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204.

12:25。

野外の特設ステージの脇に出演者用のパイプ椅子を並べながら、学生達は何処かそわそわしていた。直前のリハーサルまであと5分しかないのに、肝心の主賓の姿が見えなかったからだ。セッティングが完了すると、魚住うおずみはベースアンプのそばに椅子を1台持っていき、そこへ腰を下ろし、フェンダーのジャズベースで必死に譜面を浚い始める。いや、マジで参った!ほんと参った!まさか1週間前に、代役トラが回ってくるなんて!


「 ──── おい、亮人りょうと!」副部長の田淵が、肩を叩いてくる。「お前結局、エレベ1本でいくのか?」
「そうですよ?仕込んでる時間ぎりぎり過ぎて、今日までほぼほぼ完徹ですからね?」
「ウッドベースの方がずっと得意なのにな。大丈夫か?」
「全然だいじょばないですし、てか、まさかこの期に及んで、部長が結核に罹るなんて思ってなかったですからね?」彼はベースを抱えたままがっくりと項垂うなだれ、溜め息をつく。「えいさんの最後の晴れ舞台になるなーって楽しみにしてたのに、直前になってこれですもん!晴天の霹靂どころじゃないですよ!」
「まあまあ、負担かけて申し訳ないけど、3年のベースは北山だけだし、4年の安川さんはビッグバンドの方手伝ってるし、2年で即戦力はお前ひとりだからな。まさか1年坊主にプロのバック任せる訳にいかねえじゃん?」
「そりゃ、そうですけど ──── 」
「絶対いい経験になるって!お前、Riotのセッション誘っても全然来ねえしさ?」
「だってあそこプロの巣窟っていうか、登竜門じゃないですか?今日のゲストもRiot出身ですし!」彼は、露骨に怯えた顔をする。「しかも新オーナーが、伝説レジェンド郁崎いくざきめいですよ?学生には敷居高過ぎて無理ですって!」
「何でみんな怖がるかなぁ?銘さんは勿論、他大の学生も社会人も、スタッフさんもお客さんも、めっちゃいい人ばっかなのに!」田淵は、不満そうに首を傾げた。「こないだのセッションなんか、アコルヂスの凄腕とか現役東大生のピアノとか来てめっちゃ盛り上がったし、滅茶苦茶楽しかったし。部室のセッションなんかよりずうっと勉強になると思うんだけどな?」
「いやいやいやいや無理無理無理無理!あと10年は無理です!」彼はたちまち、顔色を変える。「街中まちなかでフライヤー見かけたり、店の近く通ったりするだけで、ここに郁崎さんがいるんだ!って思って、手が震えてくるぐらいで!」
「お前一応プロのレッスン受けてたんだろ?もう充分弾けてんだし、ぬるい環境でやってたって意味ねえよ。あと、上手くなってからとか考えてたら永久にセッションデビュー出来ねえよ?」
「それは英さんにもいっつも言われてますし。自分でもわかってるんですけど ──── 」

再び溜め息をついたタイミングで、PAブースの方角からわっと歓声が上がった。それを耳にした学生達はステージ上でフリーズし、たちまち緊張する。

「 ──── おっ、お疲れ!久し振りだな!」
「どうも、お疲れさまです!今日もお世話になります!」
「こちらこそ!つうか、昨日は早稲田の学祭のゲストで、今日は芝大かよ?忙しいなぁお前も!」
「いえいえ、ほんと、まだ駆け出しなので。イベントに呼んでいただけるだけありがたいですよ」

魚住が視線を向けると、テナーサックスのケースを背負った少年が、幾つもの荷物を抱えた若い男性マネージャーを従え、左脇の通路を通って真っ直ぐにこちらへ向かってくるのが見えた。開演前だというのに、ステージ下にびっしりと置かれたパイプ椅子はすでに満席で、大勢の観客は興味深そうにその姿を注視していた。いや、凄い ──── つうかヤバい!足めっちゃ震えてきた!何かこう直視出来ないっつうか、体全体が光輝いて見えるっていうか!これが、プロ特有の威圧感って奴?

