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ドリームタイム(Dream time of aboriginal)

 僕が今まで当たり前だと思っていた『時間』というものについてここオーストラリアのアボリジニの人々の文化や伝統を観察する上で違った視点が見えてきた。
そしてそれが僕が目指すマインドフルネス(心を今に向けた状態)につながるヒントを与えてくれたので今日はそのことについて感じたことを文章にしていきたい。

皆さんは『時間や時制』についてどのような考えをお持ちだろうか?僕は過去、現在、未来というのは線のようにつながっている?そんな風に今まで思っていた。

 そんな僕にアボリジニの人々の世界観は独特で多くの気づきを与えてくれた。さて彼らはどのような世界観を持っているのだろうか。 
時間という概念。初めに彼らには過去や未来という時間の概念はないそうだ。現代でも伝統的な生活を送っているアボリジニの人々は自分の年齢を知らない人々も大勢いるそうだ。
 彼らが時間の代わりに持っているのは「ドリームタイム(ドリーミング)」という考え方。祖先から伝わる数々の天地創造の神話を語り継いでいくことを指していて、天地創造の神話も大昔のできごとではなく、現在、そして未来へと続くと考えており、人々は、今この瞬間もドリームタイムをたどり続けているのだ。アボリジニの人々は、ドリームタイムをそれぞれの生活に反映し、常に結びつきを保ちながら暮らしている。つまりドリームタイムは神話でもあり、歴史でもあり、また彼らが生活をする上での大切な概念でもあるのだ。多くのアボリジニアート(ペインティングなど)には、そのアーティストのドリームタイムが表現されていて、アボリジニの人々はもともと文字を持たなかったのでアートによって、神話や概念、伝統を受け継いでいったのである。
 僕はこの独特な世界観や概念を最初は理解に苦しんだ。なぜなら時間という当たり前のように存在していたものに対して一度も疑問を抱いてこなかったからだ。これももしかしたら自分が産まれてから育ってきた環境や社会がそうだからというもので終わらせていたのかもしれない。

 僕は日常的に瞑想をとりいれて心を今に向ける練習を日々おこなっている。その中での’今’この瞬間には平和な世界が存在していて愛、思いやり、感謝という感情が湧き上がってくる。そこにはマイナスの感情は存在しない。なぜならそこには存在するのはこの一瞬だけだからだ。ドリームタイム。刹那によって一直線のように見える一瞬の積み重ねでできている世界。
多くの不安は過去における後悔やトラウマ、そして未来に対するものだと思う。そういった感情を持つのがいけないとかそういう話ではなく、それは私たちヒトにとっては当たり前のことで、この文章を書いている僕にもそういった感情は当たり前のように持っている。それをどのようにコントロールして受け入れながらこの美しい生活で自分と向き合い、様々な体験をとうして経験することができるかが大切なのではないかなと思う。最後に今回の記事が何か新しい想像を膨らませるあなたへのスパイスになれば嬉しい限りだ。それではCiao:)


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