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最後の夏休みはどう過ごす?

だいたいの人はきちんと受験や就職に向けた準備をするんだと思う。でも俺は「受験は落ちても第二志望や二次募集や就職がある、でも学生の夏休みはここしかねえ!」と我が道(道楽)を極めることに全振りした。

高校最後の夏休みはとにかくレンタルビデオを借りまくったり、バイト代で太宰治の文庫本を買い漁ったりした。太宰作品のあの個性的な、繊細ながらも道化な主人公たちに自分を重ねたりしていた。

レンタルビデオは当時大手レンタルショップが車両基地近くではなくショッピングモール内にあり、何度も自転車で坂を駆け下りたり駆け上がったり、今ではあんな暑い中そんな所業はできないが、通った。

最初はルパン三世シリーズを片っ端から借りた。DVD環境が手に入るのは大学進学後だったから、VHSを攻めまくった。ルパンをだいたい見終わった後は、ジブリでもみて周りの話題に合わせようかと一瞬迷ったが、媚びるのも嫌なので織田裕二シリーズを借りまくった。「踊る大捜査線」は王道中の王道だけど、別に媚びてる訳ではなく自分にとってもバイブル。織田裕二シリーズ完走後は、いとこの家でやった「かまいたちの夜2」(PS2)がめちゃめちゃ面白かった、という理由でミステリーものを借りまくった。

特に印象的だったのが京極堂シリーズの「姑獲鳥の夏」。
京極堂の名台詞「この世に不思議なものなんて何もないんだよ」という言葉は思春期の俺の胸を深く刺した。

こどもの頃から時折感じることのあった、いつもと違う感、違和感、不思議な感じはやっぱり裏で何かが起こってたんだなとこの時は仮定していた。京極さんの言葉を補足、言い換えすると「不思議なことが起こるということは一方で何かが起こっている」という意味だからだ。

それからというもの、「不思議」を感じるをと古●任三郎並にねちっこく根に持つ癖をもつようになった。そして福●雅治が歌ったように、大人になればなるほど「わからぬこと」は増えてゆく。

例えば、前出みたいに、新聞やテレビに出る人は笑ってるけど、載らない人は血や涙を流したり。社会というものを経験するほどその「不思議」は増えてゆく。自分の行動範囲は人口36000人くらいの郊外町だけど、そんな狭い範囲でも「不思議」は京極堂のように無くしたいし、「不思議」に背負わなくていい荷物を背負わされる人がいれば解放したいし。


だから俺は探偵になることに決めた。
2月26日付けで県の公安委員会に探偵業届け出を提出。
まあ、とはいえ収入はもちろん案件として生ずることはほぼほぼないとは思うけど、決意とお守りの意味合いできちんと届出証は持っておきたい。

「探偵と作曲家とNPOやってます。」って言うとめちゃめちゃ掴みどころないけど、そういう思いがけない熟練度の掛け合わせでパラディンとかバトルマスターとかデビルサマナーとか剣聖になったりするんだろうね、多分。

将来、葛葉一門になっている自分も想像できる…。


で、あなたなら最後の夏休みはどう過ごしますか?

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