眩い11月の陽光の中、こめかみに薄らと汗が滲むのを感じながら、魚住はエレキベースを椅子の上に寝かせて立ち上がり、田淵と共に左脇の階段へと進む。他の部員も同様にその場へ集まり、揃ってスタープレイヤーを出迎えた。ペールブルーのドレスシャツの上にグレーのジャケットを羽織り、細身のジーンズを穿き、黒のタクティカルブーツを履いた彼は、目の前にいる学生達に向かって丁寧に一礼し、にこやかに挨拶する。

「 ──── 初めまして、内藤ないとう圭介けいすけです!今日はよろしくお願いします!」
「ああどうも、お疲れさまです!」副部長の田淵は笑顔で前に出て、握手を求める。「先日はありがとう!」
「いえ、こちらこそ!」圭介はケースを下ろし、周囲を見回した。「すみません、時間ぎりぎりになっちゃって。じゃあ、早速始めますか!」
「あっ、はい!ですね!」

ドラムの氷川とベースの魚住、キーボードの伊万里とギターの新沢は慌てて持ち場に戻り、こわばった顔で彼を見る。

「では、よろしくお願いします!」
「こちらこそです!あ、1ステは俺、アルトでしたよね?」圭介は楠上くすがみから、アルトサックスのケースを受け取る。「じゃ、ドラムさん、ベースさん、ピアノさん、ギターさんでイントロお願いします。テンポはこれぐらいにしましょうか! ──── one、two、one-two-three-four!」

圭介のラフなカウントでダンサブルなイントロが始まったが、伊万里はそこで重大なミスに気が付いた。チューニングは442Hzと指定されていたのに、ケーブルを差し替える際に一旦電子ピアノの電源を落としてしまったせいで、初期設定の440Hzに戻ってしまっていたのだ。うわ、どうしよう!と彼女はおろおろしたが、耳のいい魚住はすぐに察して弾きながら音程を合わせ、圭介はPA担当の大滝にクリップマイクを設置して貰ったあと、楽しそうに体を揺らしつつステージの中央へ向かい、マウスピースを微調整しながら一度振り返る。

「おお、めっちゃいい感じです!そのまましばらく続けてください!」

圭介は笑顔を向け、身振り手振りで大いにバンドを盛り上げる。激しい足の震えがいつの間にか止まっていることに魚住は驚き、同時に、体の内側からこれまで体験したことのない喜びが湧き出てくるのを感じていた。うわぁ、参った!噂には聞いていたけど、ほんと凄い!つうかマジでヤバい!まだ1音も吹いてないのに、彼の後ろでイントロ弾いてるだけでもうめっちゃ楽しいし、こっちに背中向けてるのに、圧倒的なオーラを感じるよ!

先程とは打って変わって、満面の笑顔で演奏している学生達に、圭介はもう一度微笑みかけ、入りますよ?と視線で合図する。4人が頷くのと同時に、使い込まれたアルトサックスから、最初のフレーズが放たれた。その音程の確かさと音色の美しさに伊万里は目を見張り、ステージ袖にいた田淵は思わず仰け反った。客席前方の学生と外国人留学生は一斉に立ち上がり、両手を振り上げて楽しげに踊り始め、後方からはそれを聴きつけた人々が続々と押し寄せてくる。PAブースのテントの陰からその様子を見ていた楠上は、全身にざわざわと鳥肌が立つのを感じながら、あらためてこの少年の実力を思い知らされる。いやほんと、毎回のことだけど、圭介くんは完全に別格だ・・・。どんなバンドでも一瞬で自分のものにしてしまうのに、決してワンマンにはならないし、メンバーもお客さんもみんな巻き込んで、あっと言う間にとりこにしてしまう。これは間違いなく圭介くんの性格と、人柄と、才能のせるわざだよ ────








13:00。

「 ──── じゃあ、お疲れさまでした!本番もこんな感じで楽しくやりましょう!」
「はい!」
「よろしくお願いします!」
「了解っす!」
「お疲れさまっした!」
「あ、圭介くん!こっちに控え室あるんで、どうぞ!」
「ありがとうございます!田淵さん、今日は演奏されないんです?」
「オレは幹部バンドで、最後の出演するんで。ここは4年と3年に花持たせたんですよ」
「いいですね、学祭の雰囲気って」楠上は、羨ましそうに言う。「わたくしは中退なので」
「えっ、そうなんすか?」
「そうなんですよ。何か合わないなって思って、すぐ辞めてしまったんで」
「へえ、それは勿体ないですねぇ!」


副部長と圭介、楠上が和気藹々とステージを下りるのを眺めながら、残された4人は上気した顔を見合わせる。たった30分間のリハにも関わらず、すでに本番を終えたような達成感があった。

