平井かほのすべらない話「龍馬の手紙」
平井かほ…
加尾ともよばれる。土佐勤皇党・平井収二郎の妹で、坂本龍馬の初恋の人。三条実美の兄・光睦(きんむつ)に嫁いだ山内容堂の妹・友姫に付き従うかたちで都に上る。友姫の死後も京都にとどまり、奔走する脱藩志士を陰で支え続け、動乱の時代をたくましく生き抜いた。
公家屋敷での生活がながいと、たいていのことで驚いたりしませんが、龍馬さんからあの手紙をもらったときはもう、面食らったというか、思ってもみなかったことなので言葉を失いました。
土佐を離れて長かったですし、幼馴染の龍馬さんから久しぶりにお手紙を頂いたときは、とても懐かしくて、心の底から感激したのを覚えています。
たまたま近くにいた侍女友達からは、「恋人からですか?」と冷やかしを受けましたが、龍馬さんとはそんな甘酸っぱい仲でもなく、言ってみれば戦友みたいな間柄でしたから、「とんでもない」と否定しましたけど、恋人といわれて、まあ悪い気持はしませんでしたね。
「龍馬さんの恋人」縁さえあれば、そのような立場も悪くなかったかもしれません。けれど、縁があれば、私と龍馬さんはとっくにくっついていたでしょう。それはともかく、その龍馬さんからの手紙ですが、中身の文章自体は、とても短いものでした。
何と書かれてあったかというと、「高マチ袴」「ブツサキ羽織」「宗十郎頭巾」「女性ものの大小」それぞれ一つずつ支度し、今すぐ装い改めて我らと行動を共にしてほしい、といった要件のみの寂しい内容。しかも男物の装いを準備しろとは、一体何事でしょうか。
一緒に手紙を読んでいた友達は、「かほさん、男装するんですか」といいます。私は、彼女を見返しました。そしたら、また彼女はいいます。「男装しちゃうんですか」
私は、何でもないように、「龍馬さんて方は、とてもひょうきんな方で、ほほほ」と何でもなく笑ってあげました。そして、誰に言うでもなく、聞こえないような声で、あほか、という言葉が口をついて出てしまったのです。
けれど仕方ない、この手紙を素直に読めば、そう取らざるを得ないでしょう。袴も羽織も頭巾も男もの、おまけに女性用の細い大小とか…。
そうか、龍馬さんは、私のことが好きだとかいろいろいいこと言ってましたけど、もう、私を女と見てくれていないのですね。そして一緒に戦え、と。
友達がしつこく、「ねえねえ、かほさん、男の恰好して、戦うんですか?かっこいい」と無邪気に騒ぎます。
私だって、もう女を捨てた気になって、土佐のため、日本のため、朽ち果てるまで勤皇精神に生きると覚悟を決めてここまで来たので、ついこう言ってやったんです。
「ええ、そうですよ。それが土佐の女の生き様です。愛するこの国のために、男並みに戦うのですよ。都育ちのあなたには分からない世界でしょうけど」と強がりつつ、心の中で、「龍馬死ね」とつぶやいたのでした。
坂本龍馬と手紙…
坂本龍馬という人は、ひじょーに筆マメな人だった。確認されているだけで、百二十八通の手紙を書いている。おもな宛先は、姉の乙女や兄の権平、土佐時代の仲間、薩長系志士、海援隊メンバーなど。「日本を洗濯し候」「えへんえへん」「風呂の角に金玉ぶつけて死ぬ」などの有名なフレーズはみな、これらの手紙の中から生まれた。
※筆者管理ブログより転載
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