きみの繊細さはきっと、武器となる

繊細さとは、なんだろうか。

今日のTwitterのトレンドで「HSP」が上がっていたので、少し考えてみたいと思います。

HSPとは、感受性が極めて強い、繊細な人のこと。HSP気質は、人口の15~20%もの割合に当てはまる生まれつきの特性。

私は専門で研究したわけではないため詳しく述べることはできないので、以下のリンクを参照いただければ嬉しいです。

参照:新宿ストレスクリニックさん

また、HSPの中にはHSSという型も存在しています。

HSS(High Sensation Seeking)は心理学者のマービン・ズッカーマンによって提唱された概念で、「外交的で好奇心が強いタイプ」の人の特徴

HSPの中でも、特にHSSの傾向があると、変化に富んで新しいものに興味を持ちやすくて複雑、かつ激しい感覚刺激を求めてリスクを恐れないそうです。

参照:繊細革命さん

正確な診断を受けたわけではないのだけれど、私は自分を上記のように「HSS型HSP」なのだと感じています。

人見知りなのだけれど、新しい出会いにワクワクします。人が集まる場所はすごく好きなのに、終わったあとはどうしようもなく疲れてしまいます。大胆で行動派なのだけれど、とても繊細で、物事の始まりには慎重です。他にも数えると際限がないくらいに、両極端の性質を持ち合わせています。あまりにも振れ幅が広すぎるがゆえ、自分が何者か見失いそうになっていた時期もありました。正直、23歳になったいまでも時々あります。

幼い時に、時計の秒針の音が延々と同じリズムを正しく刻む様子が怖くて、時計の中心に可愛らしいシールを貼ってもらったり、耳鳴りの音を気にしてしまい、親に大学病院まで診察に連れて行ってもらったり…HSSは音や光に敏感な性質もあるそうで、そういった幼い頃からの違和感も含めて最近になってようやく私は「繊細」だったのかと気がつくことができました。

今までの人生で生きづらいと感じたり、人と違うと悩んだりすることも多々ありました。人と話していて目の動きや表情、声のトーンや間、テキストのやりとりでさえも温度感などから相手の考えがなんとなく察せてしまうことや、通り過ぎる人の雰囲気からその人が大体どんな人柄で、善悪の割合がどれくらいを占めているのか、少し会話をしたことがある人に対しては何をコンプレックスに感じているのか…まで、全ての人に対してではないのですが、一部の人に関してはおおよそを察することができます。もちろん外れることもありますが、その大半は当てはまることも多かったので、苦しいなあ、というのが感想です。あまり考えないようにしているのですが。

あとは血が流れるようなドラマやドキュメンタリーのシーンや災害の様子や介護の映像を見ることがあまりできません。大きな音や強い光も苦手です。地震速報が携帯から流れるたびに、驚いてしまいこっそり泣いています。他人の痛みを自分のことのように感じてしまうし、CMやドラマに感情移入して涙を流すこともあります。周りからは驚かれたりぎょっとされたりすることも、多々あったり。

1年半くらい前に、自分はHSS型HSPなのではないかと気がついてからは少しずつその特性への理解が深まり、いまでは1つの個性であり強みなのだと自負しているので、むしろ誇りに感じています。繊細だからこそ感じることがあって、私にしか書けない文章や撮ることができない映像や写真があることに気がついてから、自分のことをめちゃめちゃ好きになれました。そんな繊細な自分ですらも愛おしいなあ、と思っています。

また、自分の苦手なものと得意なことをきちんと把握するようにしていて、苦手なことに関しては少しでも補えるようにカバーしたり、日常生活で意識したりして、生活を乗り越えています。

足が速いとか、アレルギーがあるとか、そういった類と同じだというように自分の中では捉えています。

「動き続けていてすごいね」と言われることもあるのですが、じっとしていることが苦手なので、動き続けないと気持ちが死んでしまいます。マグロみたいだなあ、と思ったり。あとはこれに関しては単純に人生における目標があるから、というのも大きく関わっていると思うので、また次回にでも話せたらいいな。


SNSで自分自身のことを積極的に発信するようになって、特にInstagramでは自分のことを打ち明けているなあ、と振り返って恥ずかしくなることも、しばしばあります。正直、隠しておいてしまいたいことや「どうしてこんなことを人前に晒す必要があるのだろうか、あまりにもリスキーすぎないだろうか。意味はあるのかな」と考えてしまうことも多々あります。

けれども、最近は私の紡ぐ文章やSNS経由で悩みや感想を打ち明けてくださる方や、共感してくださる方や応援してくださる方も少しずつ、増えてきたことも紛いも無い事実で。そういった方の存在に私の方が救われているくらいの、心持ちです。本当にいつも有り難う。

だからこそ、自分を打ち明けることで誰かの共感になればいいなと思っています。 「あ、そっか。そんな考え方や見え方もあるのか」みたいになればいいなって、そんなふうに思っています。


あとは、誰かの希望になりたいな、といつも思っています。おこがましいのかもしれないのだけれど、真剣に、思っています。

もっと早くから自分のことを理解していれば、きっと10代のうちに自分のことをもっと大切にしてあげられただろうし、悩むことも少なかったのかな、と。だからこそ、余計に10代の教育に関わりたいとの思いも強いのかもしれないなあ。

そんな思いは、まだちゃんと整理して残すことができていないから、また改めて記そうと思います。緊張するなあ。


もしいま、生きづらさを抱えて悩んでいる人がいるならば、きみの繊細さはきっと、武器となるから、そう言いたいです。苦手の数が多くても、人と違っても、生きていくことはできるし、きみが息をしやすいような世界線は、必ず見つかります。だから、大丈夫だよ、って。

無責任でもいいから、わたしはそんな人たちの味方でありたいし、希望でありたいし、何よりもきみたちのことを何があっても信じていたいな。


そんなふうに、願っています。おわり。なんだか泣いちゃいそうだよ。





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