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薩摩型リーダー(西郷従道、大山巌)から理想のリーダーを考える

異なるタイプの二人のリーダーがいたとします。

一人は、「A.部下任せにせず、何事も自ら率先して働く人」
もう一人は、「B.部下に大まかな指示だけを出して後は任せっきりの人」

リーダーの条件としてはどちらがふさわしいでしょう?

実はBの「部下に指示だけ出して後は任せる人」のほうがリーダータイプといえます。

Aのほうが人受けは良さそうですけど、部下任せにしないで自分で何でもやりたがる人はリーダーに向いていません。

リーダーに求められるのは、高度な実務スキルでもなければ、豊富な知識でもない。もちろんあるに越したことはないけど、十分条件ではない。

部下を信頼することと、結果の責任はすべて自分がとること。
このふたつが備わっていないと、いくら仕事ができる人でも真のリーダーにはなれない。

もっとも、信頼できるような人材の養成と発掘、そして現場の人たちが自分の力を出し切れるような環境作りも、リーダーの大切な務めであることは言うまでもありませんが。

このように「実務は部下に任せ、結果の責任は自分がとる」タイプのリーダーを「薩摩型リーダー」と言います。

明治維新を引っ張った薩摩藩出身の志士たちに、そのようなタイプのリーダーが多かったのですね。

薩摩型リーダーの典型と言われた人物が、西郷従道。西郷隆盛の実弟です。

彼が海軍大臣だった頃の話。海軍次官に同郷の後輩である山本権兵衛がいました。

海軍の組織改革に意欲を見せる権兵衛はある日、上司の従道にとんでもない要望を出します。薩摩閥が幅を利かす上層部を大リストラする計画です。

当時の海軍はまだ黎明期。上層部には薩摩出身や明治維新に功労があったというだけで重要なポストに就いている者が少なくありませんでした。欧米列強にならい近代化を目指す海軍がこれではいけません。権兵衛はその思いを従道にぶつけたのです。

大々的なリストラなぞやろうものなら内部の猛反発は免れません。それを承知で従道は権兵衛の要望にゴーサインを出します。ただ承認しただけでなく、リストラ計画が上手く運ぶように根回しに尽力し、権兵衛が思い描く組織の編成に協力しました。

言葉で説明するのは簡単ですが、なかなかできることではありませんね。

もう一人、薩摩型リーダーの体現者として紹介したいのが、大山巌です。この人は西郷隆盛・従道兄弟とは従兄弟にあたります。

日露戦争で満州軍の総指揮を務めた大山は、作戦指導のトップだった児玉源太郎に対しこのような言葉を述べました。

「戦はすべて児玉さんに任せます。負け戦になれば、すべての責任は私がとります」

大山巌は薩英戦争や戊辰戦争に従軍した歴戦の猛者で、砲術の専門家でもありました。日露戦争で総司令官という立場になると戦闘や作戦には一切口を出さす、現場の司令官や作戦参謀に任せたといいます。どんなに状況が切迫しても慌てる素振りは微塵もみせず、どっしりと構えていたとも言います。

トップでありながら何も口に出さず黙って見守る姿はあたかも「無能」のようにも見受けられましたが、もちろんそんなことはありません。戦闘の命綱ともいえる砲弾が無くなりかけたときには作戦参謀の主張をはねのけ、断固として攻撃中止を指示したといいます。大勢をみて命令を出すべきときは出す。これが真の大将というものでしょう。

大山は戦後息子との対話で何が一番辛かったかと聞かれ、「何も知らないふりをするのが一番辛かった」と答えています。リーダーたるものでしゃばらず現場の部下たちを信頼して任せる。薩摩型リーダーの本領がここにあります。

薩摩型リーダーの典型と評された西郷従道と大山巌。彼らがともにお手本としたのが、西郷隆盛です。隆盛もまた高い実務能力を持ちながら、己がトップに立つと手も口も出さず部下にすべてを託す、薩摩型リーダーを具現化した男でした。

リーダーとしてふさわしい条件は、実務処理の有無より、責任をとれるかどうか。これに尽きるのではないかと思います。













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