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二・二六事件を考える⑦雪の日の襲撃

「二・二六事件を考える」記事

二・二六事件の決行各部隊の編制は次のようになっていた。

首相官邸襲撃班:栗原部隊(栗原安秀中尉、林八郎、池田俊彦少尉、対馬勝男中尉)
陸相官邸占拠班:丹生部隊(丹生誠忠中尉、香田清貞大尉、竹嶋継夫中尉、山本又、磯部浅一、村中考次)
以上は歩兵第一連隊

侍従長官邸襲撃班:安藤部隊(安藤輝三大尉他)
斎藤内府・渡辺大将襲撃班:坂井部隊(坂井直中尉、高橋太郎、麦屋清済、安田優少尉)
警視庁占拠班:野中部隊(野中四郎大尉、常盤稔、清原康平、鈴木金次郎少尉)
以上は歩兵第三連隊

高橋蔵相襲撃班:中橋部隊(中橋基明中尉、中島莞爾少尉)
近衛歩兵第三連隊

湯河原牧野襲撃班:河野部隊(河野寿大尉、宇治野時参軍曹、水上源一)
河野寿は所沢陸軍飛行学校所属

午前三時半から四時半ごろにかけて出発

一千四百を超える将兵が「尊王討奸」の旗を立て、吹雪がすさぶ中を行進した。

午前零時ごろ

安藤部隊で非常呼集がかけられる。

午前三時二十~三十分ごろ

丹生部隊、栗原部隊、坂井部隊、野中隊で非常呼集。

安藤部隊、麻布の歩三営門を午前三時三十分ごろ出発。三番町の鈴木侍従長官邸へ。

午前四時過ぎ

湯河原襲撃班の河野部隊が湯河原に到着。

午前四時三十分ごろ

栗原部隊、丹生部隊、坂井部隊、野中部隊が麻布の歩一営門を出発。

栗原部隊は溜池の首相官邸、丹生部隊は三宅坂の陸相官邸、坂井部隊は霞が関の斎藤内府私邸、野中部隊は桜田門の警視庁へ向かう。

赤坂の近歩三の中橋部隊も同じころ営門出発。青山通りの高橋蔵相邸へ。

午前五時に襲撃を一斉開始

襲撃は各部隊五時に一斉開始と決まっていた。

侍従長・鈴木貫太郎邸

安藤大尉の第六中隊が突入。侍従長を見つけた安藤、「天誅」と叫んで銃を乱射。とどめを刺そうと刀を抜いたところへ夫人が身を挺してかばったので、それ以上は手を出さず引き上げた。

後に侍従長は一命をとりとめたことが判明。

内大臣・斎藤実の私邸

突入は坂井部隊。機関銃を乱射して戸を打ちこわし、二階の寝室に乱入。内大臣に向かって坂井が「天誅」と叫びながら銃を発射。これに機関銃の猛射が続き内大臣は絶命した。このとき身を挺してかばった夫人が腕に銃弾を受けて負傷。

蔵相・高橋是清の私邸

突入は中橋部隊。蔵相は二階寝室で布団をかぶっていた。中橋、中島の両人が「天誅」と叫んで猛射を浴びせ、最後に刀を抜いてとどめをさした。

岡田啓介・首相官邸

栗原や対馬、林らが銃を乱射しながら押し入る。首相の姿がなかなか見つからなかった。邸内でひとりの老人を見つけて誰何するが、何も答えないので発砲。一室に運んで岡田首相の顔写真と比較し、人相から首相と断定した。死体を首相の寝室へと運んで安置した後、部隊は引き上げた。

栗原部隊に殺害されたのは岡田首相ではなく、妹婿の松尾伝蔵首相秘書官(陸軍大佐)であった。首相と松尾大佐は人相と背格好が非常によく似ていた。

警視庁

五時頃に野中部隊、応対した警察役人を銃の威嚇で抑え込み、やすやすと侵入に成功。連絡機能などを遮断して各要所を占拠した。

湯河原の別荘

湯河原の牧野伸顕別荘を襲う決行も五時に開始された。河野ら複数の襲撃班は裏口から闖入、牧野を護衛する警官を脅して案内させるも銃射撃で抵抗され目的を果たせず。河野は重傷。牧野は看護婦の機転で女装し、孫娘に手を引かれながら別荘を脱出。難を逃れた。

