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夜通しのオープニング公演「ジェストの夜」:第5回ジェストとマイム芸術のビエンナーレ

第5回ジェストとマイム芸術のビエンナーレ

5ème Biennale des Arts du Mime et du Geste
フランスの街中で、一ヶ月間繰り広げられるマイムの祭典、「ジェストとマイム芸術のビエンナーレ」。オープニング公演は「第4回ジェストの夜」と銘打たれていました。
舞台は20時から4時まで、夜通し楽しめるという大胆な企画。この大胆さ、裏を返せばパリという都市が深夜や早朝などのいかなる時間でも、どうにかこうにか帰宅する手段を提供しているコンパクトサイズの都市・パリという証拠であり、しかもこんな時間割でもお客さんがちゃんと来てくれる習慣も十分にあるという、素晴らしい土壌があるということを証明しています。
街の規模というのは案外、大きすぎず小さすぎずがちょうどいいことがあります。東京は少し大きすぎるけれど、アヴィニヨンは歩いて把握できる。フィレンツェだと逆に古都すぎて、徒歩以外での移動が時間がかかる。
パリという街のちょうどいい魅力に恩を感じつつ、オールナイトで23演目が、手頃な価格の13€で観ることができるなんて、これは行かねばなるまい!

魅力が解き放たれる、アートとしてのマイムと身体表現。

肝心な演目は、マイム俳優やコメディアンたちによって繰り広げられ、円熟期を増した先輩や大先輩たちが広範なアーティスト陣で舞台に立ち、充実したプログラムに彩られていました。
これをお読みいただいている方々の中には、私自身が言葉を織り交ぜながら喋るマイム作品を、ご覧になった方もいるでしょう。ここでも、喋るマイムから、言葉に頼らずに魅力を爆発させるマイム、コンテンポラリーなマイムからフィジカルシアター的なアプローチ、面白いものからミステリアスなものまで、様々な表現を追求するアーティストたちの胸のすくような作品が並んでいました。

「マイムフェスティバル」ではなく、「ジェストとマイム芸術のフェスティバル」であることの意味を無理矢理探しに行かなくても、自然と、あっという間に、その作品たちが示しているメッセージに触れることができる。フランスに来てからの、私のマイム俳優としての原風景が、久しぶりに心地よくよみがえり、その中にどっぷりと浸りました。

参加希望者が集合し、アーティストが演出をしてひとつのフィジカル作品を一時間で作る。
屋外から劇場の道へ、フェスティバルの幕開け。


「ジェストの夜」の舞台裏

「ジェストの夜」という開幕イベントは、まさにマイム芸術の魅力が凝縮された祭典でした。
このイベントの根本的な目的は、マイムが抱える多岐にわたる表現形式の中に潜む魅力を、できるだけ多くの人に知ってもらうことです。それぞれの公演は15分から20分ほどの短い時間の中で繰り広げられ、場合によっては一つの公演作品の一部が抜粋として披露されることもあります。同時に、各カンパニーのステージは、彼ら自身が提供するアートの広告塔ともなっており、気になるカンパニーをフェスティバル期間中の公演で、追っかけをすることができるのです。

このフェスティバルを通じて、日本の皆様になかなか伝えきらないマイムの奥深さに、私も日々戸惑いながら発見し続けています。

日々、日本の皆様には様々なマイムの魅力を伝えきれないもどかしさを感じている私ですが、ちょうどいい機会ですので、本日の第一幕に登場した演目の特徴を、ここで簡単にお伝えしましょう!


