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RIZIN 32

 最近なかなか書く時間が取れないんで(汗)、今回はベテラン選手が絡んでいる3試合についてだけ、さらっと、になります。

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RENA VS 山本美憂
四半世紀以上もの間、五輪を追い続けた競技者

 

 「ライバル、なんて言葉、私は口にしたことはありません」
 27年前に「NUMBER」誌に載った記事の中で、山本美憂選手が発した言葉です。
 試合に負けたら、それはあくまでも自分のミス。相手が自分より強いということはあり得ない。
 若干17歳で世界の頂点に立ったんだから、これぐらいのことを言っても許されていたんです。あとはウィキペディアを見るだけでも、山本選手が、日本のスポーツ史上でも、どれだけ稀有なアスリートだったのか、お分かりになると思うんです。

 並大抵ではない言っても良いほどの国内外のタイトルを獲っているだけじゃないんですよね。
 海外に生活と練習の拠点を移すというのはどういうことなのか。これをティーンエイジャーの頃に経験しているんです。
 子供を三人産み、育て、その間に引退、復帰を繰り返しながらも、五輪に三度も挑戦してるんで、そのメンタルも強さも、常識を逸脱していると思うんです。
 2004年のアテネに挑戦した時は29歳。2011年のロンドンは36歳。2015年のリオを断念した時は40歳でした。
 女子のアマレスが五輪の正式種目になったのは2004年からですけど、その随分前から、もしも五輪に女子のアマレスがあったら、と想像したことが一度はあるはずです。
 なんの根拠もないわたしのそんな勝手な想像を含め、13歳で全日本のタイトルを獲った1987年から数えると、28年もの間、彼女は世界の頂点・五輪を追い続けたんですよね。

 全く違うスポーツなんで、一概に比較できることではないんですけど、同世代の世界レベルの女性アスリートで、一回引退して、少し経ってから復帰した選手というと、テニスの伊達公子選手が頭に浮かびます。
 彼女は96年に26歳で引退して、2008年に復帰した時は37歳。9年後の2017年に再挑戦にピリオドを打っています。
 
 山本選手は、まだ現役です。47歳。しかも肉体と肉体がぶつかるコンタクトスポーツの中でも、最も激しい競技の一つと言えるMMAをやっているんです。

 そんなアスリート、他にいないと思うんです。

 さて、山本選手のように、長い間アマレスをやっていて、世界選手権で金メダル獲りました、ぐらいの選手たちが、MMAを試してみて、必ずと言っていいほど口にするのが、テイクダウンはとれる、なんですよね。
 とれるけど、下からの攻撃、凌ぎ方を理解するのに最低でも一年。コントロールして極めるところまでいけるのには三年は必要かな。
 アマレスの世界でトップに登ったスーパーアスリートでも、そんな感じなんです。
 もちろん個人差もありますし、相手によりけりなんですけど。
 
 山本選手もMMAに転向して5年。
 となると、ほとんどの方々が言っているように、当然RENA選手との初対決の時よりも、遥かにMMAファイターとしては上達していることは間違い無いでしょう。
 なんたって、彼女にとって、あれは初めてのMMAの試合だったんで。
 それに2018年に入ってからは、チャンプの浜崎朱加選手に負けるまでは5勝1敗でしたし。

 それなら山本選手はどのように進化したのか?を語るときに、よく耳にするネガティブな意見が、判定ばかりでフィニッシュが一度もない、とかスタンディングでの打撃がまだまだ、でしょうか。

 個人的に思うんですけど、山本選手、この階級の世界スタンダードで考えると、明らかに劣っているのが背丈だと思うんです。
 そんな彼女がスタンディングで打ち勝つには、相手の懐に入れないといけないんですよね。
 ボクシングだと、マイク・タイソン選手みたいなもんです。
 彼もヘビーの選手としては背が低かったので、どうしても相手のパンチが当たる射程距離に入らないといけなかったんですけど、それのリスクを補っていたのが、ステップの速さと首の頑丈さだったんですよね。
 デイナ・ホワイトのオフィスにも飾っている、タイソンの首を後方から捉えたモノクロの写真があるんですけど、あれはアルバート・ワトソンというファッション・フォトグラファー兼CMディレクターの有名な作品なんです。
 アルバートとは、大昔に一緒に仕事をしたことがあるんですけど、当時グラフィック・デザイン的な視点に凝っていた彼は、タイソンの首から肩にかけての巨大の筋肉の塊が、キャンヴァスのようで、照明を使って「光の彫刻」を施したくなったと言ってたんです。

