日本人が政治に興味を持てない理由を考えた
最近知ったのですが、「たかまつななさん」というお笑いジャーナリストを名乗る方がいます。
彼女は芸能事務所に所属しながら、若者の投票率や政治に対する関心度を高めるべく、「笑下村塾」なる団体を設立してさまざまな活動に取り組まれているそうです。
この取り組みは素晴らしいことだし、ぜひともがんばってほしいと思います。
ただ、ぼくとしては、彼女のnoteやYouTube動画などを拝見し、取り組まれる姿を目の当たりにして、正直、複雑な思いしか抱けませんでした。
率直な感想としては、「ここまでしないと日本の大人たちは政治に興味も関心も持てないのか」と、ひどく情けない思いがしたのです。
YouTubeで見たのですが、たかまつさんの“政治を分かりやすく解説する授業”みたいなイベントに多くの若者たちが出席し、たかまつさんの講義に耳を傾けていました。
出席者の中には十八歳もいれば、二十歳過ぎ、三十過ぎの社会人経験者もいたでしょう。若者といってもみんないい大人です。
でも、何だか彼らが保育士のお姉さんとお遊戯を楽しんでいる幼稚園児のように見えて、暗澹たる思いがした……。
彼らは会社では仕事もできるのでしょう、知識もそれなりにあるのでしょう、得意なスポーツもあったりして、恋人もいて家族もいて、中には子の親になっている方もいるかも分からない。
そんな人たちでも、「選挙とは何ですか?」「民主主義とは何ですか?」と一から教わり、しかもお笑いというテイストを混ぜてないと理解できないなんて、とても長い民主主義の歴史を持つ国で起きていることとは思えない……。
このぼくの感情は間違っているでしょうか? 「何て上からな」と生意気に思われるでしょうか?
ぼく自身も、日本人の政治的無関心について、ずっと前から危惧していました。
しかし、こうも思っています。「決して国民だけが悪いのではない」。
むしろ、国民が政治について考えないような社会にしてきたのだから。
実は、日本人が政治に関心が持てないのは、思った以上に根が深い問題をはらんでいる、と個人的には考えます。
日本人が政治に興味持てないのは、「日本」に興味がないから
アイドルに詳しくない方でも、みなさんAKB総選挙はご存じでしょう。
この選挙の投票率について詳しくは知りませんが、好きな人はみんな参加するからおそらく100%ではないでしょうか。
そうなるのは単純な話、AKBが好きな人たちが投票に行くからです。それしかありませんよね?
日本の投票率が低いのは、これの正反対の現象といえないでしょうか?
要は、みんな日本という国に興味がないんです。
国政選挙というには日本の未来について決めるもので、それに参加しない人はどう考えても日本の未来に興味も関心もないとしか思えない。
これに尽きると思います。
もちろんすべてとは言いません。日本社会の現状を憂えてあえて意思表示として投票しない、棄権するという選択を取られる方もいるでしょう。
しかし、そういう特異な行動をとる方は少数派で、大多数は「母国パッシング派」だと思います。
言い方は悪いですが、「日本が将来どうなろうと知ったこっちゃない。そんなことより今日のデート何着ていこう」みたいな人が圧倒的多数だから、投票率も上がらない。
日本に興味を持ち、日本が好きで、祖国の将来が気になってしょうがない、という人が、「選挙なんてあほらしい」「面倒」「どうせ何も変わらないし」なんて言うはずがないんです。
日本に興味を持ち、日本が好きで、祖国の将来を憂える愛国者だったら、誰に言われなくても自らの足で投票所へ向かい、自らの頭で考えて一票を託すんじゃないでしょうか。
では、なぜ、日本人は、自分が生まれた国『日本』に対して、こうも冷めた見方しかできないのでしょうか?
先ほど、ぼくはあえて「愛国者」というキーワードを使いました。
日本においては、この言葉はちょっといわくつきの言葉でもあります。
もし、あなたの友人や恋人が、「自分は愛国者だ」と言ったら、どう思いますか?
