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滅びた新ジャンル日本画【01】 -その誕生-

こんにちは、邪道日本画家のShozo-JPこと小柳省三です。
普段はアクリルやクレヨン、岩絵具や墨などめんどくさい画材も使って日本画みたいな絵を描いて売ってます。
日本画の本流とは全然接触ありません。

唐突ですが、
2022年9月、アメリカの詐欺師からDMが来て
「アナタワー、NFTオーシッテマスカー。」(意訳)と問われ
知ってますよ。と答えたら
「私ニー、アナタノ絵ヲー、1枚40万円デー、売ってクダサーイ。」
と言われたので、じゃあ先払いでPayPal決済ね。と答えました。
すると
「ノーノー!NFTデ売ってクダサーイ。」
とNFTのやり方を丁寧に手ほどきしてくれました。

「最後ニー、ココにウォレット繋いてクダサーイ。」
嫌です。さようなら、今までありがとう♪
と言って彼とは別れ私はNFT界にやってきました。

NFT界に身を置くことになった私は、この世界が多分先端じゃないかな?と直感しました。
だって、面白い作品が毎日山のように発表され、驚くべきことに画廊やデパートでは滅多に起こらない完売なんてのが当たり前のように繰り広げられているんですから。

これはクリエーターさん達が凄いばかりでは無く、作品を求める人たちの質量がフツーの美術界と比べて桁外れに凄いという事を表しています。

前置き長すぎました。
ここからが本題です。


NFTの主な交易の場であるツイッターでいつものように会話をしていた時です。
話の流れが日本画そのものについて説明する場面に遭遇しました。

なので、
日本画なんてものは比較的新しいもので、しかももう死んでるかもしれない領域だよ♪
みたいな連ツイをしてて自分でも何言ってるのか分からなくなったのでここで少し整理してみたいと思います。

ツイッター誤字だらけだし。

そういえば日本画家って多分もう絶滅危惧種なんですけど、そもそも日本画と言うのは明治維新以降に出来た比較的新しいエリアで大正時代に最盛期を迎えそこからはどうなってるのか解らないんですよね。
説明は出来るけど、必ず「そうか?」ってなるのですでに絶滅してる可能性が。

自身のツイートより

日本画の歴史は明治時代に始まります。
それまでの日本には「日本画」なんてものはありません。

幕末になるとご近所の国々が欧米列強に食い尽くされてゆくのを知った日本。
この事態に偉い人とか、それなりにアンテナ立ててた浪人や商人は戦慄しました。
日本とかアジアとか言ってたら植民地化されてしまう。
もうなりふり構わず欧米と同じ列強になるしかない。
と明治維新が起きました。

そして明治が開け、日本人がしたこと。
まず、チョンマゲ切り落としました。
ドイツやイギリスの真似して極度な髭を形作りました。
ドレスを着てみました。
ダンスだって習いました。
レンガで建物作りました。
ヨーロッパに産業スパイ送り込んで洋食器作りのノウハウも仕入れました。
などなど、文明開化というものを進めたのです。

製鉄、蒸気機関、通信テクノロジー、軍事組織、立法府などなど
出来る事はなんでも欧米からパクリまくって脱日本文明を図り、
その上で文化も欧米に倣ったのです。
だから文明も文化も開化(欧米か)させたという事になります。
そうしないと同じテーブルに着かせてもらえないからです。

じゃあそれまで日本の絵師達は何も知らなかったのでしょうか?
いえ、そんな事は無くて、欧米の絵を意識してはいたんです。
鎖国中だってオランダなどとの交易は続き、情報も得ていましたから。
遠近法とか結構勉強してます。

小田野直武「東叡山不忍池」

日本の画材、岩絵具を使って絹に描かれた欧米画法の真似、つまり遠近法や陰影法を取り入れた絵も描いてます。

でもこれでは弱い、本格的な欧米の絵を描け!
って明治政府がいうので、日本の絵師達は画家となって欧米の絵の先生に習いました。


高橋由一「鮭」

頑張りました。
頑張ったけど西洋ではすでに印象派の時代まで進んでいました。
かなり手遅れです。

一方、学問にも力を入れていた明治政府は、アメリカの秀才フェノロサを呼び寄せます。
フェノロサはまだ25歳で大学の先生として哲学、政治学、経済学を教えました。
フェノロサは、ハーバード大学出身ですけどボストン美術館の絵画教室にも通ってて絵が好きだったようです。

さて、この絵が好きな若きアメリカの秀才、アーネスト・フェノロサこそが日本画の産みの親となったのです。

当時、アートの中心地はパリでしたからアメリカの躍進はまだです。
日本はもっとアート未開の地。
ですがフェノロサは、世界のアート市場などお構いなしに日本の文化に興味を持ち根が頭いい子なので理屈つけたり分析したりしてるうちに日本の文化も結構なもんじゃない?って空気を作り出しました。

  • 写真のような写実を追わない。

  • 陰影が無い。

  • 輪郭線がある。

  • 色調が濃厚でない。

  • 表現が簡潔である。

日本の絵にはだいたい上記のような特徴があるぞ!と発見したフェノロサは、「Japanese painting」と言いました。
そのまんまです。
この「Japanese painting」が直訳され、
ついに日本画という言葉が生まれます。
日本画の誕生です!

ですが、誕生と言っても日本画という言葉が誕生しただけです。


フェノロサの発見、あるいは発明した日本画の特徴は、

  • 写真のような写実を追わない。

  • 陰影が無い。

  • 輪郭線がある。

  • 色調が濃厚でない。

  • 表現が簡潔である。

でしたね。
これは偶然かもしれませんが、現代アートの文脈に乗っています。
マンガ、アニメ、イラストにも多く見られる表現です。


さて、フェノロサ先生を手伝ってた人物に岡倉天心という人がいます。
この人は後の東京藝術大学、藝大の祖です。
そして現東京国立博物館の美術部長としても活躍します。
でも不倫騒動を起こしてほされます。

この天心の連れてきた人達がだいたい日本画の祖となって行きます。
フェノロサも関わります。
日本画という言葉の誕生と共に、日本画という新ジャンルを確立しようとした時代、それは日本が欧米列強に食べられないよう同じテーブルにつくという悲願と文化層が関わった結果でもあります。

ん?洋画だけ覚えれば同じテーブルにつけるんじゃないの?

それはそうですが、万国博覧会というものがまだ外交に有効だった時代、
独特の文化を見せびらかす必要もあったのです。

もう疲れたから続きは後日書きます。
ではまた会いましょう!



「確かに俺は日本人は蟻だと言ったが、蟻は嫌いじゃない。」
-ジョニー・ロットン-


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