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ヨーロッパ最難関の入学実技試験合格が意味する事

2019年2月5日、ドイツ・ケルンの気温は6度か7度くらいだっただろうか。前日まで降っていた雪が道端に軽く積もっており、雹や雨が断続的に降る。風も冷たく典型的なヨーロッパの寒い冬の日だった。16時を過ぎた頃から街は暗く、人々は寒さを凌ぐため足早に家に帰る。ケルン体育大学のキャンパスを除いては、そんな雰囲気だった。

僕はこの日、ケルン体育大学の入学実技試験に臨んだ。
試験は僕が受けた順に、バドミントン→20m潜水→25mクロール/平泳ぎフォームチェック→1m高飛び込み→水泳100mタイムラップ→砲丸投げ→走り高跳び→100m走→サッカー→マット運動→鉄棒→跳馬→懸垂→3000m走という流れだ。
この試験については僕のYouTubeチャンネル(ShoYouTube)で動画全7回に渡り徹底解説しているので、もし興味がある人はそっちも是非見てほしい。

この試験は15種目を朝6時半集合で開始し、2つ以上落としたらその時点で脱落となる。つまり落として良い種目はたったの一つ。
最後の種目は18時半頃終了する。つまり早朝から夜まで12時間かけて行われ、体力と集中力と忍耐力といったあらゆる力が試されているイメージだ。

この試験に関してはドイツでも国営放送でドキュメンタリーが組まれたり、試験後にはメディアがその受験者数と合格者数を当日の様子とともに伝えるなど、ドイツ国内でも一つの大学の入学試験にしては注目度や知名度があると言えるだろう。

“ヨーロッパ最難関の入学実技試験”

この試験の過酷さを表現するためにドイツメディアが用いる表現である。

何がともあれ僕はこの試験に合格したし、日本にいる時から体育会サッカー部まで続けていたから、「まぁすごいけど、当然でしょ?」っていう感じで捉えられるかもしれない。

じゃあ言い方を変えてみよう。
試験の10ヶ月前に水泳の練習を開始した僕は25mすら泳げず、クロールは正直溺れているようにしか見えなかった。せいぜい15m泳げれば良い方で息継ぎなんて持ってのほか。
身体の柔軟さはあったが、鉄棒種目の空中逆上がりが全くできなかった。
砲丸なんて触ったこともなかった。
長距離走も高校サッカー部までよくあった集団走は毎回ビリ。

こんな僕がヨーロッパ最難関の試験に合格したって言い換えたら、ちょっとはイメージ変わるかな?(笑)

水泳は本当に泳げなかった。練習を開始した大学4年の4月5月当初、僕はサッカー部の練習後に帰りの乗り換え駅から徒歩圏内にあるスイミングスクールへ通い詰めた。横では小学生たちがバンバン泳いでいる。僕はその隣でコーチとマンツーマンで息継ぎやクロールの練習。毎回足を着きながら25m地点まで到達すると、ほぼ無酸素状態に陥っていた。
その姿を見て小学生たちは「大丈夫ですか?」って。本当に今考えたら笑える話だけど、当時は必死だったし、かなり恥ずかしさも感じた。
そこでの体験コースが終わり、家の近所の別の水泳スクールに通うことになった。大学の授業が週1回しかなかったので、午前中に水泳の練習をしに行っていた。今度は小学生じゃなくて、おじいちゃんおばあちゃん達。初級者用の練習レーンでレッスンが始まるのを待っていると、「コーチ。今日はよろしくお願いします!」と僕の周りにおじいちゃんおばあちゃん達が集まってきた。それも無理はない。身長や体つきもある程度しっかりしていた僕がまさか泳げないだなんて誰も思わない。ここでもそんな恥ずかしい思いをした。しかもおじいちゃんおばあちゃん達は初級者レッスンの割にしっかり25m泳げていた。泳げていなかったのは僕だけ。(笑)
そんな感じだったけど、水泳は毎日通い詰め、図書館でも水泳の本を読み漁った。

長距離走も本当に苦手だった。
ゴールキーパーだったというのは言い訳にはならないが、長距離を走る習慣が無かったので本当にこれも苦労した。基礎体力はあったけど、早朝からいろんな種目をやって最後に長距離走があるというのをイメージしたら不安しかなかった。だからサッカー部の練習後は1人でグランドの周りをかなりのハイペースで走り続けた。同級生や後輩からも「あいつ何やってんの?」の視線だったに違いない。けど、本当にそんなこと言ってられないくらい必死だった。

初体験の砲丸投げは、幸いにもサッカー部の監督の友人が筑波大学の投擲専門だったため、その方を紹介してもらい僕は練習がオフの日に筑波大学まで通って練習をした。寒い冬はその方の大会時期と重なったこともあり、僕は埼玉県内の市営陸上競技場に車で通い、200円くらいの使用料を払い、1人で砲丸投げを練習した。
寒い冬は風も冷たいし、砲丸もキンキンに冷えている。それを投げ、飛距離に落胆し、拾いに行き、また投げの繰り返しの日々だった。

朝から陸上競技場→昼に水泳場→夜は大学のサッカーの練習という日々を何日も過ごした。そんな努力の末、死ぬ気で試験当日に臨み、合格できたのだ。

この試験にあたり、砲丸投げを指導してくれた方、その方に繋いでくれた監督、水泳のコーチ、練習に付き合ってくれた友人、試験当日ドイツまで来てくれた友人、日本から応援メッセージを送ってくれた友人や当時の恋人、当日まで学生寮に宿泊させてくれた友人などなど本当にたくさんの人のサポートを感じた。
そして何より、この試験を受けるために就活をせずに試験練習をするという選択を許し理解をくれた家族には本当に感謝しかない。


ここまでが今回の記事のストーリーである。
今回僕が伝えたいのは「ヨーロッパ最難関の試験のために努力したんだ。合格してすごいだろう」とか「周りの方々に感謝しましょう」っていうことではない。

伝えたいことは2つ。

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