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アートに出会い直し、コミュニティを作りたいと思うまで 前編

このnoteは、「未開を灯す」をミッションにしている逍遥学派が、「自分自身と向き合い、新たな可能性を見つける。」ことを目的に、オンラインでインタビューや話したいテーマについて雑談を行い、記事にしたものです。

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自分はどう生きたいのか?そう問われる機会は所謂「普通」に生きていると案外少ないものなのかもしれません。しかし、時に困難にぶち当たると人は、「私はどう生きたかったのか?何をしたかったのか?」と問い直さずには先に進むことはできないのかもしれません。
今回インタビューした長谷川忠広さん(通称はせさん)も、またそのひとり。
今この瞬間を悩む全ての人の後押しになると思います。
前後編の前編をどうぞ。


長谷川 忠広(はせがわ ただひろ)|図書空間2.0コミュニティマネージャー
​​​​同志社大学(心理学)卒業。株式会社インテリジェンス(現 株式会社パーソル)入社。営業MVP受賞。退社後、台湾の私学で自然体験活動指導者として活動。帰国後、広島の通信制高校立上げ時の教員として、アドベンチャー教育を用いたチームビルディング授業を実施。小学校に異動。海外研修プログラムのチーフを担う。2022年広島県主催「Ring Hiroshima」に採択。「図書空間2.0」プロジェクトを運営。Best Partnership賞受賞。2023年3月よりフリーランス。アートの観点から既存の概念に問いを立てる楽しさ(=JOY)を提供している。


話し手:はせさん
聞き手:逍遥学派



様々な選択を経て、「スタンド使い」から自分を取り戻すきっかけになったものとは?

はせ:1歳の時に父親が亡くなって、ご時世的に誰も頼らず生きていくのが美徳という雰囲気がまだ蔓延っていて、母も女手一人で育てていました。

支え合えるコミュニティなんかもなくて、これは自分がコミュニティをやりたいっていう動機にも繋がっているのですが、その後、勉強してわかったんだけど、ちっちゃい自分は「あ、この親に捨てられたら、僕死ぬな」っていうのを心の奥底でずっと思いながら生きていて、だから、母親が情緒を安定させられるような行動をする「スタンド使い」になってたなっていう感じでした。

ただ、周りがよく見えるから、小中は野球、高校大学はアメフトやってたんだけど、 大体、主将とか副将に選ばれたり、自分から立候補したりしてました。言われたことをしっかりやる、成績優秀なやつみたいな感じでしたね。

逍遥:スタンド使いになってたなって気づいたのは、どういうことがあったんですか。

はせ:病んだ時にカウンセリングも受けたんですよ、その時言われたんが「あなたの考えてることって、一般的に言うとすごい少数派ですよ。」みたいなさ、自分が当然と思ってた、なんかこう、周りの目を気にして生きるとか、そういう思考の仕方とかが、もう全部歪んでたっていうのに気づいて客観的に自分を見ると、あ、完全にこれスタンド使いだなみたいな。もうやばいってなった時に、もう1人がボーンって出るみたいな感じだった。

今は結構、手放されてるところでもあるって感じです。スタンドはスタンドで人格があり、自分は自分で人格があり、別々の仕事を共同でやりながら過ごしてる感じなんだけど。スタンドを一緒に取り込んじゃうみたいな、でもこの2、3年で治療して、偉いもんだよね、治りますやっぱり。

大学を選ぶときも、父親が京都市立芸術大学だったから、芸大とか美術系の大学に行きたかったんだけど、母親に反対され、どうやら名前の有名なところに行ってほしいようだ、みたいな感じで、同志社大学に入学しました。でも、国立に行けって言われてたから、受験は我が家においては失敗とされていました。

大学もアメフトばっかりやってたので、 社会に出てこうなりたいみたいなことを1つも考えてなかったから、就職氷河期ってのもあったけど50社ぐらい落ち、最終的に人材系の会社に、たまたま内定をもらって、そのまま入社して名古屋で勤務しました。激務薄給で有名な会社、まあいわゆるブラック企業だったんで、そういうのわかって入ったんですが。ただ、なんかおもろいやつがいっぱい集まってるっていう会社でした。ここで出会った同期とかはいまだに仲が良くて。

ただ上司には「顧客志向を捨てなさい」って言われて、とりあえずマシーンになって、 新規顧客開拓の営業として求人広告を売りまくってました。だけど、やっぱり心が壊れて。それでもうやめようってなって転職しました。

国際交流みたいなものに大学の時から興味があって、ツテで台湾で働くチャンスがあるよって言われて自然体験活動の外国人スタッフになれたんですけど、でも行った当初は「なんであなたここに来たんですか。」って言われて、全然話がいってなくて「働くつもりで来たんですけど」って言ったら、「席はありません」とか言われて、まじかみたいな。そっから「とりあえず、もう無給でいいのでオフィスに行かしてくれ」みたいな感じで頼み込んで。半年働いてたら、たまたまそこにいた外国人スタッフが辞めるってなって、そこに滑り込むみたいな感じがあったり。