 けど山本選手の首は、タイソン選手のそれとは違うと思うんですよね。相手を一発で倒せる強烈なパンチを何種類も持っているという訳ではないと思いますし。

 それなら自分の得意なレスリングとグラウンド・コントロールを重視したスタイルを突き詰めた方がいいのでは?と思うんです。
 こんなこと言ったら榊原さんに怒られちゃうかもしれないですし、山本選手からしたら余計なお世話だと言われちゃうかもしれないですけど、フィニッシュするかどうかなんて二の次と考えて、しっかりと上をとり、コツコツ殴る。相手を削る。リバースさせない。隙があったらバックをとる。で、コツコツ殴る。これを繰り返して、相手の光を消してしまうようなスタイルでいいのでは?と思うんです。
 戦極に出ていたダン・ホーンバックル選手が、2010年のベラトールのウエルター級トーナメント決勝でベン・アスクレン選手と対戦した後に、どうだった?と聞いたら、ダンはわたしの斜め後ろから、自らの身体をぴったりとくっつけて、こう言ったんです。
 「これでさ、絶対に剥がれない岩みたいな感じだよ」

 山本選手は、この階級ではそんなに大きくないんで、アスクレン選手のようなコントロール主導の闘い方では厳しいのでは?と言う方もいるかもしれないですけど、グラウンドコントロールという点で、あのレベルのレスラーと互角以上に渡るのは至難の技だと思うんですよね。
 ましてや、今回の相手は自分よりリーチのあるRENA選手ですから。
 
 
 RENA選手については、書きたいこと山ほどあるんで、これはまた別の機会にしたいと思います。

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砂辺光久 VS 前田吉朗
ジャパンのMMAに警鐘を鳴らすアイアンマン対決

 前田吉朗選手といえば、わたしの中では2008年6月1日の対ミゲル・トーレス戦なんですよ。
 あのWECバンタム級タイトルマッチは、オクタゴン史上に残る名勝負の一つだと思っているんで。

 というわけで、話が大きく逸れるのは十分に承知してますけど、ここでWorld Extreme Cagefightingについて書きたいと思います。

 なぜかと申し上げますと、世界MMA史上、世界トップ・ファイターが集い、最も激しく厳しい闘いが繰り広げらえた団体は?
 そう聞かれたら、わたしは今でも迷わずに、2008年から2010年までのWECのバンタムとフェザー級、と答えるからなんです。
 そんな当時のバンタム級絶対王者と呼ばれていたトーレス選手に挑んだのが前田選手だったんです。

 さらっとWECの生い立ちについて触れたいと思います。
 *北米ユニファイドMMAルールがニュージャージー州で始動した翌年の2001年、にリード・ハリスとスコット・アダムスの2人が創立したこのMMA団体は、カリフォルニアのタチ・パレスを本拠地に小規模の大会を開催してたんですけど、第1回大会からダン・スバーン選手やレオナルド・ガルシア選手を起用してましたし、そのあともフランク・シャムロック選手やニック・ディアズ選手なども参戦してたので、今でいうフィーダー・ショウよりはやや上。中規模レベルの団体と言えたと思います。
 HDNetが多くのMMA団体の中継に着手する前に、テストとして、まずWECを2005年10 月にオンエアしたことで俄然とその注目度が高まり、2006年12月にズッファがWECを買収。
 すぐにヘビー級とスーパーヘビー級を廃止。
 5角形ケージを、直径25フィートのブルーのオクタゴンに変えました。
 (UFCのナンバーシリーズで使用されていたケージは当時でも直径30フィート)
 2008年11月現UFCマッチメーカーのショーン・シェルビーがマッチメーカーに就任すると、更にライト・ヘビー級とミドル級も廃止。
 当時のUFCにはフェザー以下の階級がなかったですし、2006年の買収時から海外からのトップ選手も入れてきた軽量級が一気に激戦化。
 WECが誰もが認めるフェザーとバンタムの世界最高峰となったんですね。

 それなのにUFCに吸収される2010年12月まで、大会数は少なかったんです。2008年は6大会、2009と2010年は8大会。
 そんな限られた枠の中で、選手たちは、激しいふるいにかけられたのです。
 2連敗したらほぼ確実にリリース。タイトルマッチ経験者でも、有名でかなりのポテンシャルがない限り、問答無用でバッサリでした。
 このWECのフェザーとバンタムでサバイバルしてきたのがジョゼ・アルド、ヘナン・バラオン、ダスティン・ポワイエ、ディミトリウス・ジョンソン、ドミニク・クルーズ、コリアン・ゾンビ、ハニー・ヤヒーラ、引退したユライヤ・フェイバーやジョセフ・ベネヴデスといった、後のUFCでスターとなった選手たちなんですけど、この史上最激戦区に、日本人として、まず先陣を切り挑んだのが三浦広光選手。
 その次がWEC第32回大会から参戦した高谷裕之選手と、前田選手だったんです。
 