1:「未知の領域」Continuo thatreカンパニー(チェコ)

人は夢の中において、初めて自分の身体のから抜け出して本当の冒険が出来る。人がフィジカルを持っている以上は夢の中でしか出来ないような、身体と乖離した未知の領域へを、生身の身体とオブジェだけを駆使して舞台上に実現させるのは、チェコから参加したContinuo Theatre カンパニー。
世界でトップクラスのマリオネット劇が盛んな国らしく、一見リアルを強く感じさせてせてしまいそうな生々しい身体の動きを使いながらも、気付けば幻想的な世界にグイグイひき込む様子を魅力的に書き出している。

マイムだけでなく、舞台上に生身の身体を晒け出すことで、そこから何らかの幻想的な世界に引き込むには、常に何らかのテクニックが必要になる。それが振付や構成だったり、照明デザインだったり美術だったり、あるいは芝居やセリフ、やり方は沢山あるのですが、それをどんな手段で実現させるのかということが舞台芸術の魅力であり、どのように構築されているかという舞台の演出を見る醍醐味の一つになっています。


3:「ふらつき」le théâtre des Silence(劇団サイレント)。

(2作品目は飛ばします)
舞台の下手側にはスタンドマイクが一本、上手側にはかなり離れた場所に丸いハイテーブルとその上に置かれたワインとグラスだけがある。そこに颯爽と登場した真っ赤なワンピースの女性は、これからある重要なことをアナウンスしなければならないらしい。

皆さん、こんにちは。
私は、お伝えしたいことがあります。
私は、皆さんにお伝えしたいことがあります。
私は、皆さんにこれをお伝えしたいです。

言葉が繰り返されるたびに、手話のような動作がついている。その動作の面白さと、繰り返されながらも少しずつ単語が足されて謎が解けていく様子に、観客は無意識のうちに一気に意識を集中させている。「あ、これ、あの、身体を動かしているのは、折角他のアーティストさんが素敵なフィジカルショーをしている流れを壊したくなくて」と、笑いもとる。これは見事な逆説なのだ。フィジカルショーというのは何も「喋ってはいけないわけじゃないし、当然言語と混ざることで豊かになるフィジカルもあるしアリでしょ」と言っているのだ。そんな笑いも挟まれて、観客はぐいぐい飲まれていく。皆気づいていないけど、この女性、恐ろしく芝居も間も上手い。こういう人を見ていると、セリフを使うこと自体がバカバカしく思えてくる。登場人物の魅力、作品の魅力ってセリフによって殺されているんじゃないかと本気で思えてくる。

観客たちは心の中で、彼女が紙を持って発表したいことが何なのかを待っている。ところが、小気味よいリズムが止まり、彼女は発表をいったん諦める。どうやら、1杯飲まなくては発表できないようだ。おもむろにワインを開けて、本当に舞台上でワインを飲む。1杯、2杯、3杯雑談をしながらどんどん足はフラフラになっていく。ここからはもう文章では全く伝わらないのがマイムの悩ましいところなんですが、3杯を飲み終わる頃にはもう観客は半分彼女の虜になっちゃってるんです。なんというか、「その背負っている何かを早く私たちに喋って、分けてしまってちょうだい!」とでも思ってしまうような。この先は難しいのでやめますが、千鳥足の彼女は再びマイクに向かって、ついにクライマックスを迎え、文章はあまり意味をなさないオチに向かっていく。

この作品はマイムの古いルーツの一つであるコメディアデラルテの現代的応用法とも言えるかもしれません。マイムは言葉と共に生きても有効活用できることを示す、非常に面白い例だと感じました。

4:「話し過ぎは誰も聞かない」Elena Serra

Elena Serraは、パリ市立マルセル・マルソー国際マイム学院の卒業生であり、マイムの名手としてかつては同学院で教鞭をとりつつ、マルソーとともに世界を巡りながら活躍していたマルソーカンパニーの一員です。しかも、彼女のマイムは現在も独自の進化を遂げつつあります。
この舞台は、またも言葉を交えながら進行するものでした。頭の中に住んでいるかのような、別の人格が一瞬で現れたり消えたり。これこそが、マイムの真髄が演劇力に宿ることを示す最良の例かもしれません。しかし、彼女の作品は決してそのマイムの学問的なことはお首にも出さず、それを押し出すことなく、むしろクラウンのような楽しさの中に観客を引きずり込むのです。
この様に、舞台アーティストとしての魅力や奥の深さを、幾層にも重ねてこそ作品であると言わんばかりなのが、ミルフィーユの国が誇るべきポイントなのでしょう。