いずれにせよ、台湾では、居ていいよって言ってくれることや、おおらかなマインドだったりとか、いい加減なんだけど、逆に日本人、自分自身がキリキリしすぎてたな、とか。なんか自分を取り戻していく時間でした。

やりたいことを見つめ直す道中、手に取った本の中で「アート」と改めて出会う

はせ:その後、日本に帰って今の奥さんと結婚して、広島の学校法人に転職しました。最初は、その学校法人の自然体験の先生にってことだったんですけど、1年勤めたら通信制課程の高校ができるから、先生やってくれって言われて、図らずも高校教師になりました。

不登校の生徒向けに、体育の授業のなかにチームビルディングを取り入れたりしました。通信制高校って独自のカリキュラムが組み易いから、その中でアウトドア体験とかも入れたりして、これは、意外と面白かったです。生徒の対応が大変だったけど。

3年そこで勤めたら、小学校に異動って言われて、小学校教員になりました。小学校は激務なんだけど、自分はストレスを別に預けることができる「スタンド使い」だから、仕事ができちゃうんですよね。それで仕事が山ほど降ってきて、いじめ対応とか、もう、なんじゃかんじゃあって、病んで休職して、時を同じくしてコロナ禍に入りました。逆に言うと、ちょっとうやむやになってよかったというか、みんな俺のこととか心配するどころじゃなくなったのでラッキーだったな、みたいな。

で、もう一度、やりたいことってなんだったっけなっていう、見つめるいい時間になったから、とりあえず読みたい本って何かな、でもやっぱ起業とかしたいよなとか、もうどっか会社で働くの嫌だなみたいな気持ちでビジネス書を読みあさってて、山口周さんの「なぜエリートには美意識が必要か」という本で、アート思考っていうものと出会って、お、これおもろいやんけと思って。

山口周さんは慶應で哲学とか美術とかを勉強してるような人で、電通とかマッキンゼーとか行って。
なんか、哲学的な話を絡めてするのが面白いなって思ったのが
、この人の本読んでみようかなって思ったきっかけだったか。

うち、ひいじいちゃんが画家だったり、お父さんが吹きガラス職人だったり、ま、それで、吹きガラスを作ってる最中に、事故で死んじゃったんだけど、一酸化炭素でね。

家に絵筆があったり、キャンパスがあったりとか、レゴも狂うくらいやったりとか。そういや、そういうの好きだったなと思って、旧京都造形芸術大学 通信教育部に入って、 やっぱ現代アートが面白いなっていうか、あと、岡本太郎に心奪われて。

ステージに立ちたい、ジョイフルが満ちる場にいたい

逍遥:いわゆる優秀というか、自分が目指したことをクリアしてきているように思うのですが、純粋に楽しかったなって思う出来事ってありますか。

はせ:なんか、こう、楽しむ。結構色々あるなってのがあって、昔レゴとか、あと聖闘士星矢って知ってます?もうバッチリ、テレビでやってた世代が被ってるんですね、自作の聖闘士星矢の、クロスを考えて書くみたいなんが好きすぎて、ほんと、紙がこれぐらいたまるぐらい、描いたりした。レゴも作っては壊し、作っては壊し、みたいなのをやってるっていうのって、 傍から見たら、多分すごい静かなんだけど、自分の中にはゾーンに入ってるというか、そういう楽しさはあったかな。

それで10歳ぐらいから野球とか、そういう集団スポーツを始めて、それは楽しかったけど、そうだな、10代でいっちゃん楽しかったのは、高校のアメフト部で、なんか文化祭でバンドを組んでやろうと言って「キャミsoul」っていうバンド名で、全員なぜかタイツを着て、やっ!とかするんだけど、それが楽しかったなって。

みんなの前でワークショップで、わーって喋って、え、これおもろいと思いません?みたいな感じで、 やるときはすごくジョイフルですね。
直近で言うと、campsでやったアート思考×国際交流みたいなワークショップはすごい楽しかった。

逍遥:みんなで一体感があることとか、何か1つのことに熱中している空間とか時間っていうのが楽しいですかね。



はせ:そうだと思ってたんだけど。その一体感がある時ってさ、なんかこう自分が参加者だったとしても、一体感って感じられると思うんだけど、なんかもう、参加者であることがつまんないなっていう感じ。うん、やっぱ、ステージの上に立っておきたいっていう気持ちはあります。

