天才だぁ? 軽々しく人に言えねぇよそんな言葉
私は自分の事を「天才」だと思い込んでいる。
何いきなり烏滸がましいこと言っとんねんって話だが、これは実際の才能というより自己肯定感の話で、私という人間をこの世で一番褒めちぎってあげられるのは自分自身だと思っているからで。
秒で表題と矛盾した事を述べているが、この場合の「天才」とは「人の成果を評する場合の『天才』」という意味になる。
とっさに出た言葉のセンスなどに対してはその人の感覚そのもの、もっと言えば努力等を介さず放たれたものについて相手を評する場合は「天才」という事は憚られないし、上述のように自分自身を評価する際の「天才」も許容出来る。
ただ、作家の作品を見てその作家に対する評価や、スポーツ選手の活躍や記録を見てその選手に対する評価について「天才」と述べるのはどうも違和感がある。
その人がその成果を出すまでの間に何かしら重ねてきた努力や費やしてきた時間があると思うので、ひとえに「天才」という言葉で済ますのは失礼なのでは?という感覚があるからだ。
かのピカソの有名な逸話に、彼のファンという女性が絵を書いて欲しいとリクエストし、30秒で描き上げた絵に対して1万ドルを請求したのでどうしてそこまでの金額になるのかと女性が尋ねた所、ピカソ曰く「この絵は30秒ではなく40年と30秒かけて書いた絵であるから」と返したものがある。(出典が不明なので40年だか30年だか人によって伝わってる話はバラけているらしいが)
この逸話の真偽はともかく、世に残る作品や成果・記録などは一朝一夕で出来上がるものではなくバックグランドがあってこそのものだと思うので、どうも人に対して簡単に「天才」とは言い難い。
(ひょっとしたら自分が知らんだけでそうじゃない人もめちゃくちゃいるのかもしれんが)
これはまた別の例だが、かのイチローが小学6年生の時に書いた作文の一部を抜粋すると
すごくない?
当然生まれ持った素質や才能というものはあるとは思うのだが、ここまでやってるから今のイチローがいるんやろなぁと思う。
ここまでやってる人を見て簡単に「天才」とは私には言えん。
以上の事を踏まえて、どうも「天才」という言葉が苦手なのである。
まぁ私は自分の事を何があっても「天才」と思ってるけどね!
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