 初戦を149秒、ボディへの蹴りでKO勝ちという最高の形でスタートを切った前田選手を、WECは2戦目でタイトルマッチに抜擢。
 当時公式記録34勝1敗、非公式記録60勝1敗とも言われており、人気面でも、フェイバー選手に続く当時のWECナンバー2のスターだったトーレス選手のベルトの挑戦したんですけど、これが素晴らしい試合だったんです。
 まずトーレス選手というのは、兎に角アグレシッブなんです。
 幼年時代に喧嘩で負けて家に帰ってくると、親父に「何をやってるんだ!勝つまでやるぞ!」と、相手のところまでまた連れて行かれて、もう一回やれ、と嗾けらてたよ、と一緒に朝まで新宿のゴールデン街で飲んだ時にそう本人が言ってましたけど、そんな環境で育ったせいか、ファイトスタイルはガンガンに前に出る強気一辺倒。
 これに一歩も引かない形でシーソーゲームを繰り広げたのが前田選手なんです。
 殴られたら殴り返す。蹴られたら蹴り返す。取ったら、取り返す。
 お互いに足関節を取りにいったあのシーンを覚えているファンも多いと思います。

 ちなみに前述の日本人3選手の他に、この時期にWEC参戦した日本人選手は、大沢ケンジ、水垣偉弥、田村彰敏の3人のみ。トータルで6人。
 しかし2010年終わりにUFCに吸収合併した時に生き残ったのは水垣選手でした。
 タイトルマッチ1回。メインイベン2回。
 2連敗はしなかったですけど、WECの最終戦績は2勝3敗。
 落としたのは大会メインだった対フェイバー選手と、5ラウンド判定まで持ち込んだタイトルマッチの対トーレス選手と、メインカードで対戦したスコット・ヨルゲンセン選手との試合でした。
 これでギリギリ。
 それだけハードなWECで、3戦した前田選手も現在40歳。
 ピークは間違いなく、WECで試合をしていたあたりの前後3年ぐらいだったとわたしは思っているんです。

 もう12年ぐらい前の話です。

 対する砂辺光久選手は、そんな前田選手より更に2つ上の42歳。
 そう考えると、2人とも鉄人なんですよね。
 砂辺選手も20年という長いプロMMAキャリアを誇りながら、2018年に越智春雄選手に負けるまで15連勝。
 しかも32歳になった3日目の試合から15連勝です。

 これも戦績を見たらお分かりになると思いますけど、前田選手もWECからリリースされてからも、DREAM、戦極、DEEP、パンクラスなどで、ミカ・ミラー、チェイス・ビービー、大塚隆史、金原正徳、和田竜光、征矢貴、若き日のクレベル・コイケら強豪選手たちを破ってきました。
 これに加え、直近の2試合の相手も、現在修斗フライ級チャンピオンの平良達郎選手と、元同級修斗王者の福田龍彌選手。

 文句なしに凄いんですよ、この2人は。

 しかし「日本の総合格闘技の未来」という視点で見ると、これって、危機感を感じないといけないでは?とも思ってしまうんです。
 20代、30代前半の脂が乗り切っている選手たちが、40歳に突入しているベテラン選手たちに勝てないか、どっこいどっこいの試合をしている。
 それだけ砂辺選手と前田選手がスバ抜けてるんだ、というのもわかります。
 確かにこの2人は「10年に1人」クラスの選手。
 アイアンマンだとわたしも思います。
 けど厳しい視点で語っちゃうと、なんで40歳の選手が修斗のチャピオンと対戦しているの?なんで40を越えた選手がパンクラスのベルト最近まで持ってたの?ということも言えると思うんです。

 砂辺選手は地元の人気選手。今回の契約体重は58.5キロというフライとバンタムの間でのキャッチウエイトの試合なんだから、沖縄初のRIZINだし、カード編成の位置づけとしても、スーパーベテラン2人のスーパーファイトでいいじゃないか、というのもわかります。
 結果や内容によって、引退とかいう話になっても驚くことではないと思いますし。

 けどそんな2人が、もしも他を凌駕するような名勝負を繰り広げたら。
 十分にあり得ることだと思うんですよね。
 
 そんな素晴らしい試合になったら、フライかバンタムの誰でもいいから、次は俺が引導を渡す、とばかりに宣戦布告して欲しいところです。

 もっと唾を飛ばしながらガツガツくる奴。
 砂辺選手と前田選手の試合は、そんな威勢のいい選手を生み落とすぐらいの、熱い試合になって欲しいところです。
 
*北米ユニファイドMMAルールの原点については、こちらで詳しく書いてますので、よかったらぜひ!