自分が色々発信してファシリテートしたいっていうのが1番面白いかな。例えば、日本人と外国人が参加者で、歌川広重の版画とその同時代に書かれた、あのヨーロッパで書かれた絵を見比べて、どう考えるか、どう感じるかみたいな話をしたり、あと、オノ・ヨーコがさ、昔カットピースって言って、観客に服を切らせたワークショップがあったんだけど、あれをやったんよ。


ユニクロで白いシャツとズボンを買ってきて、切りたいものをみんなに書いてもらって、 自分が着て、最終的にその参加者に切ってもらうっていうことをしたんだけど、 めっちゃ面白かったなと思って、そういう感じかな。

その場にいる人が「自分の内側」から面白い!と思ってしまうような場を、生み出すコメディアンでありたい

逍遥:はせさんは、その場においてどういう存在なんですか。ファシリテーターでもあると思うんですけれども、ステージの上にいる感覚もあると思いますし、アートをみんなで体験してるみたいな意味では、アーティストな側面もあると思うんですけれど。

はせ:なんかどうなのかね。ファシリテーターでもありながら、漫才師とかのスタンダップコメディアンみたいな感じでもいいかな。

自分が提供するもので、参加してる人の心が動けば、もう最高。アート思考とかそういうので、自分のその人の中にあるものが、なんかこう、ぺりってめくれたみたいな、おもろいって思わせるようなことをしたいっていう。なんか、自分の中にあるものが何かを感じ、受動したりキャッチしたりして、おっ!って思わせることをずっとしていきたいっていう感じかな。自分が裸で来て笑われても、それは自分の外じゃん。

逍遥:なんか、価値観とか、ある種固定観念だったりとかがめくれた瞬間っていうところもあったりするんですかね。

はせ:うんうん、そんな感じだと思います。

子供の頃に見た、太陽の塔と岡本太郎の姿勢にしびれた

逍遥:現代アートが好きだっていうお話をされてたと思うんですけれども、どういうところがお好きですか。

はせ:エネルギーかな。現状を変えてやりたいっていう気持ちが多い人が、多いかな。やっぱ、ここ100年ぐらい難解なものが多すぎるから、ちょっと噛み砕いて、面白さだけを伝えたいとは思う。それで言うと、やっぱりあの岡本太郎の太陽の塔なんかは、あの辺で生まれたんですよね。私、大阪の北らへんだから、よく目にはしてたんだけど、人類の進歩と調和っていう万博のテーマの中、他のパビリオンは、そういった技術力みたいなのを誇示する。で、広島の平和記念資料館とかを作った丹下健三、あの草月会館とかも設計した丹下健三が、世界へアピールするために屋根を作ったんよね。

技術力を誇示しようと思って、大屋根を作ってそこに太陽の塔を建ててくださいって話した時に、岡本太郎が「あほか」って言って、大屋根に穴を開けてくれって言って、そっから土偶みたいなさ、人類の進歩と調和っていう中で、埴輪みたいなものがにゅっと顔を出すみたいな、なんかアンチテーゼみたいなことを字でやっちゃうとかが、やっぱりなんか最高にしびれたなと思って。

逍遥:万博のような技術力を示すみたいな場所で、全然違う切り口とか、それを批判するような態度で望まれてるのがすごいですし、それが現代アートの1つの意味でもあると思うのですが、そうした批判的な思考とかって、どういうふうに養えるのかなと思いました。

こういう場だからこうするのが当たり前っていうのを、流れるままにやってしまうことってよくあると思っているんですけど、エネルギーを持って前提を問うって、どうやったらいいと思いますか。

はせ:自分がアートに触れてるからってのもあるけど、昨今の現代芸術って、ほとんど術みたいなとこばっかりだから、もうちょっと普及するというか、その背景とかコンテキストみたいなものを伝え続けるって、結構みんなその時代時代のプレイジの集まりじゃん、あの作品って。あれが1番簡単かなって思っていて、だから一昨日やった、オノ・ヨーコのサンプリングよね、 そういうハプニング芸術みたいなのをなぞってやるだけで、やっぱり全員、やば。みたいになってたから。なんか有名な現代芸術、全部真似してやってみてもおもろいなっていう。サンプリングして全部やってみるのも間違いなく感動するというか、何か気づきが絶対あるんで、 それがいいかなと今のところ思ってる。

「自分」を通して関わる人が、安心できる場はどんなカタチなのか?

