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真珠湾攻撃の前にアメリカの宣戦布告があった問題

アメリカ人はハルノートの存在を知らなかった。知らなかったというより知らされていなかった。あの気が狂ったようなハワイ基地急襲も、アメリカ自身が日本を追い詰め過ぎたゆえに起こった悲劇だった。その事実を知らされないまま、アメリカ国民は政府の参戦決断を熱狂的に支持し、入隊を志願することになった。

アメリカ人がハルノートという「最後通牒」の存在を知らされないまま日本との戦争に突入していった事実は、『ルーズベルトの開戦責任』(ハミルトン・フィッシュ著・渡辺惣樹訳)を読んではじめて知った。

正直、これには少し意外だった。ルーズベルト政権があれほどまで強硬な対日外交になったのも、アメリカ国民の後押しを受けてのことと思っていたからだ。アメリカといえば民主主義発祥を自負する国である。世論の支持が何より重要なのは言うまでもないし、当時においては日本よりもずっと世論に敏感だっただろう。ルーズベルト政権が推し進める外交政策はアメリカ国民の理解によって支えられていると考えていたが、それは安直だったかもしれない。実態はそうじゃなかったのだ。

日米は、両国の間の緊張関係を解いて和平の道を探るため、昭和16年4月から11月にかけて交渉担当による協議を重ねていった。

残念ながら交渉は決裂し、多くの犠牲者を生む日米戦争の道が選ばれるわけだが、交渉決裂の発端となったと言われるのが、米国が突き付けた「ハルノート」である。

ハルノートとは、米国側の交渉担当であった国務長官コーデル・ハルが、日本側交渉担当の野村吉三郎および来栖三郎に手交した要望書である。米国が日本に要求する条件として、「陸海軍の中国からの(満州を含む)全面撤兵」「三国同盟の破棄」「蒋介石政権以外の中国政府の否認」などが盛り込まれていた。

この要求は、極東における日本の立場や地位、保証されるべき権益をすべて無視した理不尽かつ一方的な内容だった。野村も来栖も唖然として「これが本当に我が国への要求なのか」とハルに聞き返したほどだという。

そもそもこの要求には、それまでの日米交渉で議題に上がらなかった条件まで俎上に載せられていた。逆に日本側は、米国側が要求してきた「仏印からの撤退」を決定する妥協案を提示していた。日本は苦渋の思いで譲歩したのに、米国は妥協どころか条件のハードルを上げてきたのである。それもこれ以上ないといっていいくらい高いハードルであった。日本は失望し、これ以上の交渉は無益であると判断せざるを得なかった。

ハルノートが突き付けられたのは昭和16年11月26日。日本海軍の連合艦隊による真珠湾攻撃が敢行されるのはこの11日後になる。

『ルーズベルトの開戦責任』の著者であるハミルトン・フィッシュは、当時共和党議員でルーズベルトとは政敵の関係にあった。そのフィッシュも、日本の真珠湾攻撃に憤慨し、ルーズベルト大統領が米国議会に対日宣戦布告の承認を求める「恥辱の日」演説につづいてルーズベルト支持の表明演説を行っている。

ハミルトン・フィッシュは、アメリカが攻撃を受けない限り、いかなる国とも母国が戦争をすることに反対するという、「非干渉主義」の立場をとっていた。そんな彼が対日参戦支持に回ったのも、日本が和平交渉のさなかにだまし討ちとも言うべき卑怯なやり方で真珠湾基地を攻撃したと思ったからである。真相を知った後にフィッシュは自身の行為を強く恥じ入り、悔いている。そして戦後は義憤と責任追及の矛先を日本ではなくルーズベルトへ向けることになる。

ルーズベルトの「恥辱の日」演説は、「我が国と日本は平和状態にあり、同国政府および天皇と、太平洋方面における、和平維持に向けて交渉中であった」ではじまっている。まったくの嘘である。交渉は11月26日のハルノート通告で打ち切り同然となっていた。さらに、アメリカ政府は日本の外交暗号の解読に成功しており、真珠湾が攻撃された前日の午後六時には軍事行動の予兆を確認している。議会演説がはじまる十八時間前のことである。その間ルーズベルトは何もしなかった。ハワイ艦隊の司令官に危険を知らせることすらしなかった。

ルーズベルト政権が日本の攻撃があるとわかりながら何の対処もしなかったのは、念願だった欧州大戦への参戦の口実にしたかったからだろう。米国参戦に強く異を唱える者たちの言い分には、「アメリカが攻撃されない限りは」の但し書きがついていた。まさにその通りのことがハワイで起きてしまったのである。非干渉主義の立場をとっていた議員たちも口をつぐむしかなかった。アメリカ世論が一つにまとまり、米国参戦への道がきれいに舗装されることになった。

ルーズベルト政権は、ハルノートのような日本を挑発する過激文書を通告していただけでなく、それを議会や国民に隠していた。これは重大な事実ではなかろうか。何も問題ないのであれば堂々と公にすればよいのに、それをしなかった。あるいはできなかった。疑惑の目がルーズベルト政権に向けられても何ら不思議ではない。

ハミルトン・フィッシュの問題意識は当然だと思うが、フィッシュのような考えは残念ながらアメリカ歴史学界の主流ではない。アメリカで広まらない理由は何となくわかる。自国の歴史にとっての暗部であり、極めて都合の悪い情報だからだ。逆に、日本にとっては「だまし討ち」の汚名にまみれてきた歴史をただす好機となり得るはずだが、日本ではアメリカ以上に広まらない。広めてはならないとする圧力は、アメリカ以上のものがあるかもしれない。

日本人のナイーブな気質と言い訳を好まない美質は得難いものがあるけど、アメリカ外交のまずさが日本を追い込み戦争に走らせたとアメリカ人自身が言っているのだから、日本人はもっとこの事実に注目してもいいのではないだろうか。この場合において言わぬが花の精神は美徳でもなんでもなく、ただの怠慢だと思う。















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