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安谷屋智弘 VS 宮城友一
「ヒヤヒヤさせないでよ」


 「シンガポールが6月なのに、3月に試合するの?」

 次は安谷屋智弘選手とやると、UFCフライ級のマッチメーキングを担当しているミック・メイナードに知らせた時に、そう言われたんです。

 まだ確定ではなかったんですけど、あの時に、あ、井上直樹選手、決められるな、と確信しました。

 19歳なんだけど、十分にオクタゴンの中で競える技術と経験とメンタルがあるから。
 そうミックに直樹選手の話を初めてしたのは、柴田MONKEY有哉選手に一本勝ちしたすぐその後でした。
 直樹選手の戦績、それから対柴田選手との試合と、その二つ前の対加藤直之選手の試合が見れるリンクだけをまず送りました。
 当時柴田選手は、和田竜光選手に負けた後だったとはいえ、日本のフライ級戦線のトップの1人。そこらあたりの選手に問題なく勝てる。まずそれを理解して欲しかったんです。
 次は戦績とファイトスタイルです。直樹選手は、その時点でプロ8戦5一本勝だったんですけどKO勝ちはなし。でも加藤選手を一発でダウンさせた右のカウンターパンチが良かったんで、打撃で効かせてグラウンドで仕留める、という完全オールラウンダーである、ということを分かって欲しかったからなんです。
 それでもすぐには決まりませんでした。
 ミックからしたら、UFCでチャンピオンを目指せるタマか?というのをまず考えると思いますし、どのタイミングで入れて、どんな相手と当てたらいいのか?というのもあると思うんです。

 それなら、と次にミックに見せた直樹選手の試合の映像が対南出剛選手との試合でした。あの試合は2ラウンドで判定でしたけど、あれを観れば、直樹選手がどれだけ優れたストライカーであるかがわかると思ったんです。
 ディフェンス力の高さ、目の良さ、そして何よりも、ここだ!という時にスーパーマンパンチとか出して追い込みをかける勝負勘と度胸の良さ。
 それに日本ではプロでも2ラウンドがあるから、一概に結果だけでは判断してくれないでよ、ということを、もちろんミックは知っていることなんですけど、ここでもう一度釘を刺す、といった効果もあると思ったんです。
 対南出戦との試合を観たミックから、すぐに連絡がありました。
 「一本勝ちばかりだからグラップラーと見られるかもしれないけど、打撃、すごくいいね」 
 なら契約してよ、どうせ今夏にはシンガポールとかマカオあたりで大会やるんでしょ?そこで使って、その後日本大会でも使えるじゃん。
 そう返したんですけど、すぐには決まりませんでした。
 そうこうしている間に、DEEPで安谷屋選手とのオファーがあるから、これを受けたいと白心会の山口定則会長から連絡があったんです。
 まだ19歳だし、試合はどんどんした方がいいと思いましたし、その時点で確実にUFCを決められると確信があった訳ではないので、いいと思います、と山口会長には連絡して、それでミックに、6月に試合するよ、と連絡したんです。
 そしたら冒頭の「3月に試合するの?」が、その時の返信だったんです。

 そうか、シンガポール大会でいけそうな相手を探しているという意味だな、とすぐにわかりました。
 ということは、ほとんどUFCと契約できるということが決まっていたようなもんでした。それなら普通は6月のオクタゴン・デビューに向けてそっちに集中するもんなんですけど、山口会長と直樹選手は、それでも安谷屋選手と試合をすることにしたんです。
 
 別に安谷屋選手なら勝てると舐めていた訳ではありません。
 むしろかなりの強豪だという認識だったんで、リスクではあると思いました。
 けどまだUFCとは具体的にファイトマネーや試合数など契約の交渉もスタートできてなかったですし、まだ直樹選手は19歳。試合のチャンスがあるのなら受けて経験を重ねた方がいいですし、もしもこのタイミングでUFCにいけなくても次のチャンスはある。それが山口会長の考えでしたし、わたしもそれに同感でした。

