営業を営んでおり
人と同じことが大嫌いで、
自分の意見を通す人です。
事業も史上初が好きで、
一つの事業では飽き足らず
次々と色んな事業を興していました。
経営状況は良いときと悪いときが
わかりやすく
私は小さいながらに家の経済的状況を
感じていました。
二人姉妹で6歳上の姉は私を可愛がり、
いつもお世話をしてくれました。

私自身は、マイペースで
恥ずかしがり屋でおとなしい性格
それに加えて慎重派でした。

まず毎朝なかなか起きれない。
祖母にいつも「朝ごはん早く食べなさい」と言われました。
ご飯を食べるのも遅かったです。
恥ずかしがり屋で
家族以外とはあまり話しませんでした。

エスカレーターを降りるのが怖くて
なかなか降りれなかったり
滑り台も下に滑れず、
幼稚園の先生に降ろしてもらったり
自転車は中学校まで乗れませんでした。

タイミングに乗れない。
失敗したら嫌。
転んだら痛い。

自分が怖かったり、痛いのが嫌という理由で
何に対しても消極的でした。

ただ父の仕事の関係で引っ越しが多く
幼稚園は2園、小学校は3校に転校し通いました。

ここで新しい環境に馴染むこと
自分を一番信頼することを学びます。

一部の学校でお友達や
クラスメイトから意地悪や
いじめを受けました。

女子からは一緒に帰らないとか
ミニバスケのクラブ活動をしていましたが
チームに選んでもらえないなど。
私が自転車に乗れないことで
夜道歩いて一緒に帰るのが
大変という文面の手紙をもらいました。
男子からは背中を蹴られたり、
言動で泣かされたりもしました。

言い返すことはできなかったのですが
そんな時に
自分を信頼できるのは自分しかいないと
確信しました。

もちろん身近な友達や母も
味方してくれたのも大きかったです。
父は厳しい人で雪の中裸足で
外に出されたりしましたが、
事業で余裕がなかったことを
おとなになってから知り、
私を大切に思ってくれることは
伝わってきました。


社会人でのわたし

高校を卒業した後
大学受験のため予備校に通いましたが
親の経済状況と自分の偏差値を考えたとき
働くことを選択しました。
そして1年ほど体調不良の姉夫婦が
いる名古屋で
同居生活を開始します。
姉が精神的に落ち込んでしまい
一緒に生活することになりました。

その後東京に戻り、
姉夫婦のもとで母と暮らしながら
契約社員として、働き始めます。

ここで初めて事務員として
働きました。
19歳の時です。

右も左も分からず
経理補助という仕事は
数字の苦手な私にとっては
かなりきつかったんです。

でも「苦手なことは克服しなきゃ」と
思いながら働いていました。

一番年下だった為
先輩方には可愛がってもらい
今でも付き合いのあるメンバーも。

一人の人は辞める時に
「あなたのこと私いじめてたからね」と
言って去っていったかたもいましたが…

契約社員も満期になり
正社員になりたい!と上司に
伝えました。

でも土日休めないこと
もっと別の場所で自分の能力を
試してみたいと思い
同時に転職活動することに。

結果正社員のお仕事が決まり
上司に報告すると
その上司も会社に掛け合ってくれて
「裏切られた」的なことを
言われてしまい
泣く泣く謝罪しました。

この時本当にお世話になっていたので
申し訳なく思ったんです。

その後正社員の会社に
転職します。

正社員として働くのは初めてで
初めて入ったボーナスで
母を温泉旅行に連れて行きました。
初めてもらったボーナスが
嬉しくて、苦楽を共にした母に、
プレゼントしたかったんです。

実は名古屋に行ってから
父が音信不通となり
母との二人の生活が始まります。

結婚から出産へ

働き始めてから
少し経って
姉夫婦の家から出て
母と二人の生活が
始まりました。

二人だけでも楽しく
生活できていたんです。
母と私はとても気が合い
お互いを支え合って
生きていました。

しかし、姉が最初の離婚をしたあと
9歳年下の彼氏を連れてきて
「結婚する」と言ったのです。
当時姉の彼は大学生。

そこからまた狭い団地での
同居生活が始まります。

父が蒸発して
経済状況が困難になり
都営団地に引っ越しました。

そして姉は妊娠していて
狭い中の同居生活が
始まります。

私は働き始めてから
同級生の彼氏ができました。

彼とはとても気が合い
一緒に旅行先へ行ったり
色々なところへ出かけたり、
美味しいご飯を食べに行ったり
していました。

長く付き合い
8年位ちょうど私が30歳の頃
結婚を意識し始めたとき
「結婚について」
話をしていきましたが
お互いの価値観やズレによって
結婚しないことに。
元々彼はハイスペで家柄もよく
私は高卒、父は蒸発して
まだ戻ってきたんですが
経済的に不安定で
そんな親に彼も不信感を持っていました。
それで別れることに。

その時の私は
「もう人生終わったかも」と
絶望しました。
絶対的な信頼を持っていたはずの彼と
結婚できない。

30歳からまた出会いを
求めて動くなんて無理と。

しばらくは、放心状態でしたが
これではいけないと思い、
自分を奮い立たせ、
婚活に励むことに。

お友達に
「誰か良い人がいたら紹介して」
「私彼氏募集中」と
伝えていました。

そしてここから
「絶対しあわせになってやる」と
奮起するのです。

しばらくすると
高校の同級生から
「紹介したい人がいる」と
言われたのが
今の夫でした。

夫は私より
8歳年下の爽やかBoyでした。
「かわいい年下のお友達ができた」
くらいの軽い感じで会おうと
思ったんです。

連絡先を交換したんですが、
当時メルアドか私が間違えてしまい
朝電話が掛かってきました。

そこからデートするようになり
最終的には結婚へ。

人生何が起こるかわからないですね。

一緒に住んだのが
付き合ってから3 ヶ月後
そこから結婚まで1年。
私はその時点で35歳でした。

なので、すぐに婦人科で検査。
年齢的にも妊娠しづらいので
不妊治療へと踏み切りました。

最初は人工受精を何回か試し
次に体外受精へ。
転院などを経験しながら
途中治療していく中で
「きょうだいがほしい」と
思うように。

一回の治療で
何個か採卵しましたが
育たなかったり、着床しなかったり。

結果的に
貯卵(受精卵を貯めておくことで次の治療もスムーズになる)ことを選択

結果、妊娠するまでに
5年かかりました。

1人目の時は
妊娠重症悪阻となり入院、
その後切迫早産で寝たきり。
2人目の時は
妊娠糖尿病で、切迫早産になるのは
同じでした。

40歳で1人目、42歳で2人目を出産。

たまたま続けて産休育休を取れることになり
5年近く会社を休みました。

その中で
私のキャリアが途絶え
このまま復帰したら
浦島太郎レベルではなく
使い物にならないんじゃないかと
不安になることに。

育休中の話に続く…

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