教育総監・渡辺錠太郎大将の私邸

渡辺錠太郎大将の私邸は杉並にあった。渡辺邸襲撃担当は坂井部隊。同部隊は斎藤内府邸を襲った後、主力部隊から分かれた一隊三十名が市川からかけつけた野重砲兵の田中部隊のトラックに乗って急行。午前六時過ぎに渡辺邸到着。軽機関銃をもって表玄関より乱入し、寝室にいた渡辺大将を射殺した。寝室の前で渡辺夫人が立ちふさがる抵抗を見せ、渡辺大将も拳銃で必死に応戦したが、軽機関銃を携えた兵隊にはかなわなかった。

陸相官邸での談判

丹生部隊に率いられた村中、磯部、香田らが川島義之陸相の滞在する官邸を訪問。警護役の憲兵を銃で脅して寝室に案内させる。

村中が寝室の前で「大臣、起きてください。大事件が起きました」と叫ぶ。再三の呼びかけにも返事はない。仕方なく村中らは応接室で待つことにした。

午前六時半ごろ、川島陸相と面会

二時間後、ようやく大臣が姿を見せる。勲一等の軍服を着て現れた。

「こんなことをするくらいなら、前もって話してくれればよかった」と大臣。

将校たちは「陸軍大臣への要望事項」を大臣の前で読み上げる。

一、陸軍大臣の断固たる決意により、すみやかに事態を収拾し、維新に邁進すること
二、皇軍同士が攻撃しあう不祥事を絶対にひきおこさないこと
三、国体を明徴にし、国防の充実、国民生活の安定を計ること
四、国体を破壊する元凶、西園寺を保護検束すること
五、軍統率を破壊する元凶、宇垣一成(朝鮮総督)、南次郎(関東軍司令官)の保護検束
地方同志の菅波三郎、大蔵栄一、大岸頼好(この三人は地方の蹶起将校シンパ)などを東京に招致して、意見を聞くこと。軍閥的精神をはびこらせた小磯国昭(朝鮮軍司令官)らを逮捕すること
この各項目が実行され、事態が安定するのを見るまでは、蹶起部隊を現在の位置に留まらせること

午前八時ごろ、真崎甚三郎大将が陸軍省に到着

皇道派の真崎甚三郎大将が陸軍省に到着。

磯部が駆け寄り、「統帥権干犯の賊を討つために蹶起しました。情況をおわかりですか」というと、真崎大将は「とうとうやったか、お前たちの心はヨウわかっとる、ヨオーわかっとる」と応じた。

磯部が「どうか善処していただきたい」と付け加えると、大将はうなずきながら官邸の奥に引っ込んだ。

真崎大将が入ったのは官邸談話室で、ここで川島陸相と善後策について討議した模様。

真崎は厳しい口調で「戒厳令を敷け」と川島に詰め寄ったという。

真崎がどのような意図で「戒厳令」を口にしたのか不明だが、戒厳令を敷くことは蹶起将校らの企図のひとつであった。

川島はその場で決心できず、とりあえず参内(宮中に出向くこと)を決意。

午前10時過ぎ、軍事参議官会議

軍事参議官が集まり対応を協議する。

この間、磯部、村中、香田らの幹部は陸相官邸内で軍首脳部の返答を待つ。

午後2時過ぎ、山下少将が「陸軍大臣告示」を持参

皇道派の山下奉文少将が将校一同の前に現れ、「陸軍大臣告示」を読み上げる。

陸軍大臣告示
一、蹶起の趣旨については天皇陛下に上奏された
二、諸君たちの行動は国体の顕現を願う深い心に基づくものを認める
三、国体の真の姿の顕現の現状については、恐れかしこまる思いに堪えない
四、各軍事参議官も一致して右の趣旨にそって邁進することを申し合わせた
五、これ以外については一切、天皇陛下のご意向を待つ

この告示をうけ、蹶起将校らは歓喜した。

自分たちの意思が天皇陛下に届き、その行動は軍上層部に認められたのである。

日本を救う革新内閣の誕生はまったなし。

蹶起将校らは「勝利」を確信した。

陸軍大臣告示は、三宅坂に集まった安藤や坂井、首相官邸を占拠中の栗原、警視庁に立てこもる野中らにも伝達された。彼らもまた大臣告示をみて感動し、万感の思いに暮れた。

この日、多数の蹶起将校は陸相官邸で夜を明かした。

その裏で戒厳令の準備が着々と行われていた。これは蹶起将校らが意図した「軍政」のためのものではなく、「鎮圧」を目的とするものだった。


参考資料:
『獄中日誌』磯部浅一
『二・二六事件蹶起将校最後の手記』山本又
『二・二六事件』松本清張







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