生きるよすが
お久しぶりです。
特に言うこともない日々が続いていたので更新が滞っていました。
9月末で闇を抜け、10月からは新しい職場で働いています。
新しい環境で感じたことをひとつ。
私は3社を経て、今の会社に辿り着きました。
最高の環境とは言えないかもしれませんが、まあまあいい環境だなと感じる日々です。
取り扱う商材は非常に複雑で取引先の業界は多岐に渡ります。
それなりの知識と知恵、応用力と発想力を求められる仕事かと感じています。
同じ営業チームの同僚たちには色々な人がいます。
・1社目で嫌そうに仕事をしている20代。
・2社目だが長くはいないと言う20代。
・前職の方が良かったので近々戻ると言う30代。
上記の方々の話を聞いていて、比較的ホワイトなのにそんなに不満なんだなあと感じる私。
私が新卒3年目だった頃、「こんな会社にずっといるとかありえない。絶対やめてやる」と思っていましたが、一方で中途で来た同僚は「前よりはマシだから全然苦ではない」と言っていたのを思い出します。
10年弱の時を経て、あの頃哀れに思っていた中途社員と同じ思考になった自分に気付きました。
当たり前のことですが、人は同じ環境に身を置いても、そこに至るまでの道のり次第で全く別のことを感じるものだと実感しています。
辛い経験もしたから多少の事は苦とは思わない、というのも奴隷根性を植え付けられたようで納得し難いものですが。
もっとしんどい思いをしている人がいるからもっと頑張るべき、という考え方も好きではありませんし。
ただ、ここ数年の一寸先の見えない暗闇ではなく、ここで当面はやっていく、やっていけるという感情はありがたいものなのです。
突き詰めると「やるべき事」が定まっている現在が私にとっての安心なのかもしれませんね。
仕事が増え、責任が増え、煩わしく割にも合わない、嫌だなあと感じる日はおそらく来るでしょう。
一方でベテラン社員やライン職でさえ、土日祝は確実に休み、遅くとも20時頃には退社している今の環境に何故私が文句を言えましょうか。
きちんとやることを課せられ、それが業務時間内に完結する事に何の不満がありましょうか。
今にして思えば、未来のない「一時のつなぎ」として、初日から何のモチベーションも持てなかった仕事をしていた事は相当不幸な事だったかもしれません。
仕事なんて生活費を稼ぐ手段でしかありませんが、どうせ1日の大半を費やしてお金をいただくのであれば、何らかの糧と出来なければ生活水準も上げられず、いつまでも何をやっているんだろうと思い続けることになります。
私がこれまでしてきた仕事は、普遍的なスキルや技能としての糧にはならなかったと思います。
だから高給で来てくれと言う企業なんかいない。
30代4社目への内定は「ここでもう一度だけ積み上げてみなさい」という事だと受け取っています。
生涯勤めるかは今の段階ではわかりません。
ただ、積み上げ続ける為のチャンスを与えていただいたという気持ちはあります。
そしてそのチャンスは誰しもが与えてくれるわけではない。
これまでの人生を振り返って、私が幸福を感じるのは「必要とされた時」だと思っています。
私が全力で底力を絞り出せた時は、いつも必要とされた時です。
逆に必要とされない場所では影のようにのらりくらりとしてきました。
必要とされたい。
ありのままの姿で、必要とされたい。
それが私の正体だとようやく気付きました。
どれだけかっこつけても、親に見て欲しくて泣き叫ぶ子どものままなのです。
そしていつかは私が必要としている人、私を必要としてくれる人だけが私の周りに残るでしょう。
人に生かされ、人のために生きる。
それでいいじゃないか。
それこそが全てじゃないか。
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