「引く」という人、結構いるんじゃないでしょうか?
もしかしたら、「ちょっとアブナイ人なんじゃ…」と不安になるかもしれない。
自分の生まれ育った国。自分の愛する人もそこで生まれ育ち、住んでいる国ですよ?
そんな母国に対して、堂々と好きと言えない。好きなんて言ったら、何かちょっとアブナイ人と勘違いされる。
そんな状況を考えると、そりゃ「日本の将来なんてどうでもいいわ」ってなるに決まってるじゃん、と思ってしまうのです。
『愛国』という概念を忌避し続けた戦後ニッポン
愛国という言葉に、どこか危険で不穏なイメージを持ちがちなのは、おそらく戦前の反動によるものでしょう。
戦後の日本人は、「かつて“お国のため”といって多くの若者が無駄死にした暗黒の時代があった」と教わってきました。
わが国は、かつて、国力がまるで違う超大国アメリカに戦争を吹っかけるという、途方もない決断をしたことがありました。
その結果、もうこんな情けない負け方は他にないというくらい、みじめな敗北を喫したのは厳然たる事実です。
民間軍人合わせて300万人以上が犠牲になったあの戦いで、国民はさかんに日の丸を振り、軍歌を歌い、国家への忠誠という名のもと煽られた愛国心は、戦意高揚のための道具に使われていきました。
国家が威信をかけて争う戦争というのは、そのすべてを投入して戦います。国民皆兵の時代ですので、国民生活が犠牲になる面は否めません。これは別に日本に限った話ではなく、戦争当事国すべてにあてはまります。
ただ、日本の場合、それがあまりにも甚だしかったことと、負け方が悲惨だったことが重なり、日の丸や愛国心なる感情に、重度のトラウマを抱え込んでしまった、という悲痛な側面があります。
個人が国家の犠牲となって戦い、無残にも負けてしまった戦争。
その反省で、個人は国家から独立し、自由でなければならないとする考えが戦後の価値観の基礎となります。
反対に、国家(日本、もしくは政府)はいつ暴走するとも分からない危険性をはらむものであり、再び国民が国家の犠牲にならないよう監視しなければならない、とする考えも深く根を下ろしていきます。
同時に、戦争に日の丸や国歌、愛国心は戦争に利用されるものであり、これらはなるべく国民から遠ざけるようにしたほうがよいとする風潮も醸成されていきました。
マスコミの報道を見ても、国家(日本、もしくは政府)と国民は、何だか対立しているように見えることはないでしょうか?
外交問題や国際問題を扱うときも、やたら外国目線が目立ち、また何かと主語になるのは「国際社会」で、「で、日本の立場は言わないの?」と思ったことはないでしょうか?
どんなに理不尽な主張に対しても物言えぬ日本。口を封じられた原因は、すべて「日本という国はかつて無茶な戦争をおっぱじめたヤバい国」という“日本悪玉論”に収斂されます。
日本は日本でそれなりに理由があって戦争を始めたわけですが、ここではそれについて詳しく触れません。何と言おうと、日本が戦争に負けたのは事実で、負けた戦争をした日本は確かに悪い。もうそれ以下でもそれ以上でもない。
日本悪玉論は、マスコミ報道や教育現場など、いたるところに影を落としています。そんな戦後社会で育ってきた日本人に、母国に愛着を持てというほうが土台無理な話なのかもしれません。
しかし、果たしてそれでいいのでしょうか? 日本人が日本という国に愛着も誇りも持てないまま時代を経過して、それで日本社会がよくなっていくのでしょうか?
選挙の話に戻ります。政治に関心ないという日本人に聞きたい。
あなたは自分が生まれ育った国に、どれだけ愛着を持っていますか?
愛着を持てないのであれば、その理由は何ですか?
愛着を持てないという前に、あなたは、日本についてどれだけ知っていますか? また知る努力をしましたか?
「日本は過去に悪いことをした」と言う方は、過去の戦争についてどれだけ調べたうえで言ってますか?