「 ──── いや、すっげえ。ほんとすげえ」氷川が、放心したように呟く。「マジで、すげえしか語彙なくなるわ」
「わかる!」伊万里も、笑顔で同意する。「リハとは思えなかったし、ずっと演奏していたかったし!このまま打ち上げでもいい感じだよ!」
「ていうか、リハからもう何つうか、どちゃくそ楽しかったんですけど?」エレキベースの指板をタオルで拭きながら、魚住はまた溜め息をつく。「最初はどうなることかと思ったんですが、圭介くんの顔見た瞬間から、完全にあっちのペースに巻き込まれちゃって ──── 」
「それな? ──── あ、ごめん、さく!チューニング下がっちゃってて!」
「こっちこそごめん!何となく低いな?っては思ったんだけど、1曲目終わるまで手が離せなくて」長髪のギタリストは、申し訳なさそうに言う。「魚住はさすがだよな?耳でぱっと合わせられて」
「いや、俺なんかより、圭介くんが凄かったですよ?音程違うの、一瞬でわかっちゃうんだから」
「そりゃ、プロだからな」床に置いたペットボトルを手に、新沢はにっこりする。「中学生の頃から金貰って演奏してる人だし」
「マジっすか?」
「かっこよ!」
「うわ、レベチやん!」
「俺、後半から入るの、本気で嫌んなったよ。凄過ぎて何の参考にもならねえしさ?」サックスのストラップを首にかけた澤田が、うんざりした顔でやって来る。「せっかくですから皆さんで!なーんて言われたけど。ぶっちゃけ圭介くん1人でよくね?」
「あー、っすよね!同業者だとちょい辛いっすね?」氷川は、眉根を寄せた。「俺、ドラムでよかったー!」
「俺もベースでよかったです!」
「わたしも鍵盤でラッキー!」
「ギターで大正解!」
「つうか、圭介くんもだけど、ガチプロほどオレ達学生に優しくね?自称プロのおっさんとかの方がよっぽど威張ってるよな?」
「それ、めっちゃわかりますぅ!」伊万里は、興奮した様子で身を乗り出した。「わたしこないだリンちゃんと下北のセッション初めて行ったんですけど、オーナーのおばさんピアニストがめっちゃ意地悪してきて、ほんとムカついたんで。もう二度とあそこには行きません!」
「マジかよ?喜記キキ、Roundalayまで遠征してきたのか?」澤田は、驚いて彼女を見る。「あそこ最悪だぞ?レベルは低いし、参加費は高いし、女には当たりきついし、男はおばさんが誘惑してくるしさぁ?」
「ああ、先輩方が、あそこだけは行くなって言ってたとこですね?」と、魚住。「プロにしてあげるとか散々美味しい話して、店に泊めて。結局ただのセフ ──── 」
「おおっと、そこまで!」新沢は苦笑いしながら、彼の口を塞ぐ。「誰に聞かれてるかわかんないからな!」
「そうそう。ていうかお前等、どうせ行くならEVIDENCEとかRiotとか、レベル高い店の方がいいぞ?」
「ゆうて澤田さん、Riot行ったことあるんすか?」
「1年の時一回だけ。江藤と2人、怖いもの見たさで参加して、セッションのレベルの高さに打ちのめされて、それからは行ってねえ。今思えば、あの時の花形プレーヤーも圭介くんだったな?」
「Riotは、ドラマーのレベルもヤバいっすよ?」氷川は、思い出しながら言う。「最近は栗林さんとか西村さんとか、西さんとか。慶應OBのガチプロばっかで!」
「らしいな。先月田淵と北山が行った時は、現役中学生のすっげえドラマーがいたって言ってたぞ?」
「あっ、話は聞いてるっす!麻布中の軽音でドラムやってる子で、圭介くんの従弟っしょ?」
「マジっすか?」魚住は、呆れた顔をする。「内藤家って、どんだけ音楽に特化した遺伝子持ってるんです?」
「って、思うじゃん?」伊万里は、笑顔で付け加える。「圭介くんとこはお爺さんもお父さんも大企業の社長だから、音楽に特化した家系って訳じゃないんだよ」
「ああ、そうだった!」新沢は、ぽん、と手を叩く。「あの子、生まれついての御曹司なんだよね!」
「いや、それはそれですごくね?跡取り息子なのに、小さい頃から好き勝手やらせて貰ってるとか!」
「家柄にも頭脳にも才能にも恵まれて、しかも爽やかイケメンで、おまけに人格者だしなー!」澤田は、がりがりと頭を掻く。「ああ、くそ!天は自分が気に入った奴には、二物も三物も四物も与えんだよ!」



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