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【戦争と日本人】道義的な反省と科学的な反省

日本人が昭和の戦争を公の場で語るとき、反省とセットでなければならない。反省なき戦争の語りや描写は、醜く不道徳な姿に映りかねないどころか、戦争賛美にとらわれる危険性すらあるからだ。

そんな意図は微塵もないと言い訳する無自覚さもまた、戦後の平和教育を信奉する者からすれば軽薄であり、どこか危なっかしく見える。反省を内包させてこそ戦争語りが許されるとする空気は、長い年月をかけて醸成され、戦後76年経った今も根強いものがある。

反省はもちろん必要だ。負け戦となった日本の戦争に反省が必要ないとする道理はない。ただ、戦後社会でもてはやされる「反省の態度」には、何かが決定的に足りていない気がしてならない。孫子の兵法的な表現を借りれば、それは「彼を知る」態度ということになる。

戦争には相手がつきものである。昭和の戦争についていえば、その主な相手はアメリカであり、中国ということになろう。戦争が起きた前後のアメリカはどんな状況にあったのか、日本に対する態度と行動はどのようなものだったのか。政治指導層にどんな考えや立場の人が多数を占めたのか。また中国はどうであったのか。

これらの情報は日本の戦争理由に深く関わる重要度の高いものなのに、多くの日本人はこの部分に関して驚くほど無関心に見える。そこに目を向けることをあえて避けているような感すらある。

日本人が日本の戦争についての反省を語るとき、原因や問題の追及先はもっぱら国内の政治や軍部ばかりとなる。日本が起こした戦争なのだからその原因はすべて日本にあるはず、と明確に意識している人はほとんどいないだろう。「戦争の反省は常に自国に対して向けられたものでなければならない」とする考えが無意識に発動した結果だと言えないだろうか。

日本の問題点を棚上げしてアメリカや中国のことをとやかく言うのは、繊細な日本人からすれば恥知らずでみっともない行為に映るのかもしれない。反省の姿勢としていかにもふさわしくないように感じるのかもしれない。

日本人の中での反省というのは、とにかく潔さや素直さ、品行方正さを重視しなければならない。過去の過ちと向き合う振る舞いに道義的な精神のひとかけらも損なえば、反省から遠ざかってしまうのだ。いかにも東洋的な発想である。

間違いは間違いと認める潔さももちろん大事にされるべきだが、そもそも反省とは何のためにするのかという根本的な問いも忘れてはならない。

反省が必要な理由は、二度と同じような問題が起きないようにするためである。二度と同じ問題を起こさないためには、その原因の冷静かつ客観的な分析と、合理的な判断に基づく有効な対策の提案が必要不可欠になる。

いくら見かけ上は正しく身ぎれいな振る舞いをしたところで、その原因を把握できず同じ過ちを繰り返していてはほとんど無益である。事実を丹念に追って原因と対策を追及する姿勢を徹底してこそ、はじめて反省する意味が生まれる。

戦争が起きた原因を自国にばかり求めすぎるものだから、アメリカや中国などはそのとき何もしていなかったような印象すらある。まるで日本ひとりが勝手に暴れだして戦争がはじまり、世界中の国々に危害を加えることになった。あの頃の日本人は粗暴で侵略精神むき出しのはなはだ迷惑な存在。そんないい加減で乱暴なイメージが広まっているが、そんなわけはないのである。

どちらか一方の国が加害者で、もう一方は被害者ときれいに区別できるほど、あの戦争は単純なものではない。アメリカでは、終戦後のかなり早い段階から日米戦争の研究や見直しが行われ、戦後公開されたさまざまな資料や証言から、「日本の行動に問題があったにせよ、アメリカ側の外交や首脳部の態度にも看過できぬ深刻な問題があった」とする見解が、米国の歴史学界やジャーナリズム、政治家の間で議論されるようになる。この重大な事実をどれだけの日本人が知っているというのだろうか。また知っていたとしても、この事実の重大性を認識している人はどれだけいるのだろうか。

