小林秀雄に関する断章(1) 『様々なる意匠』について

虚言も虚言たる現象に於いて何等の錯誤も含んではいないのだ。

『様々なる意匠』

 小林を批評の神様たらしめた活動は東京大学仏文学科在籍時から始まっていたのだが、本格的な文壇デビューを飾るのは東大卒業の翌年、雑誌『改造』懸賞評論に発表された『様々なる意匠』である。この作品は第二等入選作品となるのだが、一般的には「主にプロレタリア文学、振興芸術派を一刀両断した、小林批評の原点」であるとか、「晦渋がすぎる悪文で、非論理的」という評価であると思うし、特に前者については間違ってはいないと思う。しかし、ここではその犀利さ故に見落とされることの少なくないこの作品、ひいては彼の批評の脊髄を見出したいと思う。 

 小林秀雄という大自意識家の自己観察は、自分自身に止まらず人間を規定する諸存在に向けられる、そしてこの自己観察こそ彼の批評の根本原理である(これは『様々なる意匠』においても語られるが今回は敢えて触れない)。あらゆる文学作品は言葉によって構成される、もっといえば人間は言葉無しには思考できない。そして意匠とは、この言葉の魔力に人間が強いられた創作における桎梏なのである。 

然し人々は、その各自の内面論理を捨てて、言葉本来のすばらしい社会的実践性の海に投身して了った。人々はこの報酬として生き生きとした社会関係を獲得したが、又、罰として、言葉は様々なる意匠として、彼等の法則をもって、彼等の魔術をもって人々を支配するに至ったのである。

『様々なる意匠』

この言葉の魔術、そして外発的な開化という状況で当時の日本の文学者が取った選択は海外から方法論を取り入れることであった、それが「プロレタリヤの為に芸術せよ」と「芸術のために芸術せよ」という二つの意匠である。小林はそれぞれについて、以下のように批判する。 

世の所謂宿命の真の意味があるとすれば、血球と共に循る一真実とはその宿命の異名である。或人の真の性格といい、芸術家の独創性といい又異なったものを指すのではないのである。この人間存在の厳然たる事実は、あらゆる最上芸術家は身を以て制作するという単純な強力な一理由によって、彼の作品に移入され、彼の作品の性格を拵えている。

『様々なる意匠』

芸術家で目的意識を持たぬものはないのである。目的がなければ生活の展開を規定するものがない。然し、目的を目指して進んでも目的は生活の把握であるから、目的は生活に帰って来る。芸術家にとって目的意識とは、彼の創造の理論に他ならない。創造の理論とは彼の宿命の理論以外の何物でもない。そして、芸術家等が各自各様の宿命の理論に忠実である事を如何ともし難いのである。

『様々なる意匠』

すなわち、観念学という単なる理論体系に芸術の基礎を置いたとすれば、我々の心を真に揺さぶるのは作品に流れる宿命であり、それこそ芸術を特徴付けているという事実を見失い、「プロレタリヤ文学」が「商品」と化してしまうのである。 また、芸術至上主義についても以下のように批判する。

芸術が自然を模倣しない限り自然は芸術を模倣しない。スタンダアルはこの世から借用したものを、この世に返却したにすぎない。彼は己の仕事が世を動かすと信ずる前に、己れが世に烈しく動かされる事を希ったのだ。故に、「芸術のための芸術」とは、自然は芸術を模倣するというが如き積極的陶酔の形式を示すものではなく、寧ろ、自然が、或は社会が、芸術を捨てたという衰弱の形式を示す。

『様々なる意匠』

先ほど芸術の目的は生活の中にあると述べた。人が生活を送るとき、必ず他者が介在し、その人は社会の中に存在する。つまり、芸術とは社会から影響を受け、社会を動かしていくという相互作用なのであるのだが、芸術が自己目的化すると、どんどん社会から孤立してしまうのである。芥川の自死の本質はここにあるといっても過言ではない。


 以上のような手厳しい批判にも関わらず、この文章は、以下のように締めくくられる。  

私は、何者かを求めようとしてこれらの意匠を軽蔑しようとしたのでは決してない。ただ一つの意匠をあまり信用し過ぎない為に、寧ろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない。

『様々なる意匠』

もしも、意匠そのものが悪であるならば、小林がこれを信じることはなかっただろう。つまり、小林自身意匠は認めているのである、これは意匠も本来は宿命から育ったものにほかならないからである。実際、以下のように述べる。

或る人の観念学は常にその人の全存在にかかっている。その人の宿命にかかっている。怠惰も人間のある種の権利であるから、或る小説家が観念学に無関心でいることは何等差し支えない。然し、観念学を支持するものは、常に理論ではなく、人間の生活の意力である限り、それは一つの現実である。ある現実に無関心で居る事は許されるが、現実を嘲笑することは誰にも許されてはいない。

『様々なる意匠』

つまり、意匠を凝らした作品は芸術として全くの贋物かもしれないが、彼が生きて、ある意匠に魅せられ、作品を残したということは揺るがぬ事実なのであり、これは尊重せねばならないのだ。これは、『様々なる意匠』が共産主義渦巻く文壇に突如台頭した英雄の著作という人口に膾炙した解釈とは、全く矛盾する主張である。そして、小林批評の主調低音とはむしろこちらの側面であるのではないか。この仮説を提出して、本稿の結びにしようと思う。この仮説の検討は、この文章の検討だけでは完成しないため、一連の断章のテーマの一つとしたい。 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?