 そんな安谷屋選手と直樹選手の試合はかなりの接戦となり、2ラウンドのメジョリティー判定で、何とか直樹選手が勝利を収めました。
 安谷屋選手が勝ってたのは?という声も一部の人たちからは聞こえた。そんな内容の試合でした。
 
 開始早々アグレッシブに前に出たのはいいんですけど、安谷屋選手に両脇を差されテイクダウンを取られる。そんな展開でスタートしたこの試合はここで観れますけど、2ラウンドでは30秒ほど安谷屋選手にバックを取られて、後半は上からパウンドや肘を落とされ、展開的には微妙でした。
 観ていたヒヤヒヤした試合でしたけど、途中で思っていたのは、あ、これならミックに言い訳つくな、だったんです。
 序盤テイクダウンを取られたとはいえ、すぐに下からしっかりとガードに入り、パウンドはほぼかわし、三角締めへのセットアップに入ってからは肘で安谷屋選手の額を切り、3分過ぎには腕十字を取ったんですよね。
 これは安谷屋選手の身体がロープ間から出てブレイクとなってしまったんですけど、直樹選手を売り込みたいセールスマンのわたしからしたら、この時、やった!と思ったんです。
 あれ、ケージならあそこで一本。それで終わりだから。
 エンド・オブ・ストーリー。
 それで通そう。
 そう決めて、それで通したんです。
 
 あの試合前からDEEPの佐伯代表とは直樹選手をUFCヘ、という話を極秘にはしてたんで、試合後すぐに細かい条件の交渉に入りました。
 丁度良いタイミングでUFCがURCCフライ級チャンプのカーロス・ジョン・デ・トーマス選手と契約したのもラッキーでした。1歳違いで似たような戦績で無敗。フィリピンでは1番の団体のチャンピオンなんですから、シンガポール大会での直樹選手との対戦相手としてはパーフェクトです。
 そんなこともあり、直樹選手の交渉はとんとん拍子で進み、対安谷屋選手戦から16日後の4月3日に直樹選手がUFC契約したことが正式に発表されたんです。

 あの試合以降、安谷屋選手は4勝4敗のイーブンなんですけど、福田龍彌選手や今度RIZIN Triggerに参戦する松浦貴志選手などに判定ながらも、しっかりと勝っているんで、RIZIN参戦資格は充分にある「地味強」だと思ってますから、注目しているんです。
 RIZINは明らかにフライ級の選手も集めていますし、DEEP、パンクラスのフライ級も視野に入れて考えると、来年GPかも?という可能性も無きにしも非ず、だとわたしは思っているんで。
 
 ただRIZINフライで足りないのは、絶対的な存在だと思うんです。
 あとは、これを追っかける次世代の選手たちの位置づけがイマイチ明確ではい、という点かと。
 バンタムなら実力というカテゴリーで絶対的な地位を築いている堀口恭司選手がいて、人気という点でも群を抜いている朝倉海選手がいます。現在進行中のGPのメンツを見ても、この2人を追っかける、実績的にも実力的にもバッチシの選手がたくさんいます。
 フェザーも同じです。
 今やジャパンのMMAでは最も影響力があると言っても過言ではない朝倉未来選手がいて、実力的にも実績的にも申し分ない元KSWチャンプのクレベル・コイケ選手がいます。さらには元チャンピオンの斉藤裕選手に、その彼からベルトを奪取した牛久殉太郎選手がいて、元UFCファイターでRIZIN2連勝中の堀江圭功選手もいるんですよね。
 かんたんにまとめちゃうと、この2人がやったらどっちが勝つか?とファンが討論を繰り広げられるほど、まだRIZINという舞台で何度か試合して爪痕を残しているフライ級ファイターのの数が少ないと思うんです。

 RIZIN 32ではこの試合の他に、フライ級ファイターたちのMMAの試合が3つ組まれてますしRIZIN 31でも2試合あります。その先のRIZIN Trigger 1stではRIZIN2連勝中の竿本樹生選手が出場して前述の松浦選手と対戦します。その中から、誰かが、または何かが弾ければ、来年RIZINのフライ級は一気に活性化するかも?

 そんなフライという階級全体の査定的な意味合いもあるのが、この安谷屋選手と宮城友一選手の試合や、前述の砂辺選手VS前田選手、そして越智春雄選手VS曹竜也とTARKER選手VS 関原翔選手だと思うんですよね。

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