はせ:うちの母親が、もうちょっといろんな人に助けてもらってたら、こんなことにならなかったなとかって思って。RING HIROSHIMAに勢いで応募したら採択されて、そっからコミュニティみたいな。自分がおもろいと思う雑談とか、焚き火と国際交流、子育てなんかを絡めてワークショップをやりまくる日々ってのが、ジョイフルな時間っていう。

今年は去年たくさんいろんなことしたから、それをビジネス化するっていうのが目標かなってところで、ここにたどり着いたって感じかな。

逍遥:図書空間2.0のきっかけは、RINGHIROSHIMAだったと思うんですけど、どういうきっかけで企画が生まれたんですか。

はせ:友人と一緒にやったんだけど、彼も母子家庭で、わりかし、似たような人生を歩んでた、自分の思ってることとかは二の次みたいな感じにして。同じように病んだんよね、これはやっぱり、自分たちにも子供ができて、人との繋がりみたいなものって家族と会社以外全然ないじゃんって、 不健康だよなっていうのがスタートだったかな

逍遥:いろいろ選択肢があったと思うんですけど、本だったのはどうしてだったんですか。

はせ:当時、そういう勉強をしながら知らない世界に触れまくってたので、たまたま大学のレポート書いてて、あの「庭園」について書いてたんだけど。で、いや、もうくそ興味なかったんよ、最初ね。
だって、木とか石と、なんか水たまりだけじゃん、みたいなことだったんだけど、そういう本を読んだ時に、1ページ目に大御所の人が、庭を作る時に気をつけてることは、安心ですかね。みたいなことを書いてたんだ。で、えっ待って、安心?!

ここに来た人が安心するために、 ここに何を置こうとか、こういう形にしようとか決めてるんかこの人。みたいな。え。どういうこと。どういうこと。と思ってたら、なんか、今まで目にしてたそういう庭園だったりとか、そういうもの、全部違うように見えてきたっていうタイミングがあって。あと、本ってメディアは、検閲が1番低いメディアだと。エロ本とかもあるぐらい自由度が高い。あと、炎上とかない。移動できる。 めっちゃいいじゃん。と思ったんだけど発信力はちょっと弱いよなっていう。だって、喋らないもん。本って。

逍遥:確かにそうですね。図書空間2.0をやってみて、こう、発見とか気づきとかって、他にもあったりされますか。

はせさん:そうだなあ、そうそうコミュニティっていうものについて、色々調べてみたんだけど、 東京の西国分寺にある胡桃堂も行ってみたんだけど、立地的には超弱いとこだと思うんだけど、朝もや言うて、哲学対話みたいな去年10月ぐらいに参加したんだけど、 土曜の朝9時に40人ぐらい来てるんよ。で、なんかブツブツみんなで喋ってんだけど、やっぱこれ人だなみたいな。あのー、場所だけのパワーじゃ無理だなっていうので、 だから、そこに本があろうが、やっぱりそこに人を目がけてやってくるのが、やっぱりコミュニティを活性化するのに1番強い。ただ、私は、そこに常駐したくないっていう、つまんないから。まあ、さっき言ったようにステージの上に立ちたいってのもあるから、うん、どうしようかな、みたいに今思ってる。

逍遥:なるほど。コミュニティ自体は作れたりとかあったら、すごくいいという風に感じていらっしゃるけれども、 運営ってところで言うと自分の役割じゃないかもしれない、って感じでしょうか。

逍遥:今年は、ビジネス化するのが目標と事前に伺っていたのですが、アート思考のワークショップに加えて、場作りとかコミュニティ作りについて、どういう場を作りたいのか、改めて教えてください。

はせ:色々やった結果、私のファンになってくれそうな人って、 30代過ぎた人から、50代ぐらいまでの「自分ってこれでよかったんだっけ」世代なんですよね。

社会を1回1周して、「このまま行くんか僕」みたいな人が多いから、そういう人たちって、やっぱり職場の人には話せない、家族に話しても、利害関係を共にしないような人たちとの出会いって、すごい限られてると思うから、そういう時に、自分がやることが1つきっかけとなって、もちろん、自分のやっているコンテンツを面白いなと感じてくれるのも大事なんだけど、同時に、そういう参加してくれた人同士の横の繋がりみたいなのも、集めていけたら面白いよなとは思ってます。

逍遥:島に来る人も、そういうニーズの方が結構いらっしゃったりしていて、そうだよなと思うというか。正しい答えってわからないし、それが間違ってるとかでは全くないけれど、本当にこれでいいんだっけ。と感じている方って多いんだなって。まさに家族にも職場にも、話せなかったって方が多い、それが世代を超えて話せたりするだけでも、話すっていう行為、あるいは聞くっていう行為だけでも、胸が軽くなったり、次の行動に繋がってる方がいるなって感じていて、とても共感してしまいます。


編集後記
「今をどう生きるのか?」その想いや選択の根幹にあるのは、子供の頃はどうしようもなくコントロールができなかったことだったりするのかもしれません。しかしその経験は、はせさんの行動によって、ネガティブな面ではなく、社会にとってポジティブな形で接続し直しているように感じました。
はせさんが魅せるアートとそこで起こるJoyを通して、いろんな人が生きやすい世界が広がっていくイメージが湧く、そんな時間でした。

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