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「歴史修正主義批判」に異議あり


「歴史修正主義」という文句を使って批判するやり方が、どうにも腑に落ちません。

調査や研究、新たな事実や新史料の発見を通して評価の見直しや訂正が行われるのは自然な流れであり、それが学問の役割でもあるはずなのに、なぜかある特定の時代の歴史に関して主流とは違う考えを披瀝すると、「それは歴史修正主義だ!」と罵倒に近い感じで非難されるのはなぜでしょうか?

「歴史は訂正や評価の見直しが可能であり、それができなかったら神話になる」という趣旨の記事を前回書きました。

後世の研究で歴史的事実の見直しが行われる例は珍しくありません。一時期わいろ政治の見本のように言われた江戸幕府老中の田沼意次ですが、あの時代主流だった農業資本から商業資本中心の経済に舵を切るなど、先見性の高い政治家であったことが今日わかってきています。また、幕末の薩長同盟はあたかも坂本龍馬が陰に陽に働いた結果だと言われてきましたが、実際のところ坂本の働きは少なく真の貢献者は中岡慎太郎であったとする説が今では有力です。このように歴史の定説は普遍ではなく流動性の高いものという点を押さえておく必要があります。

時代が変われば歴史の定説や見方も変わる。そうなる要因はいくつかあるでしょう。新しい資料の発見に伴う研究の充実、時代の移り変わりによる価値観の変化、政治的制約からの解放などなど。歴史はサイエンスでもなければ法律の話でもないので、絶対不変の真理などは存在しないし、白黒で単純に分けられるほど都合よくもありません。極端な話、一つ一つの事実に対して、それを見る人間がどんな価値観、どんな立場で見るかでその事実の「景色」も変わります。「日本が起こした戦争をきっかけにアジア諸国が独立した」のは事実としても、今の時代に現職の大臣がこれを言うと首が飛ぶでしょう。政治家を例に出さなくても、一般人ですらこれを歴史の事実として受け入れている人はほとんどいません。ただ50年後、100年後には、少数派と多数派が逆転している可能性は十分考えられます。

「歴史は勝者によってつくられる」使い古された言葉です。その「つくられた歴史」は、政治的制約を極限に受けます。だから、制約から解放されて自由に語れる時代が訪れるまで、「歴史修正主義者」という批判の矢が飛んでくる状況は続くとみてよいでしょう。

この「歴史修正主義者」ですが、その意味を字面だけで理解していると痛い目に遭います。これには「ナチス礼賛」「ヒトラー崇拝」「ホロコースト肯定」といったニュアンスも含まれ、内容批判より人格否定、中傷、侮蔑、排撃に近いといっていいでしょう。どんなことを言うと「歴史修正主義」になるかはだいたいわかるので、発言するときは場の空気や状況を読んだうえで発言する人(私も含め)は多いのではと思います。

もちろん日本にも「テンプレート」が存在して、先の大戦において日本の侵略を否定したり、政府・軍部の戦争責任を認めなかったりする考えをほんの少しでもほのめかそうものなら、「この歴史修正主義者め!」と、石でも投げられそうな勢いで言われるからたまりません。

もうほとんど「歴史修正主義者=人でなし」と言っていいくらいの強烈な批判のメッセージがそこに込められているわけです。

要するに、第二次世界大戦で枢軸国(日本やドイツなど)と言われた国の立場に少しでも理解を示したり、弁明めいたことを言おうとすると、侵略戦争を肯定する者とみなされるわけですが、その批判姿勢の実像は、連合国側(アメリカやイギリス、ソ連、中国などの戦勝国)の「公式見解」を光として浮かび上がる影のようなものだといえます。

「歴史は勝者によってつくられる」とはよく言いますが、今の世の中の仕組みや諸課題ー国家間貿易、国家間ルール、経済交渉、外交防衛、領土問題、そして日米協定ーは、戦勝国が作り上げた「ヤルタ・ポツダム体制」の影響を大なり小なり受け、その枠組みの下に政治が動いて私たちの生活が左右されてきました。その頑強な体制を支える理論こそ「勝者がつくりあげた歴史」であり、ただの使い古された一般論ではなく、まさに現在進行形でこの世の中に息づいている事実を、もう少し重く受け止めたほうがよいのではと考えます。これについて問題意識が芽生えない原因として、やはり近現代の歴史をちゃんと教えてこなかった戦後教育が一番大きいのではないでしょうか。

戦後の日本は歴史を蔑ろにしてきました。だから自国の歴史を知らないどころか知らなくて当たり前と言わんばかりの風潮も育ち、やたら知っている人はオタク扱いされて終わり。愚痴っているように聞こえるでしょうか? それとも、「世界のどの国も歴史教育には力を入れている。蔑ろにするような珍しい国は日本だけ」とでも言うほうが日本人の心に届くでしょうか?

ちなみに、先の大戦において真の勝者はアメリカではなく、共産主義だったと考えます。ソ連は崩壊しましたが、中国が共産主義の大国としてしぶとく生き残り、世界でのヘゲモニーを虎視眈々と狙っていることは、さすがの日本人も気づいてきたでしょう。その中国が江沢民以来、対日戦略の基本として掲げてきたのが、「歴史戦」です。歴史カードを突き付けるだけで日本は黙る、というわけです。彼らは日本人が歴史を知らないことをよくわかっています。歴史がいかに重要であるかを一番知り尽くしているのも中国です。そのような国を隣に置く日本は本来、中国以上に歴史に敏感にならなければならないはずですが、それに気づくまでまだまだ時間がかかりそうです。













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