マスコミ報道を鵜呑みにし、また自己の体験にのみ基づき、悪いところばかり見て、いたずらに絶望ばかりして、はなから「こんな国にいいとこなんかない」と決めつけていませんか?
国会議員の給料が高いのはけしからん、税金上がるのけしからん、年金減るのはけしからん。
確かにそうですが、それは日本の未来を考えての発言ですか? それとも気に入らないから、将来が不安だからというだけで言ってるのですか?
自分の感情や人生ももちろん大事、でも国政選挙では、日本という国をこの先どうしていくのかという視点も大事ですよね。
でもやはり、日本の未来とか知らん、それより俺の人生じゃ、ってなりますか?
そんな考えばかりの人が集まる国に、未来はあるんでしょうか? 孫やひ孫の世代にいい国を残せるでしょうか?
祖国に愛情を持つ人が増えれば、選挙に行く人も増えるはず
何度も言うように、日本人の政治に対する関心のなさは、単純に自国について興味ないから。それはつまり愛情を持てないから。
でも、不思議なことに、若者の投票率の低さを憂える人たちは、なかなかこの点を指摘しませんよね。
たぶん、その人たちも、どこかで「敗戦後遺症」を引きずっているからでしょう。
愛国心を持てばまた戦争をおっぱじめる、とかそんなバカな極論はいい加減やめにして、まずは日本について語ることからはじめませんか?
使う言葉は、「政治」ではなく、「日本」でいきましょう。
政治に関心を持つというより、日本について関心を持つ。
日本を知るには、日本の歴史を知るのがいちばん手っ取り早いです。
祖国に愛着を持てない(持たないようにしてきた)日本人は、当然のごとく日本の歴史について知りません。
私たちの祖先の歩み、国造りがどのようなものだったのか知ることは、日本という国の成り立ち、引いては自分たちのルーツを知ることを意味します。
それは、自国に愛着を持ち、未来について考える日本人を育てるための、ここしかないといっていいほど完璧なスタートラインです。
内政外政、憲法や安全保障などの重要テーマ含め、すべての政策決定において歴史の影響は避けられず、歴史的知識があれば政策支持の判断もしやすくなります。
日本の歴史を次世代に引き継ぐのは今を生きる私たちの役目であり、それを実現するには政治参加する以外に方法はありません。
だから、ぼくとしては、若者の政治参加を促す運動をする人たちに対して、「まずは日本人が日本を好きになるような運動をしませんか?」と呼びかけたい。
日本が好きになれば日本の未来について考えるようになりますし、選挙にも行かなければならないという感情も自然と芽生える。
興味を引くコンテンツ、キャッチ―なコピーを使わなければ選挙に行かない、行けないというのは、ちょっと健全とは思えないし、本質的な解決になるとも思えない。
たかまつさんの例ばかり出して恐縮ですが、そのアプローチ方法を見ても、やはりどこか日本という国に対してネガティブなイメージが強いのかな? という印象はぬぐい切れませんでした。
お笑いジャーナリストというくらいだから、明るくなれるよう「日本にも希望はある!」みたいなトーンの動画あるかなと思いきや、「日本の将来は暗い」を前提とするものばかりで笑えなかった(笑)
確かに危機感は大事ですが、そればかりじゃつらい。ぼくは、日本という国には希望も可能性もある、と信じています。そう思えるのは、日本は他のどの国にもないユニークな歴史を持ち、かつ勤勉で独立独歩の気概ある、世界の国々から畏敬されてやまない民族精神を持つということを、歴史を見て知っているからです。
日本人のポテンシャルを引き出すのはほかでもない、日本国民です。それをかたちにするのが民主主義の本質です。政治家に丸投げすることではない。彼らは国民の意思を政治に反映させる代理人に過ぎませんから。
ぼくも、たかまつさんと同じく「ペンは剣よりも強し」という言葉を信じて、日本人が日本を好きになり、政治にも関心を持てるよう微力ながら発信できたらと思います。
関連記事
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?