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福沢諭吉のすべらない話『神様にいたずら』

福沢諭吉といえば、歴史に詳しくない人でもご存じのはず。みんな大好き万札の顔の人で、名門・慶應義塾大学の創立者。これだけみても人格者のように感じ取れますが、子どもの頃はとんでもないガキだったのです。

ある日のこと、神様の祟りなんて本当にあるのかと疑念を抱いていた諭吉少年は、大胆な実験を試みます。神様の名を記した御札を、わざわざ踏んづけたのです。

大人たちの言うように、バチが当たるのかと思えば、何も起こらない。諭吉少年は何だかがっかりします。神様が出てきて怒るほうが、子ども心には楽しいのです。

あきらめきれない諭吉、今度は「稲荷様を見てやろう」と企み、叔父の家にある稲荷様を祀る神棚を開けてのぞき込むミッションにチャレンジ。何か得体のしれないものがそこに隠れているのかと思いきや、あるのはツルリと円い石ころのみ。これにも諭吉はがっかりしてしまいます。

しかし諭吉の実験はこれで終わりません。今度は、神棚にあった石を別の石に取り換えたらどうなるのかという、不謹慎極まりない行為に走ったのです。

神様の石がその辺に転がっていた石にすり替わっても、ありがたがって手を合わせる来客たち。恭しくお神酒を上げて「家内安全、商売繁盛…」とぶつぶつ念じながら神にお祈りする叔父。そしてそんな姿をみて必死に笑いをかみ殺す諭吉少年。神様の姿を確かめるという目的が、ただのイタズラにすり替わり、「神様なんていないのに、バカだなあ」とうそぶくその姿、神童どころの器じゃありません。

子どもの頃の話といえ、福沢諭吉の無宗教っぷりには舌を巻いてしまいます。そんな人が、現代ではお金の神様として私たちの財布の中に鎮座しておられるのですから、こんなブラックジョークは他にありませんね。


※この記事は筆者のブログから転載したものです。


#歴史 #コラム #福沢諭吉 #すべらない話

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