お酒について#59
今から約9年前、余暇で鹿児島に帰って同級生としこたまチュー(芋焼酎)を飲んだその翌朝、前夜の酔いを朦朧と引き摺りながら東京の自室ではない天井を見ているとWi-FiもネットもゲームもCSもコンビニも産経新聞も無い、予測できた現実に対してなんら手を打っていなかった自分に気付いて朝一で唖然としていた。
布団から頭を起こして周りを見渡すと古いタイプのマッサージチェアと、小物置き代わりに四つ足が付いている囲碁盤と、量販店で安く手に入りそうな白いラジカセがあった。ふすまの隣は仏間である、仏間には仏壇と床の間と2本でワンセットに結わえてある焼酎が供え物として3セットほどあって、ふすまを開けると、そこが一夜にしてサウナ付き個室特殊浴場にはなっていない事は確かだった。午前の時間、朝飯を食べる事とTVを観る事、携帯をいじる以外に暇を潰すものは無い確実な現実が厚手の布団と一緒に重々しくのし掛かる。
外は晴天、高円寺のように残存する酔っ払いが早朝騒ぐわけでも無く、配送のトラックが忙しなく走り回るわけでは無く、庭先で鳥が数種類鳴いていた。生物学の知識が深ければそれだけも幾ばくかの喜びを知ることができるかもしれないが、ニワトリとスズメとその他、程度が分かるだけで客観的に見ると自然豊かで爽やかな朝を迎えた旅行の2日目に見えるかもしれないが、長く都会で過ごした弊害か、東京の生活インフラが突如無いと分かると、心象的には田畑に突如掘られた巨大な穴の底辺に一人ほっとかれているようで心細かった。
もう一度布団から体を起こし、おもちゃのような小さいラジカセを引き寄せて、電池が入っていない事が分かると、小さく畳まれたコードを伸ばし、コンセントを繋いで、FM放送をチューニングしてみる。その年の春から市のコミュニティーFMが開設されたのを思い出したからである。
中高時代、勉強中にラジオを聴いていた。NHKFMかローカルAM放送の二局しか選択肢が無く、さらにAMのローカル放送が受信難で、受信できても今は亡きローカルタレント猪俣睦彦氏の唸るような鹿児島弁か、現在はアナウンサー室で出世したうねの氏のアニオタ番組であった。アタクシはおしゃれな都会に憧れていた、唸るような鹿児島弁はラジオを付けずにも46時中耳に入ってくる環境で、かといってNHKFMはほぼクラッシック、たまに民謡、現代音楽(難解なやつ)ほぼそれで構成されていたが、夜の一部の時間だけ中島みゆき、桑田佳祐、渋谷陽一、等、シティーでモダンな放送を聞く事ができた。桑田佳祐氏はそのNHKFM生放送第一声が『どうも、オナニーマンです!!』と正直な自己紹介をしていて今もよく覚えている。
東京に出たアタクシはTVよりまずラジオを受信して「これがJ-WAVEヤ!」と鹿児島弁が流れてこず、深夜にピンクフロイドが掛かるラジオ局にいたく感動してそればっかし聴いていた。FM、それはおしゃれだった。
さて、コミュニティー放送局といえども「FM」を冠につけるラジオ局である、さぞ都会の風を運んでくるのでありましょうなと、スピーカーからザーッとしか聞こえない中、慎重にプラスチックのダイヤルを回す。
その内クリアーな日本語が聞こえてきた、『自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、カンダタの無慈悲な心が・・・』と、これはつげ義春の「リアリズムの宿」の一コマで芥川龍之介の小説の一文を音読する場面ですが、そのような、おそらく仏教を語っている内容で、実際は法然がどうととか浄土宗がなんのと、いっている事はよく分からないが実に落ち着いた、聞きとりやすい声で仏教を語っているという事は分かった、その時仏教に興味も何もなかったのですが、それを聴いていると実に田舎の早朝、角度をつけた春の入射光、やや二日酔い、自然ばかりで何も無い光景、今いる寝床にマッチして、ネットが無い、Wi-Fiが無い、ゲームが無い、と嘆いて目の前に紗がかかっていた視界にサッーと御来光が注がれ目の前が明るくなるような心持ちになった後、薄れる意識、その最中、こいつは放送大学だと分かった、いつか入学して学べるように良いなと思いつつ二度寝の誘いに抗えなかった。
その授業タイトルと内容は微妙に変われど、放送大学入学後、昨年後半『日本仏教を捉え直す』全15回の講義聴き終え、テキストを読み、試験を郵送して前述の9年前の思いを達成させた。恐らく成績は「マルA」(満点)でありましょう、言うだけタダである。3名の先生で執筆され、その講義は難しくも興味深く、知らない事だらけで、9年前、鹿児島での睡眠学習程度の軽い印象ではなかったが大変有意義で、これで終わりでは無く、ゴールの無い面白分野をまた見つけてしまったという感想が正直なところである。
けどね、人文系の60代くらいのセンセは専門分野に対して360度観察と検証を慎重に重ね、深く、発展的に展開させますが、その中で戦後左派、リベラルの紋切り型の単語がコールタールの塊のように要所要所置いてある事が気になった、それはまたアタクシの文章の為にネタとして用意されたのでありましょう。
以上。
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