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*幸せって何だっけ 〜『チェンソーマン』を読んで〜

どうも、愁です。さっそく本題に。

先週あたりに藤本タツキ先生の『チェンソーマン』という漫画を読み始めました。

まービックリするほどハマりまして。
ポチタがもーめちゃくちゃ可愛い。
そんでもって、デンジも大変良いキャラでして。

でも、そこでふと思ったんです。
何でデンジに惹かれるんだろうと。

デンジくん。どういうキャラかっていうと、
クズ父親が死んで残した、多額の借金を返済するためにヤクザに目玉売ったり臓器売ったりしてボロボロになってて。

それでも、「普通の生活をしたい」って"夢"を胸に抱いて。毎日、相棒のポチタと一緒に生活してるんです。

お金もないから食パン1枚をポチタと分け合いながら食べていて、義務教育も受けたことない。
まぁ色々あって、とあるところで働くことになって。

デンジの夢、「食パンにジャム付けて食べる」「女の人と付き合う」「ゲームする」そんな他愛のないこと。
それをみんな"そんなこと"って馬鹿にするんです。
他の人は、家族を守りたいとか、殺された家族の復讐をしたいとか。

でも私は思うんです。皆んなにとっての"そんなこと"が何よりの幸せなんだってことを。

そういえば、『ザ・ファブル』もそういう話しでしたね。デンジもリンゴの皮とかミカンの皮とか食べるみたいで。多分虫も食うんじゃないかなぁ。

人にとっての"幸せの形"って本当に様々で。
大多数の人が見たら"そんなこと"とか。
それは"幸せじゃない"とか思われることも、
その人にとっては"幸せ"だったりするんです。

そんで、私はそういう作品が好きなんだと思います。

結構他人というものは世話焼きというか、
「それは辞めた方がいい」だの
「それじゃあ幸せになれない」だの
「〇〇が可哀想だ」だの
あーだのこーだの 言うわけですよ。

でもその人にとっての幸せなんて
その人の人生そのものだったりするんで
否定することも肯定することも
他人にそんな権利ないんです。

他人の幸せの形に興味がある私は
確かに、人生に興味があるんです。

そっか、そういうことだったのかと。

夢って、ある意味"未来への希望"なんだと思います。
未来に期待を持つことができれば、人間は生きていけるんだと思います。

だから、どんな小さい夢でもいいから
持っていなきゃ生きていけないんです。

そこに幸せがあるんです。きっと。

つらつらと、1000字も書いてしまった。
この辺で終わります。

幸せな日々が続きます様に。



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