日米開戦時のアメリカ大統領はフランクリン・ルーズベルトであった。ルーズベルト外交の稚拙さや無能さを指摘する歴史学者はアメリカ国内でも少なくない。戦中の1944年にはすでに「ルーズベルトは日本軍による真珠湾攻撃を事前に知っていた」とする噂が米国内を駆け巡っていた。当時はまだ戦中ということもあり棚上げされたが、戦争が終わった1945年9月には早速この問題を検証すべくアメリカ議会が上下両院による合同調査委員会設置を決定している(『アメリカはいかにして日本を追い詰めたかー「米国陸軍戦略研究所レポート」から読み解く日米開戦』ー ジェフリー・レコード著 渡辺惣樹訳・解説)。

この調査委員会の検証による結果報告書は翌年の1946年に発表されているが、そこに驚くべき事実が伝えられている。当時のアメリカ政府が日本の外交暗号を解読していたという事実である。これが本当であればアメリカ政府の首脳部や軍の幹部は日本軍による真珠湾攻撃を事前に察知していながら、ハワイ防衛の司令官に何ら有力な情報を送っていなかったことになる。

日本は真珠湾に海軍のスパイを派遣し、そこから得られる情報を外交電報で逐一日本に送っていた。アメリカが外交暗号を解読していたというのであれば、少なくともホワイトハウスの首脳部や政府高官らは日本軍による真珠湾攻撃とその期日に関する情報を正確に知りえたはずである。ルーズベルトが真珠湾攻撃の危険性を軍部に知らせなかったのは、知らせたくない理由があったからに他ならない。すなわち、日本に先制攻撃をさせ、それを口実にアメリカが世界大戦に参戦するシナリオを現実のものとしたかった。これは決して荒唐無稽な陰謀論ではない。ルーズベルトが登用した政府高官の証言が事実である可能性を示唆している。

日本側に第一撃を加えさせることにはリスクがあった。しかしアメリカ世論の完全なる支持を取り付けるのは日本に第一撃を加えさせることは極めて重要であった。そうすることで誰の目にも侵略者はどちらなのかをはっきりさせることができた(ルーズベルト政権の国務長官スチムソンの1946年の証言)

当時のアメリカ世論は、ナチスドイツによるポーランド侵攻をきっかけとしてはじまった欧州大戦への参戦に反対する声が圧倒的であった。そもそもルーズベルトは「アメリカの若者を外国の戦地に送るようなことは決してしない」と宣言して大統領選挙を勝ち抜いていたのである。本音では望んでいたアメリカの世界大戦参加をどのようにすれば実現できるか。その道筋をつけるには日本のほうから攻撃を仕掛けてくるシナリオしかなかったのである。すなわち「表口(欧州)からではなく裏口(極東)からの参戦」。その野望は日本が真珠湾攻撃してくれたおかげで実現した。

この「ルーズベルト政権の対日戦争陰謀論」は、一部のアメリカ歴史学者が唱える主張であり、国内全体を貫く通説とまでには至っていない。その事実が確定したとき、戦後築き上げてきたアメリカの地位はたちまちひっくり返ってしまうだろう。たとえ有力な証言や資料が出てきても、国益に反する事実であればそう容易に受け入れられないのが国民感情というものだ。とはいえ、ルーズベルトが事前に真珠湾攻撃を知ってあえて見過ごしたとする説に拒絶反応を示しながらも、時の政府外交がいかに問題が多く禍根を残したかについて、自覚するアメリカ人が多いというのも事実である。

日米戦争は先に日本が仕掛けてはじまった。これは厳然たる史実である。しかし、仕掛けられる側のアメリカの対日交渉や外交方針に何の問題もなかったのか。当時のホワイトハウス首脳にどのような意図と動きがあったのか、日本側でもっと検証があっていいはずである。













































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