5:「短い永遠」カンパニーMangano-Massip

こちらも、僕の尊敬する男女二人からなるカンパニー。サラとピエリブは、マルソー学院でディプロムを授かって以来、付かず離れずな男女の美学を、とてつもなくおしゃれに、フィジカルマイムの作品に昇華させてしまう。言葉は一切介入しない。
よくよく考えたら彼らの作品を生で見たのはもう20年振りだ。彼らとは、10区11区界隈でちょいちょい会ったり、ピエリブの持ち作品を僕が演じたりしていた関係もあって、気づかないままだった。そう考えるともう20年もの歳月をかけて、カップルとしてフィジカルな表現を追い求めて作り続けることは、実に大変な事ろうと、二重の意味で感心せざるを得ない。

そもそもこの二人は体格にも恵まれたカップルであり、彼らならばきっと70歳を超えても、とてつもなくフィジカルでおしゃれな作品を生み出し続けるだろう。今からその瞬間を心待ちにしている。

Mangano-Massipの日本公演があります!2024年2月17日ミューザ川崎シンフォニーホールにて
https://www.compagniemanganomassip.com/index.php?option=com_content&view=article&id=310:word-is-music-music-is-word-au-muza-kawasaki-de-tokyo&catid=9:actualite&lang=fr&Itemid=115


6:「Luciola(※抜粋)」Dame de Pic - Cie Kaline Ponties
7:「水分補給、広告」 Célia Dufournet

コミカルな演技も合わせて楽しませてくれる作品たち。
6作目は特に印象的で、ここにきて初めて4人という、まあまあな大所帯で繰り広げられる、マルソー風の言い回しで表現すれば「ミモドラム」とでも呼ぶべき、まさにマイムの群像劇。ナレーションも絡めつつ、マイム散文的に自由度を高めた感触があるが、見せ場は端的にフィジカルなシーンに絞り込まれていた。
人は無意識に、言葉が抜けると動きだけに集中が向く。そんな観客の心理を確信犯的に利用しているのが、言葉と動きを織り交ぜるカンパニーの魅力だ。文章がナレーションで入る時は視覚的な要素を舞台上に動かす事を緩め、ナレーションが終わると複雑な身体のパズルが始まる、という繰り返しが小気味よく続いた。これは一つの作品の抜粋で、話自体にはまだオチがあるわけではない。今はこのシーンの楽しさだけをつまみ食いしてね、という演目でした。

7作目「水分補給、広告」では、巧妙な演出が使われた。一幕目の最後、観客が疲れを感じ始めるタイミングで、客を巻き込む天然水の広告を騙ったドタバタ作品が始まる。
「遅れて申し訳ありません。舞台の進行に気を取られすぎて、ついつい本フェスティバルのスポンサーの宣伝をすることを忘れていました!」という会場の人の言葉から始まり、そろそろ観客が視覚だけに頼る作品に集中力疲れを感じてきた時に始まる客を巻き込んだ、馬鹿馬鹿しい天然水の広告を騙ったドタバタ作品。舞台上で釣竿に引っ掛けた水のペットボトルを、会場の1人のお客様に届ける中でいろいろなクラウン的なネタを盛り込んでいました。


おわりに

さて、いかがだったでしょうか?
ダンスや音楽などにも共通することですが、どんなに言葉を尽くしても伝わらないジャンルのものは、こうして言葉を駆使して語るほどにもどかしさが募ります。
観終わって私が思った事は、ぜひ2年後はここに僕自身の作品を並べていたいなと言う事です。ビバ、マイム!

無事帰宅!


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