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SNSの「いいね」について物申したい気持ちを常に抱えながら生きている

Twitterの「ふぁぼ」が「いいね」になってもう8年程経つらしい。
その仕様変更自体は別に気にならなかったんだが、「いいね」になってからのユーザーの動向に今一つ納得していない。

簡潔に言うと、「明らかに良くない内容に『いいね』してんじゃねぇよ」ってどうしても思ってしまう。
別にこれはTwitterに限ったことじゃなくてリアクションボタンとして「いいね」というものを設けているサービス全体に言える事ではあるんだが。

Twitterの仕様変更前の仕様である所謂「ふぁぼ」は「Favorite」の事で、自分が閲覧したツイートを「気に入った」場合に投稿主に対してのリアクションを表明するものだった。
「気に入る」という感覚は色んな意味を内包しているので、どんなに暗い内容のツイートでも解釈次第ではそのリアクションを取ってしまうのはなんとなく理解できる。

でもさ、「いいね」って言葉的に「良い」と思った時に押すものとしか認識できないじゃん。でも明らかに「良くない」と内容なのに「いいね」を押すのは何故なんだ?

そりゃあ仕様変更前の感覚をそのまま引き継いで、例え良くないことでもリアクションとして「いいね」を押してしまうのだろう。ひょっとしたらユーザーの殆どがそういう人かもしれない。
相手にツイートを見たことを伝えたい、その内容に何か思った事を表明したい、コミュニケーションって「反応」の集合体でもあるので、言葉で伝える程でもないけど心の動きがあったことは知ってほしいという心理もあるんだろう。

ただ個人的には公式が「いいね」ボタンに変更したのであれば、「良い」と思った時に押すのが道理なんじゃあないのかい? 違うのかい?
公式がこう言ってるけど自分は関係なくリアクションとして「いいね」ボタンを押したいって人、あんたはラーメン屋にいってカレーを頼むのかい?
ずーっとそう思っている。

心が痛むような事件や誰かの訃報、はたまた犬猫等生き物がずっこけたり痛い目にあうような動画に「いいね」をしている人、本当に「良い」と思っているのかい?

だから私は「良い」と思った内容にだけ「いいね」ボタンを押している。
自虐的な内容をフランクに伝えた面白ツイートで大爆笑したりすることもあるが、ツイート主に起きた事を考えるととても「いいね」とはリアクション出来ない。

そんなん人の勝手だろ、好きに使わせろやと思う方もいるだろう。
それはその通りである。

なんでこんな面倒臭い性格になっちゃったかなぁと私自身思ってるよ!!

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